再生への旅

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zoom RSS もの喰う音のさびしけれ

<<   作成日時 : 2013/07/31 05:03   >>

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かなかなやもの喰ふ音のさびしけれ 玉宗

七月も今日が晦日。
愈々明日からはお盆月である。
お盆のころになると自然に先祖を偲ぶようになるものだ。いのちの断絶と繋がり。人生のリレー。それはそのまま紛れもない諸行無常の端的な様子なのであるということを、季節の中で如実に実感する。お盆とはそんな時季でもあろうか。

ところで、お盆にはもうひとつのイメージが私には付いて回っている。

それは「食べることの有難さ」といったことへ収斂していく。先祖へのお供えものとして、貧しいながらも精一杯の御馳走を用意していた母の姿が脳裏に焼き付いている。先祖だけではない、生きている家族や親戚と共に御馳走を食べることの幸せ。それはまるで生贄を戴いているかの如き豪華さと賑やかさで、そしてどこか淋しい饗応であった。そこにはこの世に遺されたという現実がある。

やがて死すべきいのちを、ひととき永らえていることへの目覚め。食べることの嬉しさとやるせなさ。食べることの尊厳さ。生きていることの奇跡。そんなことへ思いが致るのもこの時季ならではのことである。

死んでいったものたちの、血と肉と土、そして志を喰うて生きている私。いのち戴き今を生きて行かざるを得ない私。死とと共にある生。やがて私もそのような世界へこの身と心を捧げなければならない。できる限り清浄なままで、死んでいった者たちの消えて行った世界へ還っていきたいものだ。それが今生を共にした者への、ひとつの恩返しでもあろうかというものだ。

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「月見草」

日を呑みし海䔥条と月見草

暮れてゆく空のあかるさ蜻蛉群れ

大の字に仰げば雲の涼しさよ

海はもうだれのものでもない晩夏

白服の叔父が立ち寄り見栄をはる

葡萄手に載せて臓腑のごとくなる

本堂の襖外せば青山河

百合の花咲いてしまつたといふ風に

晩夏光躓き易きわたくしに

真青なる空の果てより天道虫  






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