再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 今日の諸行無常・人生の墓場よりの眺め?!

<<   作成日時 : 2014/12/11 18:50   >>

トラックバック 0 / コメント 1

画像


埋火や血脈つひに仄暗き 玉宗


12月12日はわが夫婦の結婚記念日。毎年結婚記念日です、なんて告知するのも憚れるのであるが、まあ話しの種ということで御免下さい。

世間には「結婚は人生の墓場」といった格言だか、厭味だか分からん言葉がある。なんか男尊女卑の匂いがしないでもないが、今の世の中、個人の自由といった権利を言い出したら男女の区別差別もないに等しい時世ではなかろうかと、婿である私なんかは思う訳であるが、それはとんでもない偏見だとお叱りを戴く畏れも無きにしも非ず。まして、お坊さんである私が結婚について云々かんぬんすること事態さえ気に喰わないといった御仁がいることを想像するに難しくはない。

前置きが長くなったが、まあ、百歩譲って人生の墓場だとしてもだ。墓場からの眺めも悪くはないぞ、といった感慨も浮かぶ訳である。これは単に強がりではなく、仏道的にも末期の目を自ずから獲得するのだから、ものごとの実相に目覚める機縁でもあろうか。なんて云ったら、出家至上主義にはあり得ないもの言いかもしれないね。


なけなしの雲水であった私は夫人に結婚指輪を買ってあげれなかった。いつか買ってあげたいなと気にしつつ、未だに財布を叩いたことがない。結婚はしたがちょっとはまともな人間になりたかっただけで世間がうらやむような暮らしをしたかった訳ではない。お金や肩書や権威に振り回されるのはまっぴらごめんであるという矜持は今でもある。そんなわけで夫人は今日まで指輪をしたことがないのだ。夫人が買ってくれと言ったことも一度もない。わが意を汲んでいると思うのだが、指輪より輝くものを欲しがっているようなところがある。

まあ、そんなこんなで結婚ど素人の二人、人生ど素人の二人で生きてきて、それなりにいろいろな事があったし、紆余曲折があった。まさに学びの人生である。能登半島地震では二人一緒に被災し、二人一緒に生き残り、共に生と死を見つめ直す機会になったことは間違いなかった。支え支えられている二人である。家族である。長く僧堂に勤める事が出来たのも、寺族らが自坊を守ってくれていたからだし、なによりも家族を支えなければという思いが私を人生へ押し出す力となったのである。
震災の前の年に本師が亡くなって以来、僧堂への出仕も辞めて自坊に専念しているのだが、以前にも増して私は夫人への依存が抜き差しならぬほどになっていることを痛感している。一人では碌な事も出来ない禅僧というのも珍しいだろう。還暦を機にもうすこし自立した夫に立ち返ろうと思っている。

そう、来年はお互い還暦なのである。結婚生活30年、墓場生活30回忌は越えている。それは人としてこの世に生まれ、人となるべく様々な事を学んできた月日である。そしたまた、それは一人では生きてゆけない社会的存在である人間の道程でもあった。今後どのようなご縁の中をいつまで共に生きてゆけるのかわからないが、一期一会の今の命を大事に、仏の方を共に向いて生きている戦友として、些かなりとも人様のお役にたてるよう支え合い、励まし合って生きていきたい。墓守りには墓守の人生がある。誇りがある。見えるものがある。出会いがある。諸行無常がある。成仏がある。

そのような私どもにも、まだ残された仕事がいくつかある。弟子を一人前の仏弟子として育て、一人前の人間として我らなき後の社会へ送り出さなければならないのもその一つ。それこそがわが人生の総仕上げなのかもしれないと思ったりもする。わが夢を子供に託すと云えば面映ゆいし、弟子にしてみればいい迷惑かも知れない。親子と雖もそれぞれ懸けがえのない、一期一会の命を頂いえている存在。畢竟、祈ってやることしかできないことは承知しているが、祈らずには居れないのも事実。そしてそれが私の生きる力になっていることも事実である。おそらくそれは夫人も同様であろう。子は鎹とは言ったもので、それは夫婦の鎹だけではなくわたくしどもの生きる力、この世の鎹ともなっているのである。

弟子にも又、そのような人生の伴侶との出会いを望むこと切なるものがある。


画像



「煤逃」

煤逃の体裁もよく浅草寺

煤逃の腰を浮かせてゐるところ

払ひたる煤舞ひ落ちし雪の上

野次馬の中に煤逃げの父が

消防車夜の底ひを見回れり

夜に入る雪あり夜が美しき

人生の裏へ回れば枇杷の花

山茶花散るさも台無しといふ風に

叱られたついでに蜜柑を喰ふことに

鯛焼をあてがひなかつたことにする

良心を迫られてゐる兎の眼



画像



「冬大空」

なに待つや冬大空のむなしさに

ほそみゆく水の行方や年の暮

ここもまた流刑の地なり笹子鳴く

転生のそのあと知らず藪柑子

茶屋街に呆けるころや鰤起し

父が坐り火を噴いてゐる榾の芯

冬灯声明地より湧くごとし

鍋焼に舌を焦がして回復期

風呂吹に力抜けたる味がして

しぐれつゝ濡れゐる光り虹なして


画像


「くさめ」

定型を少しはみ出すくさめかな

母捨てし如く雪嶺ふり返る

鰰の沖に白波生まれけり

外に出ればすでに日の暮れ雪の暮

働いてばかりの母のもんぺかな

煤払終へたる空のむなしさよ

天狼へ子を差し出して背負ふなり

寒柝の巡りて来る夜の底

耳遠き母の手になる干菜かな

衰へし母にも少し蕪鮓

























テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
ご結婚記念日
おめでとう御座います
たか子
2014/12/12 16:54

コメントする help

ニックネーム
本 文
今日の諸行無常・人生の墓場よりの眺め?! 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる