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zoom RSS 今日の懺悔滅罪・能登半島地震から八年

<<   作成日時 : 2015/03/25 17:18   >>

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汝と生きるほかに欲なきさくらかな 玉宗


能登半島地震に被災してから今日で八年目を迎えた。
いつものように、夫人と二人で本堂で読経し、回向。来し方に思いを寄せるひとときを過ごした。

今更のように光陰の疎かならず、且つ、わが身わが心を差し置いての諸行無常を痛感する。この歳月の中で、私は生まれ変わったのだろうか。なにもかもが変わったようで、なにも変わっていないかのような時間の推移、今の私がある。そうではあるが、紛うかたなく月日は巡り、齢を重ねて今といういのち最前線を更新している。

弟子も一人前になりつつある。親として師匠として、夫として、一人の人間として人生の仕上げの助走をし始めても遅くはない。否、きっと遅すぎているのかもしれない。日々、徒なることに感けてやるべきことを疎かにしているにちがいないのだ。後悔先に立たずと骨にも身にも肝にも銘じて精進しなければならんのだが、如何せん、この体たらくである。能登半島地震に被災し、運よく生かされている身である。東日本大震災の惨状や今も尚続いている被災者の苦悩、苦労、不安、絶望を思えば、生きていることさえ憚れる。

われながら、人間とはつくづく手前勝手な生きものであることよと思うこと頻り。
この世に生れ、生かされ、死んでゆくひとときの人生。この世に何かを遺すことを強いられている訳でもないとは言いながら、自分の存在が意味のないものであったとは如何にも口惜しくもある。であるならば、少しは全うな人間になるべく生きねばならんと、何度も何度も自分に言い聞かせてきた半生でもある。

今を限りのいのちと精進せよと、人に云うは易く、顧みて私はどれだけの精進をしてきただろうか。私はこの世にとってどれほど有益な存在だっただろうか。或いは無益な存在だったろうか。或いは有害な存在だったろうか。とりとめもなく、そんなことをおもってみたりもする。



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「名残り雪」

名残り雪おつりを握り帰るとき

改札を出でてほどなく冴返る

追伸に名残りの雪のことなどを

出稼ぎを戻りし父が挿木して

ときならぬ雪に摘みたる春子かな

なぐさみに摘みし土筆を持て余し

花陰にうち重なりし馬酔木かな

木蓮のひとひら梢にとどまれり

しづけさの落ちてなほます椿かな

火をつけて恋はおしまひ紫木蓮


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「坂がかり」

山茱萸の雨にけぶれる黄なりけり

麦青む明日は出てゆく故郷の

フリージア口を窄めるやうにして

一夜さの雨に太りし春子かな

山里のここよりひらけ桃の花

菜の花や尿をするにも憚られ

のどけさに地に降り歩く鴉かな

つくばねを妻が栞と手折りけり

梅を見に兼六園を坂がかり

草を食む牛のしづけさ霾曇り



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「春の波」

打ち寄する波の音にも春めいて

古草に坐れば見ゆる沖つ船

波の秀をかすめて雁の旅立ちぬ

春風や乙女さびたる恋をして

うららかに何か失ひゐたるかな

しろたへになだれて春の波がしら

初燕空の扉の開くる日ぞ

韓国の木屑も寄せて雁供養

雁風呂や見渡す限りゆふぐれの

汝と生きるほかに欲なきさくらかな








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