再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS ある夏の日の妄想

<<   作成日時 : 2013/07/21 04:40   >>

トラックバック 0 / コメント 1

画像


憂国の簾も古りてしまひけり 玉宗


弟子の夏安居も解け、法戦式の余韻も潮のごとく引いていった。

来月はお盆である。墓掃除にはまだ少し早い。輪島の海水浴場も海開きしたらしいが、泳ぐ気にもなれない。昼寝もそうやたらと出来るものでもない。しょうがないので用もなく外へ出てみるがやはり暑い。俳句と向き合う気息も整わない。内でも外でもおろおろうろつくばかり。

埒もあかないので意を決して日陰を選んで境内の草むしりをした。二時間ほど作務をして汗を掻いた。実に爽快である。いい気分になった。シャワーを浴びて冷たいお茶を呑み、扇風機の風をひとり占め。パソコンをUPしてみる。韓国ドラマをみてひと泣きする。

夕刻が迫って来た。いつものように一時間俳句作りにのめり込む。この二年近く毎日の様に10句前後作ってはツイッターしている。ツイッター俳句である。
夜になるとブログの記事を書く。これはもう5年目に入っている。ほぼ毎日である。昨年からFBも始めている。要するに友達が欲しいんだろうかと自分に聞いてみるが、そうでもないらしい。私の発信はほとんど一方通行である。発信しっぱなし。コメントも余程の内容でない限り返信しなくなって久しい。

人見知り、喰わず嫌い、人間たらしの私ではあるが、こうみえて、昔からひとを喜ばすことが好きな人間であった。わが人生は、ひとり遊びの延長線で社会に関わっているかの如くである。人様の役にたっているのかいないのか、よく解らないままお坊さんとして、人として、俳人としてのメッセージや作品を発信している。ある意味、無責任極りない所業ではある。

そんな私に夫人は疾うに呆れている。私自身も少なからず呆れている。こんなことをしていてどうするつもりなんだろうかと、吾ことながら、他人事のように先が思いやられる。

画像


それでもときどき人様の好意的な反応に出会うことがある。
お坊さんとしても人間としても俳人としても悦に入る瞬間がないわけではない。然し、一日の大半は私がいてもいなくてもなんともないかの如き世間の反応である。

私の存在が毒にも薬にもなっていない節が大いにあるが、これが紛れもない市堀玉宗の力量なのである。それに見合った分相応の飯を喰わせて戴いていることに思い当たり、悄然とし、慄然ともする。
そのような次第であるから、私も「縁・出会い」の真っ只中で力を尽くさなければならないのではあるが、尽力にも限度がある。生来的に怠けものではないかと少しばかり失望して久しい。志にもいろいろあるということだ。

結論として私のしていることも、「人間にとって「存在」を否定・無視されることが恐らく最大の苦痛なのかもしれない」、といった事情の裏腹なのであろうと思う。なんだかんだいっても「人様と共にいたい。人の役に立ちたい。」という本音が人間にはあるのではなかろうか。以前にも書いた事だが、「人間とは志をもって生きる動物」なのである。「志を持たなければ生きて行けない動物」とは、なんという神様の思し召しであろうか。

憚りながらも此処だけの話しであるが・・・、なんとも取りとめのない夏の日の妄想ではある。

画像



「是非もなき」

西瓜食ぶほかの用事もなかりけり

あの世まで母は草引くつもりらし

欲のなき肩に蜻蛉の止まるなり

きのふとは違ふ蜻蛉を見て喜ぶ

是非もなき妻とのゑにし心太

烏賊釣火ひとつ遅れて連なれり

沖の雲手に取るやうに海開

蜑が路地狭めて天草干しにけり

喰らふべきものは喰うたる裸かな

青芝の海原を子が飛び回る

生きめやと土手を歩けば来る蜻蛉

昼寝覚いつでも死ねるなんて嘘

気の置けぬ夏座布団の客なりき

青芝に坐り来し方行く末を

鵜篝や油のやうな夜の川






ランキング応援クリック
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
ご住職さまの実直な人柄がにじみ出ています。忙中閑ありもいいですね。我が身を振り返る機会でもあります。
閑話ノート
2013/07/21 10:23

コメントする help

ニックネーム
本 文
ある夏の日の妄想 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる