再生への旅

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zoom RSS 興禅寺花祭り・いのち戴きます!

<<   作成日時 : 2014/05/16 14:30   >>

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肉叢に残る若葉の冷えなりし 玉宗

境内も初夏の花を咲かせ始めた。外は青嵐といった風情のお天気。若葉なした草木がけもののようにゆらめいていた。今日は興禅寺の花祭りだった。
法話では生まれてきたことの意義といったことについてお話したことである。

「さくらの花にいのちのあり様を重ね合わせ、人生を学ぶ精神的伝統がこの国にはあるようです。花だけではなく、山にも空にも海にも、自然界はもとより、ありとあらゆる世界に学ぼうとする魂。それはそのまま人としての諸行無常のいのちを如何に引受けていこうかという人生の姿勢ともなります。

花のいのちの潔さ。儚さゆえの美しさ、哀しさ、虚しさがあります。そして儚く、無私なるが故の逞しさ、やわらかさ、こだわりのなさ、ひろやかさ、なんともなさがあります。いのちは光りと影を兼ね備えている可能性そのもの。生は死を俟つことによって生となり、死も又生を全うすることによって死となり得ます。その領域に私の都合は入り込む余地はありません。

矛盾なる存在ゆえの生きる力。生には生の今現成の成仏があり、老には老の今現成の成仏があり、病には病の今現成の成仏があり、死には死の今現成の成仏があります。生老病死、いつもなんともないいのちの今があるばかりなのだということ。それを成仏とは言います。お前はどっちを向いて生きているのかと問われた時、わたくしどもは仏の方を向いて生きているのだと言い得るのです。つまり、信仰を持って生きている人間とはおのれのいのちを真っ直ぐ戴いていこうとする人間のことを言うのです。

誰もが初めての自己のいのちを戴き歩まなければなりません。人生とは学びの旅そのものです。そして諸行無常に学ぶとは、つまり、そのような真相の自己のいのちをあきらめず、腐らず、貪らず、あるがままに生きることに他なりません。それこそが生きる醍醐味であり、意義ではないでしょうか。いのちにそれ以上の何を求めてよいのか私には解りません。いのち、お大事に。合掌」


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「鵜舟」

瀬をはやみ月に落ちゆく鵜舟かな

船縁を叩き疲れ鵜励ませり

蝙蝠の夕べ鵜飼の始まりぬ

鵜篝の火の粉飛び散る早瀬かな

国盗りの裾野を巡り鵜飼舟

鵜篝や油めきたる長良川

闇よりもか黒き荒鵜飼ひ馴らし

金華山月影となり鵜飼果つ

生臭き水の匂ひの鵜匠かな

火の粉浴び鵜匠烏帽子の穴だらけ










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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
子どもたちが小さいときからこういう行事に参加できるのは素敵ですね。ご住職様のなさっていること、いつも垂涎の思いで拝見しております。
私も今日は坐禅会です。例の古刹で。まだ宗務庁からの僧堂としての全面的な活動の許可はおりていないようですが。
くろちゃん
2014/05/17 07:43

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