再生への旅

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zoom RSS 今日の手持無沙汰・夢疲れ

<<   作成日時 : 2015/04/27 20:11   >>

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海棠花乙女さびたる紅さして 玉宗


能登は今春も闌という日和が続いている。

境内の草木も花を青空へ掲げ始めている。狭い境内ながら藤棚があり白藤の花が咲きだした。海棠の花、かりんも花。花水木。木瓜の花。鈴蘭ももうすぐ白い花房を付けようとしている。萩も芽を吹き出した。梢は若葉が風にそよぎだしている。檀家さんからいただいた山躑躅も燃えだした。興禅寺の庭はこれから5月が最も花盛りで賑わう。興禅寺の花祭りも昔から月遅れの五月に営んでいる。少しづつ暑くなるのであるが、境内にはこれから藤棚や木々の下に緑陰もできたりする。震災後に整備し直した庭であるが、人から貰ったり、山から引っこ抜いて来たりしたりして作った庭でもある。お金をかけない割には少しづつ庭らしくなってきたと自画自賛したくなるのではあるが、実際のところは手間暇を省いての庭作りであるのが本当のところ。人はマメな方丈さんだというのではあるが、実は不器用で、単細胞、上の空で生きているようなところがある。

そんな上の空ではあるが、毎年、一月から三月までは小さいお寺ながら、寒行托鉢やらなにやらの行事が続き、春になってやっと新年を迎えたという思いが募る。そんな能登の春はいつもあっという間に過ぎてしまうという感じだが、今年はどうだろう。花を見てはため息をつくようになった。そして、しがない一句をものしたりして、頼まれもせぬのに毎日10句を自分に課しているのだから吾ながら訳がわからん。そんなお坊さんの春の日永ではあるが、俳諧みたいなよしなしごとに感けていると、遅日もあっという間に春の暮とはなる。

暦の上ではもうすぐ立夏である。初夏までには出したかった句集であるが、校正も中々に手間取って難しいそうである。句数が多すぎて出版社に負担を掛け過ぎているようだ。あんまり大風呂敷を広げぬがよろしようで、ここにきて、なんだか、花疲れではないが、些か夢疲れというような倦怠感の中にいる。

こんな夢遊病者の如き夫を尻目に夫人は坊守の仕事は勿論のこと、歯の治療やら、お稽古事やら、ないやらで寧日のない日々を過ごしているようで気が引ける。倅は僧堂で多忙な日々を送っているとのこと。結構なことである。若いうちは暇を持て余すようなことがあると碌な事がない。行事に追われているくらいがちょうどいいのではないかな。父親の手持無沙汰加減を目の当たりにして、その辺は阿吽の呼吸で感じとっているらしい夫人と倅ではある。実に戦わぬ父とは哀しいものよ。



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「三千里」

筍飯食うて三顧の礼もなし

蝶の影ひとたび消えて追ひつきぬ

チューリップ後ろめたさのなかりけり

眉を吹く風にも夏の隣りして

糸垂れて九十九が浦に春惜しむ

逝く春の岬めぐるや鳶の笛

たんぽぽやウラジオストク三千里

捨猫や花雪洞の灯るころ

豆の花手塩にかけてこれくらい

著莪の花一家離散のしづけさの


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「遠足」

遠足を明日に夢見る眠りかな

飯粒や遠くに足を運ばせて

囀りのごとく遠足過ぎゆけり

聞き分けの良き子が通る金鳳花

餅にする蓬を採つて来いといふ

潮満ちて森とゆらめく石蓴かな

遠からぬ夏へごくごく乳呑ませ

手折りたる姥捨山の白山吹

馬鈴薯植うるカインの裔の影を曳き

放埓を極めしなんじゃもんじゃかな

方舟の窓に生れし蝿かとも



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「迂闊」

牡丹咲く満を持してといふ風に

留守がちの亭主は佳けれ芝桜

花に来る蜂見てをりぬ迂闊にも

躑躅映ゆる還暦といふ面の皮

のどけさの過ぎてこの世の終りかと

頼まれて添寝してをり永き日を

梢吹く風よみがえる昭和の日

春の暮舟に酔うたるここちして

チューリップ中は光りの湯殿かな

おほでまりこでまり妻の声弾む
















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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
ちょっと寂しくなりますから、いつもの「開き直り」の弁でお願いします。でもそればかりでもなあ、ということもありますが・・・どうしましょう。
花てぼ
2015/04/27 21:19

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