再生への旅

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zoom RSS 存在の探究者・藤田一照の世界

<<   作成日時 : 2013/10/03 04:09   >>

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遠ざかる愛の近さに曼珠沙華 玉宗

先日、宗門の北信越管区研究会が金沢大乗寺を会場にして開催され、弟子を連れて参加してみた。
それには理由があって、講師が国際布教センター所長・藤田一照老師だからである。またぞろ、少ない法友自慢なのであるが、一照さんとはかれこれ30年以前、兵庫県浜坂の久斗山山中にある安泰寺で安居を同じくした経緯があり、同部屋になったりもしたのである。一つ年上の一照さんであるが、共に20代であった、若かりし修行時代の懐かしさにいてもたってもいられなくなったのである。

安泰寺を下りてから、渡米し二十年近く道元禅の国際布教の種を播き、育ててきたのである。一照さんは今や、若き宗門の良心的存在として名を馳せていると言ってよかろう。宗門のこれからを担う牽引役の一人であることを私は疑わない。
師は安泰寺時代もそうであったように、宗門の坐禅、道元禅師の坐禅、宗教としての坐禅の参究し余所目を振らず勤しんできたのである。

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宗門本来の坐禅についての講演での一照さんの言葉で印象的であったのは「存在」「undoing」「being」というものだった。
それは「強為」というような領域ではなく、「云為」といった存在そのものに本来的反応と言っていいものである。要するに「いのちの話し」をしているのだなあと受け取ったことである。

「存在そのもの」の真相を見極め、正見することの大事さを力説する師の姿を見ていて、往時から変わらぬ探究心、純粋さといったものを感じていた。それは一照さん自身の抱えていた「存在」の「?」を「!」として受け入れていることに他ならなかった。迷うことなく、自己の抱えていた人生の問題に答を出したのである。所有の次元から存在の次元へのラジカルな転換。それこそ「真の出家」といって憚らない一照さん。

「今日はどんな話をするの?」

「わし、坐禅のことしか話せんし」

一つの道に精進してきた人間の誠実さがそこにはあった。豊かに存在するために生きている、いのちの輝きに満ちている。

存在への探究者

そんな言葉を賛辞として一照さんに送りたい。

最近の師の言葉を挙げてみよう。

<近年、日本や海外でも仏教が人生の問題を解決してくれる有効なメゾット(方法)のシステム」として注目を集め、打坐また瞑想メゾットの一つとして理解されている。しかし、仏教は、釈尊がメゾットではどうにもならない人生の現実に直面して「出家」し、メゾットの限界を知って「打坐」したところから始まったのである。今こそ、そのような仏教の原点を改めて見直してみる必要がある。さもなければ仏教が「凡夫の問題解決の道具」になってしまうのではなかろうか。>(東京新聞2013.9.21より)

師がこれからの宗門の良心的存在である所以である。

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藤田一照(ふじた・いっしょう)
1954年愛媛県生まれ。曹洞宗国際センター(米サンフランシスコ)所長。
東大教育学部卒、東大大学院中途退学、出家して曹洞宗僧侶となる。米マサチューセッツ州バレー禅堂で約18年住持として活動。著書は以下のようなものがある。

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『現代坐禅講義』 (佼成出版社)

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『アップデートする仏教』 (幻冬舎新書)

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『あたらしいわたし』 (佼成出版社)



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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
一照さんのファンである私にとって、これはたいへん貴重な記事です、ありがとうございました。
山形
2016/12/05 14:26

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