再生への旅

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zoom RSS 方便現涅槃・嘘も方便について

<<   作成日時 : 2014/02/22 19:50   >>

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反古くべて春の焚火を育てけり 玉宗

世の中、何がホントで、何が嘘なのか分からなくなることがしばしばある。「嘘も方便」という言葉もある。
「嘘も方便」と「嘘は方便」は異なるであろうし、本来「嘘も方便」は、「」がこの言葉の眼目であると考えている。

方便」は仏教用語であり、悟りへ近づく方法、あるいは悟りに近づかせる方法のことである。「方便」はサンスクリットのウパーヤの漢語訳であり、「接近」「到達」「手段」「方策」などが元々の意味であるという。仏教用語としてのウパーヤの「近づくべき目標」は、最初の意味としては、仏あるいは悟りであることは言うを俟たない。

原始仏典に見られる逸話 「キサーゴータミーの譬喩」には、釈迦が、我が子を亡くしたキサーゴータミーという女性に対して、「死者を出したことの無い家からカラシの種をもらってきたら、その子が生き返る薬を作ってあげよう」と言う場面があり、キサーゴータミーは家々を回り、どの家にも生老病死というものがあることを知って、釈迦の弟子となっとされている。

また「アングリマーラ経」には、難産で苦しむ妊婦を勇気づけるために、釈迦が、出家以前は殺人鬼であった弟子アングリマーラに対して、「女人よ、私は、聖なる生を得てからこのかた、故意に生きるものの生命を奪ったという覚えがない。その真実によって、あなたに安らぎが、胎児に安らぎがあるように」と言うように命じる場面がある。妊婦はその言葉を聞いて苦痛を和らげることができたという。

上記の逸話はいづれも、釈尊が場合に応じ、「真相」へ「近づける」為に方便を用いていたことを表している。「真相」とは何か?仏教にとってそれは「救いとなるべき実相」であろう。

方便現涅槃」という経文の一節がある。「方便して涅槃を現ず」。「涅槃・悟」へ至らしめんが為に「方便」を用いるというもの。釈尊が涅槃を示されたことにより、私は命の有限であることを悟ると共に、如来の寿量が無辺であること、私が如何に煩悩まみれであるかをも知らしめている。

「方便」とは「一超直入如来地」とか「方便門」といった言葉があるように、本来余所見をせずに目的地へ直参するための手立てであろう。「方便」が「単なる嘘」となり当事者を更に惑わすのではなく、「実相」へ導いてくれるものであるかどうか。つまるところ、そういうことになりそうである。


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「いきほひ」

人の世に少し疲れて鳥雲に

月光の鳴り出す森の巣箱かな

暮れてゆく空のあかるさ古巣見え

公魚のさざ波立てるバケツかな

旅立を控へて春の浜辺まで

生きること余暇の如くにあたたかし

春大根抜いてくれろと云はむばかり

防風や沖遠くして恋ふるもの

人生の勢ひ余り梅を見に

大勢は変へやうもなくいぬふぐり





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