再生への旅

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zoom RSS 檀家であるということ

<<   作成日時 : 2013/05/21 04:25   >>

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仏見し目にあたらしき著莪の花 玉宗

先日、菩提寺を興禅寺に替えたいという方がお寺に来られた。
住職への不信の果てのことらしい。境内にあった墓も移し、あとは私の許可を得て正式に離檀するとのこと。御本人は内心穏やかならぬものがあるらしく、一大決心をされたのだろうと察しがついた。

住職とは法制上「宗教法人の代表役員」である。代表役員を解任、リコールするには檀家の総意、もしくは他の役員の決議が必要となる。そんな手間を掛けるより、自分の方から離檀してやるといった檀家さんもいることであろう。それは「信仰の自由」というか、「宗教法人」という組織の一員であるかどうかを自由に選べる権利といったようなものである。一般会員が組織を抜けるにはそれなりの手続きが必要なのであろうが、「宗教法人」の場合はどうなのであろう。嘗て、興禅寺の檀家さんで、一身上の都合でよそのお寺さんの世話になりたいということで「離檀」された方が何人かいる。私の場合、「離檀金」を頂くということもしなかったし、宗務庁への届け出の都合上「離檀届」を提出して貰っただけである。

よそのお寺は知らないが、それぞれの「離檀」「入檀」の手続きが用意されているのではなかろうか。いずれにしても双方円満に執行されるに越したことはない。

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御本人にも諭したことであるが、正直なところ、新しい「菩提寺」に選ばれたといって手放しで喜び、受け入れる訳にはいかないのである。私の経験則から言うのであるが、このような方々には替えた先の菩提寺で同じような愚痴をこぼしたり、粗を探したりすることがあるものだ。母親は九十歳を過ぎて健在であるが、寝たきりで「離檀」に関して、その思いを聞きだすことも出来ない。面倒を見ている訪問者が責任を以って事を運んでいる様だった。

何代かに亘って寺檀関係を結んできたであろうことから、今の代で「はい、そうですか」というのには、一末の違和感が拭えない。他の寺の事だから関係ないだろう、といった見解もあるだろうが、相談者御自身の「家」の歴史、そしてなにより「檀家さん御自身」の「いのちの繋がり」「ふるさととの繋がり」「寺の繋がり」を断ち切ることが「善」となりうるのかどうか。一概には言えないのである。

確かに、今の住職は碌でもないかもしれないが、代が替われば「まともな、立派な」住職がやってくるかもしれない。又は、不信を抱いているご自身そのものの思いが「変化」する可能性だって無いとは言えない。そのようなことども全部理解した上でも尚、「我慢ならない」といった人間性も解らないではないが。

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訪問された件の相談者の謂うのには、住職の振る舞いに「人間的にも、お坊さんとしても、如何なものか」といった不信感が募っているのだという。私は敢えて次のようなことを言った。

「人間不信、大いに結構です!人間なんか相手にしなくていいんですよ。ほとけの世界の方さえ見ていればいいんです。お坊さんも人間です。様々でしょう。欲望を丸ごと抱えて憚ることのない方もいるかもしれません。お坊さんの理想像を楯にして件のお坊さんを非難し、排斥することもいいでしょう。然し、もっと大事なことを忘れてほしくないですね。それは仏の方を向いて生きるとはどういうことかなのかということです。欲望の向うにあるもの。欲望の彼岸にある世界。それだけが私たち人間をして「ぶれない、なんともない人生」を歩ませてくれるのではないんでしょうか。ほとけというも「わたしのいのち」の話しです。わがいのちをまっすぐ戴く様子を言っているのです。

人間のやることはたかが知れています。そのような欲望世界に私が振り回されるなんて口惜しいことではありませんか。現実とは、どこへ逃げようが「癪に障る奴」というものがいるものです。それは換言すれば「私の中にゆがんだものがあるからではないでしょうか。この世は私の心の世界の反映です。内も外も鏡のようなものです。闇の世界で私自身が闇でいいのでしょうか。闇の世界であるからこそ、私自身が灯しとならなければならないのではないでしょうか。私はこう見えても人を変えようなんてとっくに諦めています。人間不信のお蔭でお坊さんをしている様なものです。それは自分を変えることなら可能性があると思ったからです。それにしてもこの程度のお坊さんなのです。あなたを失望させる条件は人並に揃っているのですよ。

何度も言いますが、今あるわがいのちの深さ、その繋がり、豊かさを決して忘れることのないようにして下さい。あなた自身のいのちの一大事に目覚めてください。
あなたにそのような志がおありなら、私の寺の檀家さんになるのは大歓迎です。どうぞいつでもいらしてください。」


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「夏蜜柑」

母が手にしくと剥けたる夏蜜柑

おもはゆき目方でありぬ夏蜜柑

目覚めても夏蜜柑には変はりなく

手に余るこころやすさよ夏蜜柑

桑の実や帰るすべなきふるさとの

霧ごめの風をまとへる今年竹

苺一つ食うてひとつの闇潰す

空をゆくものみな翳り山法師

釣堀を好み世離れしてゐたる

音重く烏賊釣舟の戻り来る





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