再生への旅

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zoom RSS 「里」能登加賀吟遊

<<   作成日時 : 2013/08/06 04:39   >>

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睡蓮を巡る頭の悪さかな 玉宗

2013年夏「里」能登加賀吟遊にちょっとばかり顔を出した。二泊三日に及ぶ夏季鍛錬句会のうち、三日目の金沢兼六園内にある時雨亭句会に飛び入り参加した。
世話人である島田牙城氏からの誘いに見境もなく乗ってしまった。牙城氏も寒蟬氏も名前は以前から存じ上げていた。FBでは「いいね」の友達ではあるが、生でお会いするのは初めて。図々しいことこの上なのだが、如何にも楽しいそうな句会であったので、参加した。まあ、しょうがない。

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世を憚り生きている私ではあるが、憚らないでいられる空間が二つある。
一つは俳句の世界。もうひとつは夫人といる時間。詰まるところ私の俳句も「憚りながら、憚らない虚実皮膜」のところで遊んでいるとも言えそうだ。

実はこの数年、私は句会というものに余り重きを置いてこなかった。年に一度あるかないかという有り様である。とことん、ひとりよがりの世界で遊んでいるとも言えそうだ、というような次第で、久しぶりの生の吟行句会に参加した訳であるが、確かに偶には現場の空気の中に浸るのも悪くはないと改めて感じたのは事実。俳句の醍醐味が「新しみ」であることを違った角度から知らされた感じ。ではあるが、ナマな句会と作品そのものの「あたらしみ」は別の問題であると思っている。「俳句のあたらしみ」の本質とは、「ナマな現場での感動」が如何に表現されているかということに尽きるだろう。

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↑島田牙城さん。牙城さんは先日、FBで「俳」とは「地」の文学であるというような指摘をされていた。

<単に俳句を作る人を、僕は俳人とは呼ばない。
「俳」の人が俳人。
「俳」とは「自覚的庶民の生きる力」だと僕は理解している。
俳句とは地下(ぢげ)の文芸なのだから。>


俳句と心中するつもりらしい。只者ではない。

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↑仲寒蟬さん。「本丸といふ緑陰に逃れけり」第50回 平成16年 「小海線」で角川俳句賞を受賞している。如何にも元気を貰えそうなお医者さんである。作品も又、見るべきものを見、感ずべきものを感じている。ロマンチストとみた。やはり只者ではない。

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岡田登喜さん。「声高と叱られてゐる羽抜鳥」登喜さんも面白いが、お隣のご主人・岡田虎時さんがまた頗る面白い。その「存在感のなにげなさ」は只者ではないと見た。いい感じの夫婦善哉である。

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私にとっては皆さん結社の違う方々ばかりである。私自身、句会や俳句大会に出ることも稀な引き籠り人間。また元気に会えたらいいね。といった感じであるが、俳句の出会いも又諸行無常。一期一会のご縁である。なればこその今、ここの、いのちの輝きを一句に掬い取る作業がなくてはならない。俳句表現も又、そのような不退転の詩心を要求されていると思う。

「里」の皆さん、ありがとう。おもしろかったよ!


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◎時雨亭句会・市堀投句十五句

城下なる路地に迷へる溽暑かな

解夏の僧らしきを加へ始まりぬ

汗引くを待ちて本腰入れにけり

涼しげな風を枕や泉殿

白山をそびらに水を打つ暮らし

花合歓の峠を三つほど越ゑて

置いて来し妻の気になる日雷

初盆や暗くしづかに水流れ

汗臭き男に伍して揉まれをり

稲の香も末広がりや城下町

暑に倦みて原爆投下の日なりけり

二番子の飛び交ふ空や秋隣

金沢の用水多き秋隣

兼六園死に行く蝉にぶち当たる

能登乙女陰毛濃ゆき烏瓜






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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
いつもすばらしいブログを拝見しいろいろ教えられますので感謝いたしております。

さて私の住む町内にも公民館活動の一環として句会や歌会があります。高齢化が進み会員が激減しています。若者は入会しません。短歌のほうは私の父とその友人の校長先生が指導的立場で町内の歌会のみならず、他所の歌会にも出席しフォローしていました。二人とも他界しやがて消滅してしまいました。
閑話ノート
2013/08/06 07:26

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