再生への旅

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zoom RSS 嗣法・密なる領域

<<   作成日時 : 2013/10/04 04:17   >>

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  外に出れば誰も行きずり秋の暮 玉宗


夏安居制中、僧堂で首座法戦式を済ませた弟子であるが、先日から師寮寺に戻り「嗣法」の加行をしている。この儀式は「室内」の「秘儀・口伝」の世界の話である。一般的に公開されることはないし、その必要もないものではある。師匠と弟子が面と向かい合い、一対一の嫡々の世界がそこにある。なければならない。


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加行一週間の間、毎日百拝以上のお拝をし、幾つかの血脈を浄書する。代々伝えられてきた法系の作法や秘儀、口伝、秘物を授ける。私が先代から受け継いだものをそのまま弟子へと渡してゆく。「室内の密行」それは秘密の密ではない。親密の密であるというのが宗門の眼目である。自己に親しく、他己に親しく、生に親しく、死に親しく、法に親しく、諸行無常に親しく、身心脱落に親しい世界。

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道は無窮である。無窮であるがゆえに今を蔑ろにはできないのである。今、成仏できなくては未来永劫に成仏できはしないだろう。弟子は弱冠24歳になったばかり。僧堂歴二年に満たない仏弟子である。それでも敢えて「嗣法」を決意したのには「仏法」を受け継ぐに値する器になったと判断したからである。「仏法」を受け入れたから「嗣法」するのではない。元来「仏法の中の自己」である。「嗣ぐ、嗣がせる、嗣がない」といった次元の話ではない。敢えて言えば「自己が自己に嗣ぐ」のである。密なる領域である所以だ。

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仏道とは何か?仏弟子とは何か?どう生きていけばいいのか?人生の一大事とは何か?
この先も苦悩し、迷い続けることであろう。然し、彼は自らの意志で仏弟子を選択したのである。どのような思惑であるにしろ究極の自己責任の世界へ踏み込んだのである。それは最初にして究極の「舎身行」である。人生で初めての「初発心」である。自己に合い初めたのである。彼はそれを成し遂げて今にある。私はそれだけの理由で「嗣法」を決定したと言ってよい。

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仏道は初心の中の弁道に収まると言って過言ではない。師匠である私がこれからも何度でも弟子に云って聞かせなければならないのは当に、「本証妙修」たるこの初心のありようなのだ。年季や悟りなど、放っておいても勝手に附いて行くだろう。それはまた迷いの元ともなるかもしれない。初心のただ中に身を隠す、不染汚の行。それこそが何ものにも替えがたく尊い。その困難さには初学も晩学もない。私は本気でそう思っている。




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「カシオペア」

家出したくて睨んでゐたるカシオペア

貴船菊想ひの丈を差し出せり

湯に浸かる如くコスモス畑にて

サフランの花には強き浜の風

学校の便所は暗し金木犀

寄り添うて癒ゆるものあり断腸花

ジャズ流れ釣瓶落しの逢瀬かな

籾焼きて煙らせてゐる夕月夜

荒びゆく断崖の風馬肥ゆる

お螻蛄鳴く暗がりにゐて痴話喧嘩






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