再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 生死と向き合う

<<   作成日時 : 2015/04/09 19:24   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


霞むほど遠くに生きて振り返る 玉宗


さて、お坊さんが人様の役に立つ領域の一つに人生相談といったものがあろう。

相談をする人と相談を受ける者。お坊さんは勿論受ける者として期待されていることを前提として話を進めて行くのであるが、それにしても「相談の現場」「傾聴の現場」といった生の空間にはロールプレイでは味わえない雰囲気があるものだ。そしてそのような現場では、相談する方も、される方もそれぞれがそれぞれの立場といったものを試されていることを感じている。お坊さんは「傾聴」という「行」によって自己の力量が試されているに違いないし、そうでなければならない。回向返照が相談を受けている側を照らし出さないでどうして真に宗教的寄り添いが叶うだろうか。

自死の遺族への「傾聴」「寄り添い」もまた同様である。そこにタブーはない。相談する方も自分が傷ついていることを心を開いて認めなければならないことに気づいていることだろうし、そうでなければならない。相談される方も「自死の傷口」を逆撫ですることを畏れる余り、相談者の傷口に目を瞑るようなことがあってはならないだろう。逃げ腰であってはならない。「生死の問題」に向き合う事が出来なくて、お坊さんは社会のどの領域で役に立とうとしているのだろうか。

そのためにも相談を受ける側のお坊さんが自己に、自己の生死に決着が着いているに越したことはなかろう。それは「傾聴の技術」を越えた人間力そのものであろうし、仏道者としての仏力であろう。お坊さんは「僧侶の技術」を習得することも大事であるが、「人間力・仏力」を養うことを忘れてはならない。そのためにも、一にも二にも、わが事として生死と向き合う姿勢が欠かせないのではなかろうか。それは住職と言う肩書きや布教教化といった成果とは別次元の問題である。

いずれにしても私の側に余所から借りて来たものではない「宗門の安心」というものが提示出来なければならない。それは外でもない。「行中に立つ安心」と云ったものであろう。坐禅だけではない。日常の行住坐臥、運水搬柴、全ての威儀進退、生死の真っ只中に「ぶれないもの」を見出すこと。これ以外になかろうと私は捉えている。禅僧は心理カウンセラーではない。心理の操作で安心を得ようとするものではなかろう。この五体を挙げて、世界と一体となるといった離れ業なのである。身も心も捨てて浮かぶ瀬があるとは、絵空事ではない。実相である。実相だけが迷妄を破る。

住職一人一人が、生を自己に返照し、死を自己に返照する。迷中に行を立て、行中の覚に触れる。それが出来なくなった時、宗門は間違いなく衰退するだろうと私などは時代認識している次第である。

自らを大愚と号した良寛は、昼行灯とか阿呆のごとく村人に呼ばれ、仏法のぶの字も語らず村の子供らと鞠を搗いて遊び、月夜の強盗には知らん振りを決め込み、墨が無くなれば空に向かって筆をなぞり、庄屋の放蕩息子には涙をもって諭された。そこには仏法とか世法とかの垣根、権威、タブーがない。世界と一体であるような、世界とぶっ続きであるような、求心とか救済といった引っかかりがないのだ。迷中又迷の大鉄漢なのである。

のびやかに、ひろやかに、しなやかに。そして、たくましく。ひとりごころに徹したその姿が、多くの名もなき民の魂を救った。われを空しく生きることの厳しさ。あるがままに生きることの難しさ。そして、なんともなさ。良寛には間違いなく自己の生死に決着がついている。

そのような出家の本懐を私も遂げる事が出来るだろうか。




画像




「袖」

花冷や袖に振られし如くなる

やどかりの殻を跨いでゐるところ

囀りをふりかぶりつゝ上の空

鯥五郎沖見るたびに裏切られ

初蝶や袖に引かれて来るごとし

松風に潮騒やまぬ松露かな

牡丹の芽声を引き裂くやうにして

秋篠寺へ三味線草の風が鳴り

ない袖を振れとばかりに茎立ちぬ

木瓜の花面影ばかり寄り添うて



画像



「春を躓く」

二人静と教はりたればしやがみこみ

ただならぬ風とし見れば花ふぶき

花筏恋に溺れし跡形の

身を捨つるに願つてもなき山桜

をのこありけり筍に春を躓き

すかんぽや洟ひる袖もなかりけり

花すみれ妻と歩める山のべの

明日が見えぬと土手に上れば花薺

蒲公英や見果てぬ夢の旅の途の

花辛夷山越ゑて来る風の冷え

猪も落つ娑婆捨峠藪椿

野蒜摘む去年の落葉を引き剥がし




画像


「見透かされ」

剥きだしの夜はすさまじき桜かな

法名を貰ひ畑打つ女かな

あまねかりし田ごとの光り鋤き込んで

畦焼きを戻りし父の焦げ臭き

やがてわが褥となりし山笑ふ

親を探せし土竜鶉となる日かな

親を探せし土竜鶉となる日かな

陽炎や昼は情夫と成り下がり

春光にやる気のなさを見透かされ

夢遠く浜にいたどり伸びやまず






テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
生死と向き合う  再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる