再生への旅

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zoom RSS 生きていく力

<<   作成日時 : 2013/12/31 05:11   >>

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おそるおそる村一番の松飾り 玉宗

さて、今年も大晦日を迎えることとなった。
平成も四半世紀を過ぎる。思えば、十年一日、百年一日、千年一日の如きお坊さんの日暮らしである。既成仏教の枠組みの中で過ごしているのであるが、世の中の変遷ぶりを見るにつけ、正直なところ、ときどきこれでいいのかと、お寺の在り方に懸念が湧くことがある。貧しいながらも世過ぎのための寺院経営。私はそれを恥じているのではない。世の中とは人それぞれ、自分に見合った殻を探し、背負っていきていると思っている。自分に見合った理想を抱き、自分に見合った現実を手に入れている。

その殻が余りにも現実離れしているのではないのかと。百年前と大差の無い生き方なんて、早晩行き詰るのではないのかと不安が過ることがある。弟子が同じ道を歩み始め、後継者となる日も来るのだろうが、彼が住職となる頃の社会とは、如何なる変容を遂げているのかと思う。彼はそれに応じた仏道の生き方ができるだろうか。世過ぎを憚らない生きる力を持っているだろうか。

とまあ、いつも、こんな感じの一抹の不安を抱くのではあるが、結局なるようにしかならないと割り切ってしまうのが常なのである。十年後の社会の様子など、世間知らずの私のような人間には分かろう筈もない。分かろう筈もないことを割り切ろうとすることに無理がある。やはり、なるようにしかならないし、なるようにしかならないところで逞しく適応する人間力こそ育てなければならない。

生きていく力、それはいつ、だれが教えたとも知れず備わるもののようではある。親だけではない。自分の出会っている世界が全て、わが師であり、鏡であり、生きる力なのである。力とは内と外との均衡関係から生まれるもののようではある。自己や社会の矛盾にへし折れているようでは覚束ない。矛盾を生きることになんの遠慮もいらない。忘れてはならないことは、だからこそ生きることに謙虚でなければならないということだ。

平成二十五年も終ろうとしている。顧みてこの一年、私はどれほど他者へ生きる力を施しただろうか。家族へも隣人へも、悪人へも善人へも、知人へも第三者へも。どれだけ生きる力を施したであろうか。私にそれは解らない。分かろうとする筋合いのものでもない。然し、ただ言える事は、それはおそらく私自身がどれほど生き生きとしていたかと無関係ではないだろうということだ。生きる力、それもまた施さなければ与えられないものなのである。

皆さん、佳いお歳をお迎えください。合掌。

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「年の夜」

年の夜の蠢く闇と契るなり

待つことのしづけさにあり年の夜

腑に落ちぬこともうやむや年忘

うらぶれてしまへり餅を喰ひ過ぎて

風音のやがて雪来るしづけさへ

水仙を活けて信心あかるくす

虎落笛風に潮のありにけり

餅配り風に吹き飛ばされぬやう

年の瀬のうら淋しさを出歩きぬ

夜半の風ひたと止みたる晦日蕎麦

除夜詣星を鳴らしに行かんとす





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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
今年もありがとうございました♪

いつもおろおろしながら、気づくと年末になていて、ちゃんとお正月がきて、本当に不思議です。

ここでのお話は、居場所を改めて確認したり、戒めになったり、励ましになったり、はるか遠くのお寺の様子も拝見して楽しんでいます。


穏やかで明るい新年になりますように♪
kingyo
2013/12/31 09:27

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