再生への旅

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zoom RSS 今日の五里霧中・やがてかなしき同窓会?!

<<   作成日時 : 2014/11/14 19:12   >>

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波の上を走る夜の風雪来るか 玉宗

生れ故郷の函館の幼馴染から中学校の同窓会案内が来た。

卒業後42年が過ぎて、来年は還暦となる。そのお祝いもかねての同窓会とのこと。いずれにしても卒業後一度も同窓会と名のつくものに出席したことがない私である。忘れられもせず案内の葉書が届いたことが妙にうれしく、そして切ない。できることならこれが最後と出席したいのだが、如何せん正月二日はお寺を留守にすることができない。年末年始の忙繁期、というか小さい寺ながらも行事が決められており、留守にはできない宿命がある。よりによって、こんな時期に同窓会もないだろうと思うのだが、同級生には地元で漁師をしているものも多く、盆正月は休みと決まっている。そんなことを考慮しての日時なのであろう。

まあ、実家も既になく、地元を出てお坊さんをしている私に不満を言えた義理もないのだが、これが最後かと思えば残念至極ではある。今度故郷に出向くとしたら従兄弟の葬式で帰るときぐらいかな。因果な商売、いや生き方をしたもではある。ふるさとを出るということは、つまり、一つにはこのような事態も想定されるということなのだね。そういえば角川俳句賞六十回を記念しての歴代受賞者を一堂に会しての新年会も一月の中頃だった。寒中は住職になって一度も欠かしたことがない寒中托鉢の行事があり出席できそうもない。そんなこんなで大いに義理を欠く人生を送っている。

住職を引退したら自由気ままに外出もできるかもしれないが、そんな頃は、浦島太郎ではないが、幼馴染もいなくなり寂しいこと極りない旅になりそうだ。それよりなにより、わが寺など生涯現役で仕えていかなければならない骨山ではある。人並に余生を気楽になんて、望むべくもないだろう。それもまた可ならんか。

どこに生きてもそこが故郷。そこが出発。そこが最果て。そこが極楽。そこが地獄。遠くて近い故郷。遠くて近い自己の正体。逃げることも、捨てることもできない今の一大事があるばかり。そこを極め尽くすことを仏弟子の人生とは言うのであり、出家したということはつまり、そういうことだったのである。人生どう展開するか解らんが、愚痴の人生を送るのか、常に眼新しく生きて行くのか、試されているには違いない。仏弟子としての夢を以って前後に拘泥せず生きていきたいものではある。

どこの馬の骨とも知れぬ身ではあるが、人生に無駄骨はないと信じている。


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「冬菊」

冬菊のひかりに眩む眼かな

木漏れ日をあつめて冬の菊にほひ

綿虫の消えてなくなるやうに舞ひ

人と会ふこの道銀杏落葉して

戸隠の旅の蕎麦掻わけ合へる

小夜更けて眉を濡らせしおじやかな

湯豆腐にほろほろ舌を転がして

蹲に鼓をなして初霰

山茶花の空は淋しと鵙が来て

茶の花や雲中に日のうすうすと

冬菊を抱へし胸の匂ひけり



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「うみひこやまひこ」

海彦山彦いづれ淋しき冬はじめ

海山に風揉み合へる寒さかな

月冴えて夢のつづきをまた眠り

喧騒を戻ればそこに花八つ手

冬紅葉雨後の木漏れ日煌めかし

一枚の風にあらがふ木の葉かな

間垣村へ押し寄す冬の波がしら

能登沖に居坐る冬の雲重く

うなばらは風逝くところ枯芒

海へ出て木枯し狂ふほかはなし

総持寺の大根托鉢しぐれがち

暮れてゆくうらさびしさを炊く大根



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「十夜」

地の底に念仏申す十夜かな

時化の夜を煮え立つ鱈の雑つぱ汁

蜑が家は軒寄せ合うて小夜しぐれ

信心の湯気もゆたかに十夜粥

火宅の灯溢れせしめて大根煮る

綿虫や昼なほ暗き能登の空

人のみなうつむいて生き藪柑子

木枯しを枕に眠る仏かな

星よりも遠き夢見て熊穴に

人ごみの妻いとほしや酉の市














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