再生への旅

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zoom RSS 送骨という社会現象

<<   作成日時 : 2015/10/08 20:17   >>

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謎解けぬまゝに老いたる木の実かな 玉宗

「送骨」をし始めたね。なんとかNPOとあるお寺がコラボして、民間の需要に応えたということなんでしょう。葬儀もそうだが、死に纏わる行事が商品化され、なにかにつけて手間を省きたがる現代社会である。そういう意味では如何にも予想された社会的現象ではある。神仏を蔑ろにして白日の下に晒された命が愈々謎を深めるという逆説社会。
身寄りのなさや供養する現場の問題など、已むにやまざる要因の果ての行為ではあろうが、そのような已むにやまざる命の寄り添い方しかできなくなってしまった社会性、関係性の狭さを感じざるを得ない。

「送骨」に応える方も応えられる方も何かを持て余している感があるのはどうしたことか。 「死」は現代に於いてタブーなのであろうか。「遺骨」とは竟に「持て余されるべきもの」なのだろうか。それは「生」を持て余している人間の反映にも思える。既成仏教は供養のかたちについてその本質を問い続けてきただろうか。旧態依然の価値観の中で社会の変化に後れをとってきたのではないかといったことさえ考えさせられる。

宗教の本質と実存。かたちと内実。いのちの実相に目を背けて生きて行くかぎり、だれの胸の内にもその問題の可能性は孕んでいる。




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市堀玉宗第三句集『安居抄六千句』

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「さつきまで」

馬追が万歳をして跳んでみせ

鹿が来て尻をどついてゆきにけり

秋風の生々しさに戸惑へる

蓑虫に星の瞬く夜なりけり

あたら夜や月の道ゆく人の声

芋煮会だつたやうだねさつきまで

紅葉狩もどれば家のしんとして

大盛りのざる蕎麦喰うてうそ寒し

手に余る重さの南瓜選びをり

罰として糸瓜の水を引くことに

なんの騒ぎと思へば秋の遠足が

父さんはだうしやうもない糸瓜かな

そぞろ寒隅に置けない妻がゐて



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「ゆふべ」

夕星に暮れ残りたる刈田かな

籾殻を焼いて夕空けぶらする

叱られて空稲架降りるゆふべかな

生きながらまなこ暮れゆくいぼむしり

垂乳根の母の夢路や菊枕

松手入空をゆすりて終りけり

野を帰る秋夕焼けの影曳いて

雁瘡の子が帰りゆく雑木山

秋思なる日暮れの如き餓ゑありぬ

生きものの脛に傷あり夕芒






















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