再生への旅

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zoom RSS いのちの灯

<<   作成日時 : 2013/08/07 05:09   >>

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暑に倦みし原爆投下の日なりけり 玉宗

昨日は広島に原爆が投下された日である。というより投下された日を忘れてはならない日である。
原爆が愚かな人類兵器であることを誰もが知っている。知っていながら誰もがどうしていいのか分からないかのようである。人類は自らの手に余る神の火を手に入れてしまったのだろうか。それは抑止力という平和を担保するための必要悪であるという弁。それは詭弁と言うより、余りにも人類の善意や未来を過大評価していはしないだろうか。人類の愚かさに目を瞑っていはしないだろうか。平和を楯に人類は今でも争いや猜疑心を捨てることはない。平和という観念もまた一つの武器となるということか。

「繰り返しません。過ちは」

原爆は繰り返すことを赦されない武器となってしまった。誰もが愚かなことであると気付いていながら、だれもがどうする事も出来ない所以である。それをしも人類の善意と言って差支えないのなら、それはほとんど神と同じ領域の善意を真似ているではないか。

ところで、私は「人類」というものを生きてはいない。「平和」であればと願ってはいるが「平和」を楯に生きようともしていない。武器と言えるようなものは何もない素手の人生。名づけようもない今、ここの、いのちの灯を燃やしているだけである。
いのちの灯を燃やして今を生きている私。それは両親から受けついた神の意志である。神からの授かりものである。いつとも知れず引き継いできたいのちの灯。連なりながらも、誰にも代ってもらえない私かぎりのいのちの灯。比べてみてもどうしようもない世界。私は私で満たされている。わたしのいのちはだれにも汚されない。

私の人生とはそのようないのちを完全燃焼することに尽きると思っている。ありのままに、清浄に、生きる。それ以外の何をいのちに望むことができるというのか私には解らない。

広島、長崎の原爆忌。

それは私自身の中に巣食う愚かさを忘れてはならない日、争いたがる心を戒める日である。

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