再生への旅

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zoom RSS 今日の諸法実相・神も仏もない世界

<<   作成日時 : 2015/11/05 18:28   >>

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茶の花や臍に力の入らざる 玉宗


先日の「徹子の部屋」には病から帰還された瀬戸内寂聴氏(尼)が出ていらした。

徹子さんが例の如くの正直さで「実はわたくし、いつか先生へお見舞いの電話を差し上げた折に、神も仏もないわなんておっしゃったんで、びっくりしちゃいました。お坊さんがあんなこと言っちゃっていいのかなあ、なんて、ほんと、正直でいらっしゃいますね」

それに対する瀬戸内氏の対応が言語不明瞭でなんだかよくわからなかった。闘病の中での感慨を正直に述べたことは想像できる。そりゃそうだと思う。生老病死の真っ只中、煩悩の真っ只中に神も仏もありはせんだろう。そこにあるのは煩悩や苦悩の展開する私の世界があるばかりだから。実相からすれば夢もうつつも同じ穴のまぼろしである。私の都合に合わせてくれる神や仏がいるとしたら、それこそ胡散臭さの筆頭である。

僭越な物言いではあるが、氏にも又、神も仏もないという人生への見切り、煩悩世界への絶望、自己への訣別があったのには違いない。それはそのまま氏が仏弟子という新しい生き方をする契機、出会いともなったということだ。神仏とは人の思念や欲望を越えたところのものである。瀬戸内氏が仏弟子であるということはそのような世界へ身も心も擲って生きているということに他ならない。若き日の女流文学者にして、恋多き瀬戸内氏の人生を論って批判めいたことを言う人もいるが、それこそ大きなお世話である。人はそれぞれ自分の窓から大いなる世界へ飛び出していくよりほかはないのだ。

私は氏の書かれたものを読んだことはない。宗派が違うということばかりでもないが、多くの信者やフアンを前にして説法をしている姿を見ることがある。その片言隻句からの想像ではあるが、如何にも人間受けのするお話をなさっているように見られる。羨ましさがないことはないが、仏道というより人間道を説いているようにも思えなくはない。というより、人間側の方から道を説こうとされているように思う。そこにまみえる神仏とは如何にも人間の身の丈、心の丈に叶うものとして立ち現れ、消え去っていく。批判しているのではない。それでいいのだ。確か氏は、今東光氏の跡を受けてこの世界へ入ったのではなかっただろうか。今氏といえば人間通でもあり、文学者でもあった。

誤解を恐れず言えば、瀬戸内氏もまた人間通であり文学者であると私は思っている。文学と宗教、どちらも人間を見切るための入り口にして出口でなのである。どちらも神も仏もない世界で力を尽くしていく孤独な存在者である。そして氏には母性を感じさせる生来のものがある。だからこそ多くの人に寄り添えるのであろうし、また、多くの人の感性というアンテナに響くのであろう。どちらにしても、人間を越えたところのものを志向して生きおられる謙虚さがあろう。今氏もまたそうであった。神仏を前にして虚しき存在であるという謙虚さがそこにはあった。

神も仏もないと現実を見切り、その展望の先にまみえる真の神仏に頭を垂れる。両氏にはそのような潔い、弁解しない生き様が感じられる。一度はお会いしたかった人物ではある。能登の田舎の、友も少ない一介の禅坊主である私は、そんなことを思ったりしている。


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「凡そ天下に」

妻といふ俺の勲章文化の日

父を恋ふ虫に蓑貸すばかりにて

改心を迫られてゐる落葉掃

凡そ天下に忘れ去られて烏瓜

障子貼るその日暮らしの二人かな

貸し借りのなかりし空の高くして

韜晦もならず杣山に柿吊るす

薬掘る未だ三顧の頼りなく

囮せし翁にひとり会ひしのみ

落葉掃きならば誰にも負けぬとか

綿虫につれなき空のあるばかり

余生なる手塩に懸けて菊大輪

あの雲に乗り遅れたる秋思とも

妻といふ爽けきものを娶るなり

喩ふれば花野に目覚む捨て子なる



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「写生」

鬼の子を励ます空を写生せる

梔子の実や機嫌よき妻の空

台無しのかたちに落つる熟柿かな

声上げて笑はずなりぬ藤は実に

芋茎干す日向を貸してくれといふ

良いといふまで立たされてゐる案山子かな

破調なる風に破れし芭蕉とも

サフランの花影うつる早さかな

見るからに間引かれて来し大根なる

落鮎の落ちゆく古き都かな

問題が一つ片付き喰ふ林檎

破蓮一揆の風に斃れ伏し




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「どすん」

綿虫のひとたび沈み浮き上がる

怒る気になれず白菜間引きをり

情けない人生もあり菊膾

菊日和飯が旨くてならぬなり

冬近き終着駅のあかるさよ

改札を抜けてほどなく芒原

冬といふ父なるものを待ちゐたり

焚火するにも譲れぬものゝあるらしく

重くれの空に閊へし雪婆

腹空いて火が恋しうて淋しうて

妻といふ灯が冬の用意して

貼り終へし障子明りに二人して

新米二斗どすんと家が驚きぬ





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市堀玉宗第三句集『安居抄六千句』

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