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zoom RSS 俳句の日・それがどうした?!

<<   作成日時 : 2013/08/20 05:03   >>

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忸怩たる思ひ八月十九日 玉宗

昨日、8月19日は「俳句の日」だったそうである。「それがどうした?!」と言われれば返答に窮するのであるが。

古今より世に溢れんばかりの俳句のマッスがある。
毎日俳句を垂れ流し状態の私など人のことを言えた義理でもないのだが、いったいこんなに作ってどうするつもりなんだろうと思わなくもない。然し、俳句の醍醐味は「新しみ」にあるということは、日々更新し続ける代物であるということである。「文台引き下ろせば即ち反古」本来、溜め置くような代物ではない。

世に遺る俳句。それも悪くはないが、そのような俳句を狙ってできるものでもない。生きている間に名句などと持て囃される作品というのもどうかという思いがある。それ以上に、持て囃されて生きていること自体が俳人の風上にも置けないのではないか、といった謂れのない僻み根性のようなものがある。

そうではあるが、作品は人に見せてなんぼのものということも避けられないのも事実である。作品が消えていくのか。作者が消えていくのか。私一人の取るに足らない存在は言うに及ばず、その作品の消長も又、諸行無常の出会いから外れることはない。

俳句もまた「それがどうした?」と言われれば元も子もない文芸である。腹の足しにならないのが文芸の真骨頂である。言葉を変えて云えば、元来俳句は「それがどうした?」といったいちゃもんを吹っ掛けられるようなしろものではない。どうもしない、無用の用の最たる代物であり、そのような志を匕首として生きているのが俳人なのであると思いたい。

「荒海や佐渡によこたふ天の川 芭蕉」

稀代の名句というものは「それがどうした?」などという世の毀誉褒貶や無視を逍遥と乗り越え生き伸びてきたもののことである。消えるは消え、遺るものは遺る。

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「稻雀」

香しき水の国なる稲穂かな

稲雀潮となりて飛び交へる

馬鈴薯の笑窪にまたも絆さるゝ

肉食のうら淋しさをいぼむしり

蟷螂の生まれながらにデスマスク

ててなしの拝み太郎やはぐれ雲

秋蝶の行方も知れぬ飛翔かな

忸怩たる思ひ八月十九日

癪に触る隣家に瓢箪太るさへ

秋の浜世を儚めるものばかり

無人島のパセリを一つ付け足しぬ

可も不可もなきがよかりし虫の夜








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