再生への旅

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zoom RSS 今日のばかやろう・いのちの尊さってなによ?!

<<   作成日時 : 2015/03/01 10:31   >>

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パンジーの裏が表であるやうな 玉宗


また、若いいのちが失われた。
少年法というのがあるらしい。数年前に改正されたのではなかったかな。厳罰化と少年の更生に重点を置く加害者の人権尊重っていうんですか。そのバランスの中で、法の整備がくりかえされるのだろう。

更生という視点は確かに忽せには出来ないだろうが、子供という「種」は悪にも善にも染まるだろうし、放っておけば腐りもし、ねじ曲がりもする。加害者が既に更生などあり得ない「腐った種」であるのか、更生の可能性が残されている「青い種」であるのかどうか。見極めることも困難であろうことは想像に難くない。人間の可能性とは実にほとんど光が極ったような闇である。

被害者のいのちの尊さ。加害者のいのちの尊さ。どちらも一期一会の尊さには違いない。そうではあるが、その尊さは人を殺めてまで担保されている神の加護ではあるまい。人を殺してのうのうと生きていられるほどこの世は甘くない。子供を殺されて安閑と生きていられる親があるだろうか。子供が加害者になって安閑と生きていられる親がいるのだろうか。殺人とは一人の被害者を出すだけではない。多くの人を巻き込んで人生を台無しにするのである。

ところで、歴史を顧みて解ることは、人間は人の命を殺めても生きながらえる図々しさをもっている動物でもあるということ。いのちを以って償うという良心を誰もが持っている訳ではない。人を殺してなんとも思わない人間にいのちを以って償うという良心はないだろう。亡くなったいのちは二度と再生しないことを誰もが知っている。知っているからこその償いであり、厳罰であり、報復であるか。哀しいことではあるが、それはどこまでも生きている人間の駆け引きではある。人類史とはこの世から悪人を駆逐する歴史でもあったか。法が裁くのであり、人が裁くのではないという思想はそう古いものではなかろう。ほんの百年ほど前まで、日本には仇打ちと云う正義があった。

戦争と云う殺人がある。正義を以って人を殺すことと、若気の至りの恣意の果ての殺人と、大人は子供にその差異を諭すことができるのだろうか。いのちの尊さを語るだけではなく、身を以っていのちの尊さに生きているだろうか。私はこの瞬間にも誰かの可能性を殺めてはいないだろうか?殺生を侵してはいないだろうか?

現実をありのままに受け止め、尚且つ、他者を思い遣る能力が著しく枯渇している現代社会。理屈ばかりが先行し、言い訳ばかりが後追いしている現代社会。自己の主体性が炉心崩壊している人間社会。自分さえよければという一見穏当に見えての競争格差社会。自己中心的な人間を社会へ抛り出して已まない家族社会。民主主義という無責任な暴力社会。欲望を越えた人間の生き方を志すことを忘れた無宗教社会。

子供、それは紛れもなく大人社会の反映である。



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「陸波」

山葵漬咎められたる味がして

白湯そゝぎ花とひらきし桜漬

田楽を喰うて京都に別れけり

磯の香をおもかげにして若布和

ゆふぐれは張り合ひなけれ亀鳴きぬ

春北風や陸波といふ海の荒れ

境内をはみ出してゐる苗木市

角落ちて申し訳なささうな貌

鴨引いて河口だらだらしてをりぬ

春の闇曰くありげに控へをり



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「二月尽」

ゆで卵三つ平らげ二月尽

大空をこれみよがしにいかのぼり

磯波をやり過ごしてや若布刈舟

雪解野にドアを開けたる路線バス

だれ待つとなけれど春の夕焼かな

蕗味噌でさすがに三杯は喰へぬ

さらさらと光りを返し春の川

春愁が波打ち際に来てゐたる

踏青や己苛み励まして

如月や旅をしたがる肘枕
















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内 容 ニックネーム/日時
天より与えられた命は自己独りのみの命ではなく、生きとし生けるもの全ての為に与えられた命でもあります。他者の命の尊さを思う事が即ち自己の命をも尊ぶことに繋がります。その事が全てのものを愛おしく思われる、御仏の慈悲のこころとも・・・。素晴らしい貴、記述に感動しました。色々哀しいことの多いい現代ですね!!
桑本栄太郎
2015/03/01 20:55

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