再生への旅

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<<   作成日時 : 2014/04/02 06:45   >>

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花の世を面影にして蝶眠る 玉宗

先日、数少ないわが俳句教室の生徒二人が弔句を出すので添削してくれと持ってきた。故人は私も個人的にお付き合いのある地元では名のある俳人の奥さま。
金沢では昨日、桜の開花があったらしいが、輪島は私の見るところまだ一週間は掛りそうである。初花を眺めることもなく故人となられたのである。

地元の俳句結社の名誉顧問の立場にある主人は、以前「花の百句」という桜俳句の小冊子を出されている。私の父親みたいな方ではあるが、日の目を見ない角川賞作家でもある私を可愛がってくれて、多くの作品の中から百句を選ぶ作業や本の序文を依頼された仲でもある。檀家ではないのだがそのような縁もあって主人より導師を依頼されていた。故人となった奥様も俳句を嗜んでいたこともあり、私も弔句「剩さへ今宵は月も朧なる」「花の世を面影にして蝶眠る」の二句を献じたことである。故人は長く人工透析をされて八十四歳の天寿を尽くされた。昨日のお通夜では桜に因んだお説教をさせて戴いたことである。

桜の花にいのちの在り様を重ね合わせ、人生を学ぶ伝統がこの国にはあろう。花だけではない。山にも空にも海にも、自然界はもとより、ありとあらゆる現象非現象に学ぼうとする魂があろう。それはそのまま人としての諸行無常のいのちを如何に引受けていこうかという人生の姿勢ともなる。仏道的にもそれは全うな在り方であろう。仏道とは一度きりの、掛け替えのない、初めての人生をどのようにして戴いていくかという話である。そして理屈だけでは割り切れない実相を身にも心にも目覚めさせていく実践であり、ありのままに生きる覿面の話である。

花のいのちの潔さ。儚さゆえの美しさ、哀しさ、虚しさがる。そして儚く、無私なるが故の逞しさ、やわらかさ、こだわりのなさ、ひろやかさ、なんともなさがある。いのちは光りと影を兼ね備えている可能性そのものである。生は死を俟つことによって生足り得、死も又生を全うすることによって死を現成できる。その領域に私という観念は入り込む余地はない。矛盾なる存在ゆえの生きる力。

生には生の今現成の成仏があり、老には老の今現成の成仏があり、病には病の今現成の成仏があり、死には死の今現成の成仏がある。生老病死、いつもなんともないいのちの今があるばかりなのだということ。誰もが初めての自己のいのちを戴き歩まなければならない。人生とは学びの旅そのもである故でもある。そして諸行無常に学ぶとは、つまり、そのような真相の自己のいのちをあきらめず、腐らず、貪らず、あるがままに生きることに他ならないだろう。それをしも成仏とは言う。いのちにそれ以上の何を期待してよいのか私には解らない。


もうすぐ花の世の出会いとなる。遺されたご主人もめぐる季節の中で故人を偲び今の自己に出会えることであろう。というより、まるで亡くなった奥さまが、桜の好きな夫に寄り添うための長逝だったのではないかと、導師をしながら思ったことである。合掌。



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「風光る」

光りつゝ錫ふるごとく風ながれ

万愚節臍がため息吐く日なり

甘えたき母も仏の草の餅

泥の夜に念仏申す蛙かな

子の瞳覗けば星の犬ふぐり

納骨を終へて楤の芽摘みにゆく

墓石をずらさむとして囀りぬ

解つても解らなくてもあたたかし

白木蓮の空に溺れてしまひさう

春日傘三行半の日和かな





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