再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 今日の以心伝心・ありのままとは何か?!

<<   作成日時 : 2014/04/13 06:54   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


木蓮の空に翳するものもなし 玉宗

「ありのまま」という言葉を分かり切ったことのように使っている私であるが、それは恰も「わたし」というものを分かり切ったもののように言いもしていることと同様な難解さの上に成り立っている。どちらも分かり切っている割には、それにいつまでも惑わされ、且つ人を惑わしている妙な構図が見えて来る。分かることより大事なことがあるとでもいうような。

命生れて生きて死んでゆく、生老病死なありのままがある。避けて通れない存在の条件がある。本来的に手のつけようがないありのままがある。私のないありのままなる諸行無常がある。ありのままを問題にするのは、あくまでありのままでない現象世界をクリアーしていかなければならないねじれた世界が私にあるからだろう。欲望の暴走や執着の惹起する息苦しさ(生き苦しさ)がある。

仏道がありのままに生きることを奨励するのは、欲望のままに生きることの危うさを勧めている訳でもなかろう。誤魔化しの利かない因果律の中で如何にして自在に生きていこうかという話である。誤魔化しが利かない世界であるからこそ自己を調えなくてはならないという現実がある。発菩提心がある。一大事因縁がある。いのち大事に生きる智慧がある。

成仏とはいのちに何かを付けたしたり、差し引いたり、特権を与えたりすることではない。生老病死を生老病死として、諸行無常を諸行無常として、今を今として、存在を存在として、自己を自己としてあらしめる。そのような本来のいのちを生きている。いのちの本来性を生きている。ありのままとは、本来という実に手のつけられないなんともなさのことを言うのである。

人生の目的は欲望を叶えることであることを否定はしないが、何事も過剰であると消耗も早いものだ。放っておいても死ぬまでは生きている命である。ありのままに生きる人生とはいのちエコなる生き方でもあろうか。


画像


「閃光」

菜の花が記憶の如く閃光す

春泥に影の生まるゝ被爆かな

まだ風の荒びを知らぬ蓬摘む

あしびきの山の裾野の花祭り

傾城の枕もならず夕桜

我は誰そ春夕焼けの影を曳き

風といふ気儘なものが春を呼び

ものを煮る如くに代田掻きはじむ

鹿はみな女体とおもふ春の闇

猫柳きれいな音の水流れ

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
今日の以心伝心・ありのままとは何か?! 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる