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zoom RSS 俳句の公益性?!

<<   作成日時 : 2013/09/01 05:03   >>

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嘗てあり露草ほどの美しきこころ 玉宗

私は現在なりゆきで「俳人協会」という団体のその他大勢といったような会員になっている。

毎年八千円の会費を納めている会員ということで毎月『俳句文学館』という機関紙が送られてくる。つい先ごろこの協会も「公益社団法人」というものになったらしい。
そんな看板の所為でもなかろうが、件の機関紙の内容も所謂「俳句の公益性」を考慮したような、行儀のよい内容に傾斜してきていると嘯いているのは私だけであろうか。まあ、基本的には協会が何をしようか一向に構わないやくざな会員なのではある。私の感じていることもあぶれものの僻みと受け取っていただいて一向に差し支えない。

今回は世間の夏休みということもあってか、「夏季親子俳句教室」の報告記事や東京・関西・愛知三地区で開催された「公益社団法人俳人協会主催・教員のための俳句指導講座」の記事が半分を占めていた。

子供俳句というものがあり、その普及に力を注いでいる俳人もいる。今回の機関紙の一面にも「けっさく作ったよ」という囲み記事で子供の俳句十句ほど紹介されている。<ありさんがごはんをたべたらよってきた><とんぼうのかげがゆらゆら夏の池」などといった傑作?である。

また、世に「俳句甲子園」なるものがあって、恐らく企画した当初の予想をはるかに超えて、成果が出ているかのようである。俳句甲子園出身の若き注目俳人も少なからず俳壇に出て来るような時勢である。俳句隆盛、俳句の世代交代、大いに結構なことである。俳句も次代へと引き継がれていくべき「文化・文芸」なのであるという理念は解らなくはない。


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然し、私にはどうもついていけない世界である。確かに学校の教科書に俳句は載っていた。そこでは芭蕉や一茶や子規などといった有名な俳人の作品や鑑賞を教えられただけで、実作といった時間はなかった。それが今では授業のカリキュラムやクラブ活動として正式に認められるようになって来ているのだろう。学校教育も中々多種多彩である。先生とは実に才能豊かな人間であることを求められているようで同情を禁じ得ない。

私などのような出来の悪い人間には、俳句など学校で教わるような代物ではなかろうに、といった偏見がある。三十過ぎてこの世界に足を踏み入れ手を染めた私などには、少なくとも「俳諧精神」などといったものは「学校教育」と相入れないのではなかろうかと思いが抜けきれないでいる。もっと云えば、今話題になっている「裸足のナントカ」という漫画と同じほどの閲覧制限の俎上に上る世界ではないのか。

少なくとも私の俳句は小学生向きではない。お坊さんにあるまじき行儀の悪さである。それが私の俳句詩人としての批評精神なのではあるが、そのような戯言にだれも耳を貸さないし、耳を貸すに値しないクオリテイーの低い作品であるのも事実である。

んな訳で、こんなことを放言しているから、結社の主宰にもなれなければ、弟子も持てない俳人になり終わるのである。反面教師ということで御寛恕願いたい。

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「秋の川」

秋の川己がちからに押し出され

露草に露の力のあさぼらけ

朝顔の数もまばらに八月尽

骨肉の味はひにあり氷頭膾

手の届くところに秋やはるけくも

詩に餓ゑし男ありけり秋刀魚焼く

真夜中の月見る母がさざなみす

湯上がりの妻が月へと帰りたがる

鈴虫を売るには怪しげなる男

秋深く妻が後ろを通りけり






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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
たしかに「勅撰俳句集」ならぬ「国選俳句集」などが編纂されるようになったら変なものでしょうね。少なくとも山頭火などは居場所がなくなります。
志村建世
2013/09/01 22:58

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