再生への旅

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zoom RSS 花作務・いのち戴きます

<<   作成日時 : 2013/05/16 04:38   >>

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白雲よ旅ゆく空の涼しさよ 玉宗

昨日は興禅寺花祭りを控えて、「花御堂」を飾る「花作務」に夫人と二人で汗を流した。
例年、檀家さんに伺ってお花を貰って歩く。鬼屋地区の檀家さんの庭に入り込んで夫人が目ぼしい花を切らせて頂いた。牡丹や石楠花の開きかけの蕾や躑躅、アヤメなどが手に入った。今年は不順な天候が影響してか、花の開花が遅かったり、着きが芳しくないといった現状のようである。昨年は花が散ってしまっていたが、今年はその逆である。それでも花御堂や須彌壇を飾るには十分なお花を頂いた。

これも又例年のことではあるが、夫人は檀家さんからお花を戴くに当たって遠慮するということをしない。勿論、檀家さんが「いくらでも持って行っていい」と言ってくれているのではあるが、それにしても、「おまえ、もういいだろう、そのくらいにしておけよ・・」といつものように言い出す私である。私はこう見えても遠慮することを知っている。(と思う・・・)

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そんな私であるが、甘茶を灌ぐのに使う柄杓となる竹の節を伐りに竹藪へ入ったのは良かったが、枝を一本残して、柄杓の形に鋸で切る際に、そそっかしさが高じて竹の皮で指を切ってしまった。慌てて檀家さんの家へ駆け込みバンドエイドを所望した。

「○○さん、指切っちゃった。バンドエイド頂戴、早く!早く!」

いやはや、手の掛る住職ではある。夫人と私、どちらが図々しいのかよく解らない。

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ところで、4月8日に花祭りを行うところもあるようだが、能登は5月が多い。興禅寺はどういう訳か昔から16日となっている。お釈迦樣の誕生を祝っての行事である「降誕会」を「花祭り」と言い出したのはそんな古いことでもないようだ。陰暦が陽暦へと変わった時期と重なるのではなかろうか。

いずれにしても「花のいのち」と「唯我独尊」のいのちに目覚めようという仏教徒の機縁に相応しいのかもしれない。但し、花のいのちがそうであるように、咲いては散る「いのちのさだめ」「生死一如のいのち」であることを忘れてはならない。生まれ出でたいのちを祝福できる「今の生き方」をしているかどうか。幼稚園児が象さんをひっぱたり、背伸びして甘茶をかけたりしている姿を見るにつけて、そのような意地悪なとでも言われかねない思いが頭を掠めるのである。

生まれたことを、生きていることを無条件に喜び、受け入れ、認め合うことが出来るのかどうか。子供を見るたびに「いのち晴れやかな思い」になると共に、「死にゆくいのち」への忸怩たる思いに自問自答する私がいる。


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「牡丹」

ぼうたんのゆらゆら風を吐き出せり

つぐなひに似たる牡丹の翳りあり

日影より日向の牡丹見てゐたる

やや風に遅れて牡丹ゆれむとす

満を持しひらきそめたる牡丹かな

ぼうたんの風に唆されしかな

落胆するには些かでかい牡丹なり

白雲よ旅ゆく空の涼しさよ

長瀞の躑躅咬みたる岩畳

置き去りの誕生仏へ西日差し

木下闇三度三度の飯を食ひ

不貞寝して卯の花曇やり過ごし

飽きもせぬ妻と卯の花曇りかな




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