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zoom RSS 今日の詭弁・親ばか月光仮面、その正体は?!

<<   作成日時 : 2014/11/11 20:40   >>

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頬被りして父といふならず者 玉宗

弟子の名前が戸籍上と得度名とが違っていたため、今回改名手続きをすることにした。
戸籍の変更や実印登録等の申請以前に家庭裁判所での申立てをせねばならない。実は、私自身も三十年以上も前に改名するに当たって裁判所に出向いた経験がある。その折は簡単にその日のうちに手続きが済んだ覚えがあった。今回の弟子の場合も半日で済ませるだろうとたかをくくっていたのだが、どうしてどうして、弟子が二回裁判所に趣き、今日は郵送で申立書と陳述書が同封されて来た。記載して返送しろというのである。因みに返信封筒に切手は貼られていなかった。内容的には前回弟子が書面で申し立てたものと大差はなかったし、前回は宗門からの証明書も添付しているのである。なのに今回またこんな文書をよこすなんて。プチ、切れた瞬間、見境なく裁判所に電話していた。すると担当者は休日なのかなんなのか留守で話しにならない。埒が明かないし、とにかく書類に記載して送ってくれの一点張り。

ひとくさり云いたいことをしゃべりまくったが、今回は本人でなくともよかったので、しぶしぶではあるが師匠である私が陳述書を添えて書いた。そして日暮れ前に直接裁判所に出向いて窓口に置いて来た。だって、切手が貼っていないのだもの。

「一応書いてきましたが、これで不十分なら私が明日でも担当者と面会して陳述させて頂きます!んじゃ、よろしくお願いします!」

とかなんとか言って早々に帰ってきた。
オーム事件以来なにかと宗教法人には監視の目が厳しくなったようだが、お坊さんの改名手続きにも影響したのではないかと一人勘繰ったことである。それにしても、役所の手続きって無駄が多くない?合理的過ぎて間が抜けているといいうような感じしない?というか申請する側が間抜けなのか・・・。

というような次第を夫人に報告すると、案の定、

「親ばかにもほどがある!!」

今回の裁判所だけではない。夫人にそう云わせ嘆かしめるだけの過去の愚行が私には幾つかある。それはもう殆ど「モンスターペアレント」と云われる筋合いのものと同等であろう。分かった風に説教こいてはいるが、その実体は恥ずかしい限りの親ばかではある。ここだけの話し、時々、わかっているけどやめられない、みたいな喜怒哀楽の煩悩の洪水が押し寄せて来ることがある。

長女がまだ小学校に上がる前だった。境内に生えていた「蝮草」っていうんですか、赤くなった実だか花だかを舐めてしまった。美味しそうにでも見えたのだろうか。その辺の食い意地は親譲りかな。舐めたら舌やらなにやら口内がひりひりしだして、泣きだした。夫人は慌てず騒がず牛乳を飲ませたりして、応急手当をしたらしいが一向に泣きやまない。見るに見かねて親子三人で病院へ駆け付けた。幸い親が騒ぎ立てるような筋合いのものでもなかったらしかった。それにしても対応して下さった若い医師の、無知な親ばかぶりをあざ笑うかのような生意気な態度に激高し、啖呵を切ったのが最初だった。

その長女が学校に通い出し、急に成績が下がりだしたことが納得できず、学校へ趣き担任と面談。如何にも成績が下がったのは教師の所為だとして譲らず交渉決裂したこともある。小学生の長男が柔道教室に通い始めては帰りが遅すぎると難癖をつけて止めさせたりもした。そのほかにも大の大人らしからぬ親ばかぶりを発揮してきたわけだが、さすがに還暦近くまで生きてきて、その馬力にもブレーキが掛って来た昨今なのではある。

それにしても、親ばかの主題とは離れるが、世に先生と呼ばれる人を殊更に毛嫌いしている訳でもない。
だが実際のところ、どうも、権威に笠を着たような人物や金にものを言わせているみたいな奴や、束にかかって生きることしか脳のない輩や上から目線の役人や人を小馬鹿にしたような営業マンにはそれ以上の上から目線で喰ってかかるか癖がある。ほとんど野良犬。殆ど狂犬。まあ、然し、その実体も、負け犬の遠吠えであることはもう底が知れているけどね。やましいところなんて一つもないと見栄を切って生きているつもりではあるが、負け犬の遠吠えには存在していること自体をやましいと自認しているような後ろめたさがないことはない。何故か知らんけどね。

こんなアホなお坊さんだから、雲水修行中は云うに及ばず、僧堂に出仕してからもその馬力は衰えをみせなかったものである。いいはた迷惑ではあっただろうし。いや、はた迷惑だけではない。因果応報。その業は巡り巡って今のわが身に還っている。住職になって裸の王様みたいなものではあるが、友達が少ないことには変わりない。挙句の果てに俳句に遊んでいるようなところがある。底の知れない人物というのも気持ちが悪いが、底の知れた人間というのも始末には悪いもんだよ、われながら。

親ばか気取りには月光仮面になったような自己陶酔がある。然し、その実体は上述に如き、オッチョコチョイ、単細胞の正義感を振りまわしているに過ぎないのであった。お釈迦さまや良寛さまのように懐深く、慈悲深く、淡々と生きていくことに憧れてはいるんだけどね。



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「罪過」

留守がちの神を妻とし娶るなり

返す返すも腹に据えかね柿貪る

逃げてゆくやうに転がる蜜柑かな

綿虫の尻に罪過のごときもの

北窓を塞ぎ人生背負ひこむ

雪吊りの縄緩びつゝ張りつめて

蕎麦掻のはり合ひのなき味がよし

拗ねたるが如く湯婆押し遣りぬ

面影を沖とし山の眠るなり

裏山に枯れ木ばかりのわが砦










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内 容 ニックネーム/日時
親ばかでいいんだと思います。私の母はそうです。
中学生の時、いじめられていましたが、報復が怖くてなかなか言えずにいたのですが、、、母が学校に乗り込み、担任と直談判。恥ずかしさもありましたが、母が担任と話してでさえ、「この子(いじめてた子)がこんなことするハズがない!!」の一点張りで埒が明かず、学年主任も呼びつけての話になりました。
自然の家(林間学校みたいな感じ?)直前のできごとでした。『このまま自然の家に行かせると、とんでもないことになるのでは?』との判断だったようですが、親の勘は正しかったようです。自然の家で夜中にひどいことをする計画が明るみになりました。

小さな町の出来事ですので、このことは高校まで色々と噂が噂を呼び、友達もあまりできませんでしたが、親には感謝しています。

大学に出るのと同時にたぶんある程度の親離れ・子離れしたと思ってはいますが…。というより少し自立しただけかもしれませんが…。

職場では大学生を持つお母さん世代と働いていますが、子煩悩な方は親ばか・過保護だと思います。私の両親もかなり大事にしてくれていますが、まだまだ上には上がいると感じるくらいです。

子供の視点から言えば、親は尊く、越えたいと思いつつも越えることなど到底できない目標のような存在でもあります。
しぃ
2014/11/12 21:43

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