再生への旅

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zoom RSS 今日の諸法実相・一如の世界

<<   作成日時 : 2014/01/28 19:27   >>

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兎の目愛といふにもほどがある 玉宗

寒行托鉢も節分まで、あと一週間を切った。

寒の入りからの行持であるが、始まる前は色々思うこともあるが、始まってしまえば「行」そのものに運ばれて日が過ぎていく。どんなに貪っても、或いは惜しんでも、或いは放っておいても私の思いを難なく越えて時は過ぎていく。いのちは流れていく。生まれてきた時も、生きている今も、そして死んでゆくその日も、いのちは私の思いを遥かに超えて諸行無常するであろう。諸行無常に取りつく島などありはしない。

過去というもあってなきがごとく、殆どないに等しい。未来もそうである。今とは何か?

「如来」とは「来るが如し」と書く。「如去如来」とは諸法実相の別名である。仏のあり様も又「来るが如く去るが如く」といった按配。「如」とは「似ている」というより「比べようがない」というような意味合いだろう。比べようがないから「一」とも言えず、「来る」とも言えず、すべてが「絶対・そのもの」であるばかりだということ。それがほかでもない「今」の実相。「今」という諸法の実相、「今」という実相の諸法なのであるということ。

「如」とはなり切ると言うことでもあろう。諸法は全て「絶対」になり切っている様子なのであるということ。大迷は大悟の如し、一如なる故に。生死は涅槃の如し。一如なる故に。大迷は大迷の如し。一如なる故に。生死は生死の如し。一如なる故に。

滞るところがなければ、常に「今」という事実があるばかりであり、承当の端的が如是あるばかり。一如の世界。ありのままの世界、諸法実相の世界。どれもこれも自己が自己のいのちを真っ直ぐに頂いている様子を言っている。だれもが比べられない世界を生きている。人を羨み、蔑み、誹り、殺める理由が本来的にないのである。いのち本来の面目に生きることを自戒という。これが大乗戒の面目であろう。ひろやかで、のびやかで、こだわりない世界。それをしも自己の正体とは言う。そこまで解放されて初めて自己は徹底自己であるばかりだと言い得るのである。


「魚、水を行くに行けども水の際無く、鳥、空を飛ぶに飛ぶといえども空らの際無し。」正法眼藏・現成公案
「水清うして地に徹す、魚行って魚に似たり、空闊うして天に透る、鳥飛んで鳥の如し」正法眼藏・坐禪箴

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「軍港」

蝋梅に塵なき空の青さかな

実南天祈りはかなく撓みけり

十字架を担ぎし恋の猫背なる

海光へ爪先下がり蜜柑山

冬菊の花のともしびほのかなる

白鳥のひそやかにして輝ける

せうがない顔して猫のさかるなり

軍港の如く白鳥来たりけり

福耳の聴きとどめたる笹子かな

一族の闇が囲める榾火かな


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「日向ぼこ」

人生に萎えたる順に日向ぼこ

冬晴や頤に日のさざ波す

暮れてゆく水の行方や鴨の声

探梅やもの言ひたげな土不まず

春を待つ尻尾のような思ひあり

炬燵から祖父を引き摺り出す用事

炉明りに浮かぶかんばせありにけり

湯豆腐や妻も娶らず弟子持たず

何はなくとも年金手帳寒卵

ふるさとの海のしよつぱさ三平汁



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「草城忌」

草城忌艶なす雨となりにけり

うたかたの空にひとはけ冬の虹

実南天これみよがしにたわわなる

龍の玉空を欺くものもなし

鳶の笛能登のしぐれの上がるらし

狐火や母に泪の谷間あり

氷柱手に父を諌めにゆくところ

寒雀潮をなして飛び回る

逃げるとも遊ぶとも見え寒雀

海を苛む雲の低さよ鰤起し

鱈船の沖より高き波がしら

寒さうな男が通る鴉かな






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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
玉宗さん!ご無沙汰しております。風のえつこです。
Facebookに玉宗さんを見つけてメッセージを入れてあります。よろしくお願いいたします。
えつこ
2014/01/29 15:52

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