再生への旅

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zoom RSS 柿の思い出

<<   作成日時 : 2013/10/31 05:07   >>

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掠めたるごとくに柿は喰うべけれ 玉宗


私の生まれ故郷である北海道に柿はなかった。
柿にも色々あるのだろうが、青森が北限なのではなかろうか。内地への修学旅行のとき、汽車の窓から実のなっている柿の木を眺めたときは、日本の原風景を見たような感動があった。北海道がいかにも外国のようにすら思えたものだ。内地はやはり和人の住む国だった。

故郷に柿の木はなかったが内地の親戚から毎年木箱で林檎より少し早く送られてきた。逸るように木箱を抉じ開け食べようとするのだが、いつも母に窘められた。先ずは仏壇へお供えしなければならないし、固くで歯が立たないことがあった。まだ食べるのには早すぎるという忠告も聞かず、子供たちは猿のように固い柿をぼりぼり食べるのだった。卑しい我が家ではみんな皮まで食べつくしていた。母は半月程あとに、子供が食べ飽きて残し、柔らかくなって熟したものを啜るように食べていた。歯が衰えていた母には熟柿が好都合でもあったのだろう。空になった木箱は貯めて兄と二人でベットや机を作ったりした。

林檎もそうだが、果物を食べている時というのは、なんか、人間には隙がある。母にもそれはあった。子供ながらにそんな母の人間らしさ、女らしさが嬉しくもあり、可哀そうでもあった。父は余り果物は好きではなかったようだ。焼酎があればあとは眼中になかったのだろう。男と女では果物を食べる動機が違うように思えてならなかった。それはまるでアダムとイブの神話まで遡る秘密でもあるかのように。

冬場は特にそうであるが、果物を囲んでいる家族団欒の風景が嘗て私にもあった。果物を一緒に食べているときの、あの、神様との約束を蔑ろにしているような、甘酸っぱい、勝ち誇ったようなひととき。そして、あの果肉の冷たさは、家族というものの血肉の切なさに通じていた。



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「間垣」

海へ向く間垣繕ふ冬用意

鶺鴒の用あるごとくなきごとく

わが影の届かぬ近さ石たゝき

妻留守のひとりかも寝む夜寒かな

柿吊るすきのふと似たるけふの空

雁や白山苧環実をこぼす

奥能登の空の低さよ鳥渡る

月の面を一人歩める秋思かな

うち寄する韓の流木雁渡し

白山をそびらに山の粧へり

寝ねがての月の枕辺残る虫

子を連れて狸来てゐる典座かな

厭な奴が近づいて来る焚火かな

太刀魚を提げて見舞ひを申しけり

けふからは風の町なりそぞろ寒







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