再生への旅

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zoom RSS 今日の諸法実相・花祭りに寄せて

<<   作成日時 : 2015/05/14 16:42   >>

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山法師いつかは空をわがものに 玉宗

五月十六日は興禅寺の釈尊降誕会・花まつりである。
能登の五月は春と初夏の花が咲き競って明るい。風薫る花のかんばせに囲まれての花祭りである。お釈迦様の誕生に相応しいと感じるのは日本と云う四季豊かな仏教国ならではの感慨であろうか。

一般的に仏生会は生れ合わせたいのちの奇蹟、不思議、因縁、独尊に思いを馳せ、いのちの尊さを花の輝きになぞらえるのであろうか。それはそれで相応しい事だとは思うのだが、さて植物にとって開花とは実を結ぶ為の一段階ではある。掛け替えのないいのちの花と咲く今がある。植物のいのちとは種が地に落ち、芽を出し、花を開き、実を結び、枯れて、地に還り、再生へ循環を期する虚しさを身上としている。いのちという諸行無常がある。わたしのいのちも、花のいのちも、虫のいのちも、そのような循環の只中での一期一会であり、人の一生、そして人の世の出会い、別れもまたその例外ではなかろう。

芽を出す今がある。花と咲く今がある。花と散る今がある。枯れてゆく今がある。地に還る今がある。老若男女の今がある。生老病死の今がある。迷悟の今がある。一切皆苦の今がある。応無所住而生其心の今がある。唯我独尊の今がある。若因地倒還因地起の今がある。三界唯心の今がある。自浄其意の今がある。諸悪莫作・衆善奉行の今がある。さよならだけが人生の今がある。

生れて来た尊い因縁ではるが、人生は生れて来ただけで済まされない尽力がある。不退転の精進がある。生も死もいのちの全機である。いのちにとって生がそうであるように死も又尊い。初中後、全てが等しく尊い。いのちの尊さとは畢竟今を限りの尊さにほかならない。それはまるで光りのようでもあり、闇のようでもある。それはまるで上昇のようでもあり、奈落のようでもある。時間のようでもあり空間のようである。いのちの尊さ、それは手がつけられないどうしようもなさでもある。本来的に貪ることも嫌がることもいらない。比べることも比べられることもいらない。留まることも逃げることもいらない。いのちはただそうあるだけの筋合いのものである。

そのような諸行無常の眼に映るこの世の花の美しさがある。美しい花の世と感じている諸行無常のいのちがある。いつともしれぬ、やがて死にゆく旅の途中の眼差しがある。いのち合掌。




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「旅」

麦秋や旅に汚れし夢鞄

帰省して桑の実を摘む男かな

会ひたくて若葉に濡れて来たりしか

虎杖や生家朽ちたる旅の果

はまなすや海の子吾に櫂もなし

旅に読むゴッホの手紙麦の秋

橡咲くや旅は山越ゑ谷渡り

衣更へてひとり旅する故郷かな

泊めてもらふ本家の厚き夏布団

明日は帰ると決めて卯の花腐しかな



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「大枚」

潮なして唸る全山青嵐

昼日中眠る幸せ寝ぬるなり

さざ波に半ば溺るゝ早苗かな

目覚めたる双葉に萩の若葉して

夕焼より立ち上がりたる廃墟かな

托鉢の大枚さらふ青嵐

生れたることに疲れし鹿の子かな

海のもの山のものとも亀の子は

影引いてローマへ続く毛虫かな

木になれず竹の子皮を脱ぎにけり



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「犬死」

牡丹散つて面影残る二三日

薫風や腰に帯するものもなし

墨染の衣に更へて風纏ふ

萬緑に埋もれてゐる目玉かな

星となり夜を渡らむ夏薊

卯の花やむかし犬死せし辺り

韮咲くや母を一人にしてをけず

日を呑んで俯くほたるぶくろかな

こでまりの噴きこぼれたる花盛り

やる気のないやうに脱いだる竹の皮

















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