再生への旅

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zoom RSS 今日の諸行無常・今年一年を振り返って

<<   作成日時 : 2014/12/29 21:18   >>

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ここにきて片手で足りる日を数ふ 玉宗

さて、今年一年をふりかえる訳であるが、お寺関係では倅が最低限の年季を経て、永平寺と総持寺へ拝登し、瑞世をお勤めできたことを筆頭に挙げなければなるまい。いつでも住職にはなれるのではあるが、まだまだ内実が伴っていないのも事実。まだ十年は早いな。それにしても、師匠でもある私の初学時代を比較して、その余りにも全うさ加減に、かえって不安を覚えたりする始末である。私の雲水時代はちゃめちゃだったと言って過言ではない。まあ、全うで悪い筈がないのだが、お坊さんになるには一応本人の意思で会ったのだが、ある意味未だに過保護なのかもしれないと思ったりもする。温室育ちを一歩も抜け出ていなのではないかと危惧している。

仏道は畢竟、自己をあきらめる道程である。歩みの遠近を自ら点検し、冷暖自知しなければものにはならない。そういう意味では孤独な道でもある。しかし、それはどの社会でも避けて通れない自立の苦楽であろう。親のこころ子知らず。子のこころ親知らず。私は弟子に私と同じ道を歩めなどとは願ってはいない。正当に、本筋を全うに歩むことに何の遠慮もいらない。ただ、師匠の名に値しない師匠には、その全うな修行が眩しいのである。羨望にさえ似ている。好事魔多し。世の中は甘くもなければ、辛くもない。犀の角のように一人黙々と歩む覚悟がいよう。子に代わって生きることも叶わないいのちである。さて、彼に如何ほどのものを遺してやることができるものか、私自身の正念場は死ぬまで続くのである。

その弟子と夫人と三人で、お盆過ぎに秩父へ出掛けたのも思いで深い。
私の最初の出家した寺へ家族を一度連れて行きたかった念願が叶ったのである。住職と奥さんに三十数年ぶりに久闊を叙することができた。以前と同じように温かく迎えて下さった。有難いことである。また、俳人・金子兜太先生の奥様である皆子先生のお墓参りも果たすことができた。喉に閊えた小骨のような昔の二つのこだわりが少なからず解消できた家族旅行だった。兜太先生には忙しいからと面会を拒否されたが。(笑)電話で息災をお祈り申し上げたことである。

その俳句であるが、来年還暦になることを機会に第三句集を出すことを決意した。で、只今、選句、推敲中なのであるが、先日ブログで発表したような目論みをかかえているのだが、どうも三千句では収まらないことが判明しつつある。どうしても六千句になってしまいそうな勢いである。捨てるに惜しい、というより捨てる理由がない。多作多捨とはこの世界の常識でもあるらしいが、さて、それは毎年のように句集を出す先生ならではのことで、私は第二句集から10年以上が経過し、句数一万五千に及ぼうとしている。で、これを最後の句集と心得てもいる訳で、たかだか四百句前後を残して闇に葬るというのは如何にも口惜しい。というより、句集って何なんだろうと思ったりもしている。

一冊四百句前後の句集で何が共感できるのだろうか。というより作者の全貌を垣間見ることができるだろうか。一句でも共感できる句があればそれで佳しとするのだ、という如何にも誠実らしいもの言いがあるのだが、本当にそうだろうか。それは読む人の都合ではあろうが、俳句表現者がそれを言ってしまってはどうなんだろうと思う訳。それは余りにも無責任に過ぎるのではないかな。俳句は作るものと受け取る者との共同作業だみたいな強弁もあるのだが、それは自分の作品を読者に丸投げしてもいいということにはならんだろう。作者という全人格、人柄に出会うことを願わない大衆文藝。時代はそういうことなのかもしれんね。まあ、それはいいとして、言い出したからには夢を叶える精進は惜しまないつもりである。お金は惜しむけどね。そんな作業も始まったばかりなのであるが、本の扉に書く「巻頭言」らしきものができてしまった。以下のような代物である。

「俳句を理解しようとしないでください。木を見て森を見ず。森を見て木を見ず。どちらもほんとうです。森の番人でもある読者のみなさん、
どうか、あきらめないで、わたしという人間の昼と夜、光と闇を呑み込んでください。梟のように。合掌。」


これは市堀玉宗という人間の生き方そのものを代弁していると言ってもよい。
で、そのようなことを告知したブログであるが、さすがに毎日更新という訳にもいかなくなり、三日に一度のUPにした。俳句は今のところFBで毎日10句以上を続けているけどね。



今年のいろんなことがあったな。出会いと別れ。この歳になると別れの方が多い。夫人と二人、還暦まで頑張って生きて来たという感慨がある。まだまだへこたれる訳にはいかないが、若いころのように馬力任せというわけにもいかない現実が確かにある。夫人は戦友、同志でもある。来年も支え、支えられつつ、ぶつくさ言いながら、仏の方を向いて、少しでもマシな人間となれるよう歩んで行きたい。合掌。



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「大閑」

年の瀬の大きな海を見てゐたる

忙中に閑あり庭に笹子あり

十二月大きな影を引き連れて

雪の夕べは悼むが如く人溢れ

年詰まるそれは大きな耳の垢

打ち寄せて帰るすべなき冬の波

数へ日の大きな誤算ここにきて

誰よりも大きな氷柱欲しがりぬ

年を越す妻が大きな世話をして

冬銀河海馬の奥の大きさの

冬夕焼さながら畢る紙芝居

年越しの大きな夜がすぐそこに



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「餅搗」

餅搗や窓に溢るゝ厨の灯

餅を搗く男に惚れる鼠かな

餅搗きになくてはならぬ女とか

さうじやない餅はかうして搗くのだと

餅を搗くほかに用事もなかりけり

賑やかに湯気もゆたかに餅を搗く

雲水がよつてたかつて餅を搗き

馬力ならだれにも負けぬ年男

餅配り戻る夕べの家路かな

神々へ小僧走らす餅配り


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「耳順」

ぱつち穿き耳に順ふばかりなり

門前をはみ出してゐる年の市

取りあへず餅を喰はせてくれぬかと

生きて来た二人の障子明りかな

皸も親の形見と手入れして

窓拭いて冬ざれの野を目の当たり

菩提寺へ子を使はする餅配

子を連れて黒文字採りに裏山へ

堪りかね助立ちしたる年用意

うかうかと過ごして年も詰まりけり

来し方を宥めすかして懐手




















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内 容 ニックネーム/日時
来年還暦ですか。お若い!
今年も愚痴のような有難いお説教を沢山ありがとうございました。
来年、第三句集をご発表とのこと、六千句とはどのような本になるのでしょうか、もうそれは辞典のような趣ではなかろうかと下手な想像をしています。
それでは、ご家族ご一同様、よき新年をお迎えになりますよう、ご多幸をお祈りいたします。
花てぼ
2014/12/30 17:15

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