再生への旅

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zoom RSS 今日の無分別・お坊さんという生き方

<<   作成日時 : 2015/11/28 18:26   >>

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謎解けぬまゝに老いたる木の実かな 玉宗

「おじいちゃんはどうしてお坊さんになったの?」

今年7歳になる孫がこのような質問をするようになったことに些か驚かされた。分別が付き始めているのだと思うわけである。「どうして?」「なぜ?」といった意味づけ。世界がいよいよ謎めいてきたということだ。なるほど、人はこのような段階を踏んで一体の世界から少しづつ遊離していくのであろうか。いや、そうではなかろう。自らを知ろうとする人のいのちの然らしむるところ。これもまた孫の無分別のなせるところ。

さて、そのおじいちゃんであるが、孫の質問に少なからず戸惑ったことを告白しておく。正直に答えなくてはならないことは言うまでもないが、7歳の子供に解かるように答えてあげたいとも逡巡したのである。その間、約3秒。

そして、曰く

「おじいちゃんはね、自由に生きていたいからお坊さんになったんだよ」

あながち、嘘ではない。というより仏弟子という生き方、存在の目指すところ、究極のところはそういうことであると信じて疑わない。

ありのままであることの、なにがあってもなんともないことの、それそのものであることの世界。ごまかしのきかない、一体であるからこその無私なる世界。拘る理由も必要もない、寛容であるしかない世界。欲望の彼岸にある真に自由自在な、犀の角のやうに生きている空にしてなる世界。といったふうな内容のなのではあるが、そんなことを子供に説明することも叶わぬし、時間もないし、まあ、面倒くさかった。

孫は、「自由」ということばに首を傾げていたのである。「自由」についてはまた日を改めて答えることにして、一緒に楽しく晩御飯を食べたことである。まさに、無分別にね。


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「大根托鉢」

総持寺の大根托鉢みぞれがち

好きなだけ大根を抜いてゆけといふ

見目の佳き大根を寺に差し出しぬ

寺を抜け大根洗ふ水となる

雨雪を背なに大根洗ひをり

出家なる不思議な月日干大根

一本で足りるひともじ抜きに出る

炭俵丑三つ時の月影の

夜は月の泪さしぐむ落葉かな

熾抱いて眠るばかりぞ雪安居

しぐるゝや生まれながらに臍の闇

影薄き父が来たかと冬めきぬ



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「神の国」

風に乗り出雲の国へ旅立ちぬ

長旅の神を迎へにゆく男

親鸞会夜の底ひに灯を点し

おでんの具買ひに灯ともし頃いそぐ

外に出ればすでに日の暮れ葱を抜く

目の見えぬ田の神とゆく冬田べり

友引の僧が焚火をしてをりぬ

旅に出し神のゐぬ間や無礼講

どぶろくに前後不覚の夜が来て

神の留守塞ぎ込んだる空の色

冬座敷旅を戻りし神の座の

里山の情深くして能登時雨

留守がちの神の国なり山眠る



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「喩ふれば」

喩ふれば干大根のごとくなり

しぐれ虹洗ひ晒しの山里の

冬杣の帯せし鉈の鞘が鳴り

たもとほる軒端ににほふ干菜かな

葛湯とく筋金入りの夜が来て

獅子柚子の歪んでゐたるあばた顔

亀虫を夜の向かうへ抛り投げ

迷へる風に暮れゆく冬木かな

さざんかの花の明け暮れ仄かにも

雪の上を走る粉雪兎罠

暮れやすき水もて大根洗ひをり

月に濡れし炭焼小屋でありにけり



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市堀玉宗第三句集『安居抄六千句』

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