再生への旅

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<<   作成日時 : 2014/04/10 05:17   >>

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転生のこゑをかぎりや山桜 玉宗

永福寺の裏山は鳳来山とも観音山とも呼ばれている。
以前は桜の名所で知られていたが、最近では地元の人も花見に登ってくることも少ないようだ。輪島は花どきと言っても風がまだ冷たいときがある。鼻水垂らして花筵を引いて一日宴に興じることもないのだろう。花見の観光地も多くあり、車があれば好きなところを選べる時代である。その桜も咲いている期間は短い。あっという間と感じることがよくある。いつの間にか葉桜になって落胆したりする。

花と一緒に葉っぱが出て来る山桜は確かに野趣に富んでいる。
生れ故郷である北海道の桜と云えば山桜が思い出される。北海道の開花は五月。桜だけではない、躑躅なんかも時季を同じくして一斉に咲きだす。私には家族で花見をしたという思い出がない。花見のころには畑仕事もまた本格化するからだ。それは母の役割であったし、父は父で冬場の挽回をするかのように春の海へ出て漁をしていた。両親とも花見どころではなかった筈である。それでも子供には放任主義的なところがあって、春の山や海へ行っては遊び呆けていた私であるが、桜と遊んだ記憶はない。桜は大人の花であるというのが私の実感であった。

まあ、いろんな意味で桜は、なんか、切ない花ではある。
華やいでいるようでいて、人を寄せ付けないよそよそしさ、冷たさ。見ていてなぜか落ち着かない花である。人間が思いを寄せ過ぎたのではなかと哀れになったりもする。神話や歴史や鎮魂や大和心などの象徴としての存在。諸行無常の文脈から逃れなられない宿命の花。そういう意味では酒を呑まなければとてもまともに付き合えないようなところがあるのかもしれない。花見酒にもそれなりの理由があったのだろう。私は酒というより花より団子ではあるが、素面で桜と真向かえる人は、人間らしさに欠けるという意味で信用できない、と言っては云い過ぎかな。


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「山桜」

空をゆく風のにほひや山桜

生きてきた二人の桜なりしかな

咲き満ちて骨の寒さのさくらかな

拳ほどの杜の古巣を拾ひけり

囀りの杜の火葬に立ち会へる

かたくりをさざ波わたる山の風

朝寝して鬼の淋しさ味はへる

雛罌粟の花のかんばせ流れゆく

陽炎の向かうに燃ゆる棺かな

山吹の抜き差しならぬ花の色






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