再生への旅

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zoom RSS 今日の羊頭狗肉・私の俳句人生

<<   作成日時 : 2014/08/28 20:56   >>

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地蔵盆日暮れて遊ぶ声がして 玉宗

数年ぶりに角川『俳句』編集部より原稿依頼が来た。
角川賞60周年記念特集号の企画で、歴代受賞者の新作7句と感想文。特集では全受賞作品が掲載されるらしい。因みに、私は平成7年、第41回受賞で、当時39歳であった。俳句を本格的に始めていた訳でもないのに、何を思ったのか、僧堂安居中にも関わらず50句応募。忘れたころに受賞の連絡が来た。当時の感興については原稿を送ったので割愛する。

受賞後、角川の『俳句』や『俳句研究』『俳壇』などの俳句総合誌や、新聞数社から俳句の依頼があったものだ。そのようなことも数年続いたが、ちやほやされる事もなく、流行作家になる訳でもなく、結社の中で細々と句作りを続けて生き伸びていたのである。所属した結社もいくつか渡り歩き、現在は「栴檀」「竅vに所属している。十年ほど前から俳句総合誌は一つも購読していない。写生を実作の基本と心得てはいるが吟行句会というものも年に一回あるかないかである。殆ど、ひとり吟行である。実力がものをいう世界だと思いつつも、ときに怠けて、ときに押されて、だらだらと今日まで俳句を作り続けてはきた。その多くは自己類想の山であり、取るに足りない月並俳句の山。

生業に関わるところで些か不如意な歳月が続き俳、真面目に俳句へ傾注できなかったこともあるが、それもまた言い訳に過ぎない。いつでも、どこでも、どのような境遇でも、それなりの俳句は出来るものであろう。要はこころざし次第である。今になって、そのような当たり前のことに気付くのである。まあ、これだけでも並の俳人であることを語ってはいよう。

お坊さんをしているという事だけではなく、性格的にも人見知りで、恥ずかしがりやで、臆病で、そうでありながら自分にも天才があるに違いないとの迷信から中々抜け出せないところもある。そして、人間垂らしの面もあり、当初より人様の前に出ることを憚る傾向があった。こう見えて人を余り信用しない傾向がある。今もそれは変わらない。人と遊ぶより、自然の中でひとり遊びをしているのが楽しい。生きていくのがつまらないくなったりすると、妻に愚痴を言ったりするのが関の山で、その上げ句に俳句を作っている様なところもある。大会と名のつくものにも数えるほどしか出たことがない。そうでありながら、私の俳句はお坊さんらしからぬところが大いにあるらしく、生臭坊主と陰口を叩かれているのかもしれない。いづれにしても作品として甘くては話しにならないことは言うまでもない。本業であるお坊さんの世界もまたそうであるように、表現の世界もまた厳しいものである。もうひとりの客観的な?自分を育てることがどうしても欠かせない領域である。

私にとって角川賞受賞から現在までの歩みとは、俳句のなんたるか、俳人のなんたるかを学ぶ月日でもあった。今もそうであり、そしてこれからもそうであろうと思っている。私の中では仏弟子でありながら俳人であることに何の後ろめたさもない。私の仏弟子としての生き様と、俳人としての生き様とは市堀玉宗という人間の裏であり、表であり、且つ、裏でも表でもなく、一つのものであるとしか言いようのない何ものかである。生きるとはついに一つの表現である。

「俳」とは定型詩に生きる世捨て人の覚悟の謂いであると思っている。徒食の類にも五分の魂があるということだ。不易と流行。人に認められように認められまいが、それは大した問題ではないとたかを括っているようなところもある。腸の句を引っ提げて生きて、そして死んでやろうと思っているようなところがある。


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「文月」

鶏頭の咲くといふより噴火せり

泣けるだけ抱ける野菊を所望せり

嫁がざる姉が二階に天の川

自然薯の紆余曲折をわがものに

なんとなく餓ゑと大差のなき秋思

文月や家族といふも夢たがへ

手すさびの旅の途中やねこじやらし

月満ちて猿の腰掛あるばかり

人生をこんがらがつて烏瓜

かうしてはをれぬとばかり秋蝶が

うれしくてならぬとばかり稲雀


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「仏弟子」

小鳥来る仏弟子といふ旅人に

装へる山より僧を送り出す

参籠の枕が下やつづれさせ

秋灯下僧となる子の衣たゝみ

糠床の眠る月夜の土蔵かな

頻尿や丑三つどきの月影に

紫蘇を揉む不殺生なる白き手が

怠けをる作務僧の手に子蟷螂

猿酒や跡形もなく生きて死に

送行の荷を枕辺に眠るなり

妻や子を泣かせ山芋掘る男

鐘の音や銀河の森の彼方より



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「風の声」

外に出ればおのれむなしき秋の声

曇天にひとり気を吐く百日紅

血の色の秋海棠や乙女さび

冬瓜や夢にみる母声なくて

たらちねの顔うすれゆく野菊かな

萩に風半ばなげやりにして吹かれ

葛咲いて無礼な風の吹くばかり

肩肘を張らねば止まる蜻蛉かな

つくばねを妻が栞と手折りけり

秋風や五百羅漢の泣き笑ひ

秋燕や風を遮るものもなし

撫子に聞こえぬ風の荒びあり

コスモスが咲いてどうでもよくなりぬ



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