再生への旅

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zoom RSS 今日の諸行無常・時間といのち

<<   作成日時 : 2013/07/25 05:05   >>

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鉄線のがんじがらめの花ひらく 玉宗


まだ日の落ち切らない夕間暮れ、檀家さんの三回忌逮夜命日のお勤めに伺った。主人とは時候の挨拶と共に年月の速やかなることを嘆いたことだった。

先走ることも、後追いすることもできない命の実相。どんなに惜しんでも時は過ぎて行く。やり残したこと、やり損じたこと、忘れてしまったこと、思い出せないことのあれやこれや。そのようなわが思いを置き去りにして「時間」は「来る如く」そして「去る如く」である。つまり、あってなきが如くであるということ。

その「時間」とはどう考えても、或いは考えなくとも「自己の命」のことである。時間というものが自己のよそにあって、その上を私がのんべんだらりと運ばれている訳ではない。私は私という時間を戴き、創造している。その事実を命生きているとも言い、自己とも言うのだろう。過ぎ去ったかけがえのない命の積み重ねの最先端の今の有様。その、なんと遥にして深く、そして暗いことであることか。一寸先は闇、まさに冥土である。そのような娑婆を生き抜くには自己が灯となって道を切り開いてゆくしかあるまいとも思う。

そのような次第の「今」を戴いていくしか永遠に繋がる手立てはない。それが諸行無常の実相ならば、自己とはその実相であるしか逃げ場はない。実相は自己と共にある。自己は実相と共にある。
人生を急いでも得るものはない。怠けても得るものはない。得るものはないというより、既に得ている道の真っただ中であるということ。仏道が損得の問題ではない所以である。

創造してゆくべき人生とは先走ったり、後追いしたりすることではなかろう。仏道の今とは、どこまでも諸行無常の端的にしっかりと目を見開き、今を戴き命を戴き、身を施し心を施し、今に即き今を離れるばかり。

法事を終えて家を出ると既に夜の帷が降りていた。
海の上には真っ赤な夏の月が上り、帰心が自ずから募るのである。私は私の世界に還るほかないのだとつくづく感じていたことである。


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