再生への旅

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zoom RSS 福島の悲劇

<<   作成日時 : 2013/08/24 05:21   >>

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暮れてゆく水の行方や鮎錆びぬ 玉宗

福島在住の知人がいる。
震災原発事故以前から、毎年美味しい果物を送ってくれていた。震災後も送ってくれているのだが、今年は私の方から知人を介した果樹園農家にお中元の果物をいくつか注文する予定であった。その旨を知人にも伝えていたのだが、いつもの如く夫人がいつまでも決めかねてぐづぐづしていると先方から電話が掛って来た。

果樹園農家から依頼主に頼まれて品物を送ると、ときに送った先から返品されるようなことがあるという。農家ではそのような不測の事態になる前に依頼主に送った先の方が嫌がりませんか、みたいなことを聞くのだそうである。放射能汚染の風評被害の一端である。
知人は率直に私達にも又、そのようなことを確認した。いつまでも注文しないのはそのような風評被害を心配して決めかねているのではないかという心使いだった。私達には根っからそんな思いもなく、ただ単に寺務の忙しさに感けたのと、夫人の生来的な優柔不断の結果だったのである。

そんな私たちとは比較にならない苦労の毎日を強いられている福島の人たち。未だ多くの方々が故郷に帰れぬ異常事態が続いている。原発の現場で復旧に当たっている人達もいのちを削って働いているに違いない。
だれもがなんとかしたい、なんとかしてあげたいと思っていることであろう。然し、その一方で、「原発難民」などという穿った言葉で他人事のように片付けようとする根性が私達にはないだろうか。先日来から汚染水の深刻さが報道されている。福島原発の深刻さを私たちはもっと真っ直ぐ受け入れるべきではなかろうか。将来「日本難民」という事態を懸念する識者もいる。

以前から私には不思議でならないことがある。日本政府、国民の福島原発被害の対応の歯痒さである。現場では精一杯のことをしてるであろうが、事ここに至って、東京電力という一企業の対応できる範囲をとっくに超えている。私は福島再生のために何もできない人間であるが、そのような無力な者の眼にも、日本はもっともっと本腰を入れなければならないのではないかと思えてならない。政治はこのような困難なときこそその本領を発揮すべきであろう。そんな余力もないのだろうか、今の日本には。

福島の悲劇は日本の悲劇であり、福島の再生は日本の再生である。仏弟子などという非力な存在ではあるが、そのような共生意識を持って生きていたいものである。まさに貧者の一灯である。

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「秋出水」

本堂に猫入り来る秋出水

子を産まぬ手に貰ひ受けたる茗荷の子

秋蝶のあはれ夢より覚めぬらし

ゆらめいてはちすをわたる風ありぬ

よき風のあたるところに秋ひとり

やまつみのなみだに沈む葛の花

虫籠に霧吹きかけて登校す

仏弟子になりそこねたるいぼむしり

処暑の風星より吹いて来たるかと

血を啜るごとくトマトに齧りつく





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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
共生意識〜同感です。ここは福島原発から約100キロ。妻がスーパーで売られている桃の安さに驚いていました。とてもおいしい桃でした。安くしなければ売れないのです。魚も同様、この近海の魚は獲っても売れません。ここに来てまたも汚染水、本当にいつまで手をこまねいているのでしょうか。「誰が統ぶや」と詠んだ「惨」が未だに続いているとは。

2013/08/24 08:09

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