再生への旅

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zoom RSS 俳人協会新人賞・三者三様の世界管見

<<   作成日時 : 2013/03/07 04:10   >>

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かざらないことばよかりし桃の花 玉宗

俳人協会の本年度の新人賞大賞句集が発表された。選考対象句集14編から以下の3氏の句集が選出された。選者は5人。野中亮介、小澤實、今井聖、島谷征良、山本洋子の各氏である。新人賞は句集としての完成度、充実度もさることながら、作品・作者に将来性を探るといった視点も見逃されないのだろう。佳句は勿論、問題句も含めて選者の俳句観・批評眼が問われている。

以前、第一句集『雪安居』で最終選考に残ったことのある私であるが、「荒削り、独り善がり、」といったような評価を頂いて見事にふるい落とされた経緯がある。選者の内外に強く推してくださった方もいたが、何事も「受賞」するには選考の運、自分の運、作品の運、といったものが確かにある。それもこれも含めて、全ての運を引き寄せるに足る力が作品になければならないということである。私には客観的にもそれがなかった。

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協会新聞紙上に載った受賞者自選句である。受賞者の経歴は省く。新人賞はたしか50歳以下の句集を対象にしている筈である。○は市堀の注目句である。三者三様と言ってしまえばそれまでであるが、注目句には作者の独自な把握はある。それはそのまま作者の個性の存在を必要としている訳ではない。すぐれた句と云ったものには、無記名性に堪え得る光りのようなものをいつも感じている。秀句は個性さえ必要としていないかの如くである。自己の跡形がないといった潔さが俳句には欲しい。以下、言いたい放題の鑑賞を付けたして、三氏の受賞をお祝い申し上げる。益々のご活躍を。合掌

『雪華』 甲斐由起子 (自選15句)

○人形の目の一重なる余寒かな
 夢覚めてなほ夢の世や西行忌
○遅き日の遠くが見えてゐたりけり
○絵日傘をひらけば顔に花の影
 うつしみの色さしきたり羽化の蟬
 すぐそこと言はれて遠し草いきれ
 白桃に頬を濡らして母おもふ
 ひとところ強く日のさす秋の峰
 小鳥来るかさと音してもう一羽
○熊出ると話すあひだも星流る
○病み抜いて垢も浮き来ぬ柚子湯かな
 未明の雪死者と生者とひとつ間に
 生きてをらば齢八十寒の菊
○雛出して今日といふ日の終はりけり
 人影の岸を離るる忘れ雪

決して若くはないが、なんとかして俳句的感性でもって日常に寄り添うとしているように見える。特に目新しい世界を提示している訳でもない。その自得感が個性かもしれないが、いささかもの足りないと言えなくもない。

『眼光』 下坂速穂 (自選15句)

○終電のあとを貨車ゆく十三夜
 落葉籠落葉を敷いて傾ける
○影よりも人は小さく年用意
○初稽古波打際を汚したる
 安心といふ高さあり寒雀
 恋をするうちは仕合せ毛糸玉
○春泥にひとり遊びの子がふたり
○夜はちがふ巻き方をして春ショール
 金銀の銀の音する古巣かな
 スリッパを幾度も揃へ夏館
○鳴らしつつ探す風鈴吊るところ
○夕焼けて鳴らんばかりの木となりぬ
○止みし後も雨の音する夏木かな
○くさはらを歩めば濡れて魂祭
○木の下に人あらはなり霧の中

言葉に過度な圧力を掛けていない姿勢が如何にも女性らしいといったら笑われるだろうか。日常の些細なことに気息を合わせることが出来るという意味で女性は確かに男性よりも優れているといった偏見を私は持っている。観念が先行していないために、句の世界が瑞々しい。俳句定型という眼差しを信頼している一人の人間がここには確かにいる。身の丈の俳句。ここからは表現の破綻も、生活の破綻もあることはないだろうが、これだけが俳句の醍醐味とするのには何か気が引けるものがある。

『熊野曼荼羅』 堀本裕樹 (自選15句)

 葉ずれみな言の葉となる五月かな
 天牛を鳴かすや黄泉の誰のこゑ
○火焔土器よりつぎつぎと揚羽かな
 巡礼に蛇捕りの婆まじりをり
○打たれたる百足虫鳴くなり山百重
 向日葵の首立てとほす豪雨かな
 那智の滝われ一滴のしづくなり
○秋蟬の尿きらきらと健次の忌
 物憑きて萩真つ白に乱れけり
○行き倒れし者蟋蟀に飛び乗らる
○火の鳥の羽や吹かるる櫨紅葉
 紀の国の水澄みて杉澄みまさる
○銀漢を荒野のごとく見はるかす
 蝶凍てて空の起源の蒼さかな
 ふるさとは血なり寒九の夜の水

氏の作品は素手で書きなぐられた油絵といった感がある。生きている人間の姿が見えてこない。表現者にナルシスト的な面があることを否定はできないだろう。が、過剰な自己愛は見苦しく、鼻白むものでさえある。観念もまた自己をカタルシスに誘ふ魔力を持っている。観念がつまらないのではない。つまらない観念に留まっているということだ。言葉と観念の闇を脱いだ時、氏の俳句はもっと虚実を凌駕する力を発揮することであろう。写実に魂が入るということだ。



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「見頃」

飾らざることばのよけれ桃の花

接木また出過ぎたことの一つなる

まだ空の穏やかならぬ梅見かな

頬を吹く風に梅見の冷えありぬ

梅を見て怒り押さへてゐるらしき

よく噛んでゐたれば梅も見頃なる

托鉢のしんがり梅を見て歩く

家出してみたくおぼろの中にゐる

啓蟄や中途半端が身上で

春光にやる気のなさを見透かされ

パソコンのキーにChinaのよなぼこり

仏前の母の草餅盗み食ひ

苦虫を噛まされ春も半ばとか

忘れられ生きるもよけれ春うらら

霞立つフクシマ見捨てたる国の




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