再生への旅

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zoom RSS 東日本大震災忌・再掲

<<   作成日時 : 2016/03/12 17:35   >>

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雁風呂や海に希望があつた日の 玉宗


東日本大震災から五年が経過した。地震と大津波によって福島はもとより、宮城、岩手の各県には壊滅的と言っていい被害を受けた地域がまだまだ多くあることを報道によって今年もまた改めて知らされる。そして、再生の道を逞しく歩みだしている人達がいる一方で、未だに胸奥に刻まれた心の傷の悩まされている方々が多くいることも。特に福島原発の影響は時を経るに随って「帰れない故郷」「フクシマ難民」の現実を突き付けられている。日本人の誰もがフクシマを見捨てたいなどと思ってもいないだろうが、社会の現実とは個人の思いとは懸け離れた力学で被災地を押し流していくのかもしれない。誰もが希望を抱きたがっている。そして、誰もが無力感を抱いている。

遅々として進まない復興の現実に、ここに至って絶望感に苛まれている方々も多いという。政治家を責めるのも解らないではないが、震災の齎した影響は一筋縄ではいかないことを思い知らされる。生き残った者は何としてでも再生しなければならない。そうでなければ、誰が無念の内に亡くなって行った死者を供養し、冥界とこの世とを一つにすることが出来るだろう。被災者の無念、哀しみ、絶望というにも足りない無力感、命あることのやるせなさ、遺されたことへの罪悪感、そして希望というには余りに微かな陽炎のような明日への光り。死者も生者も如何にして魂の彼岸に落ち着くことができるのだろうか。

再生するにも人は何がしかの力・縁を必要とする。運命を受け容れ難いと足掻くのではなく、流れに身を任せ、私心を捨てる。そのような再生へ向かって歩み、そのこと自体に、生きていることの喜び、苦しみ、悲しみがあり、それがそのまま人生の醍醐味であり、人として生きる事の意義なのだ捉えることができるかどうか。
辛いことではあるが、人は倒れた現実の地上に足を踏ん張って起き上がるしかないのである。ときに過酷で非情な、そしてときにやすらかで有情なこの天地の間で起き上がるしかない。有難くも難儀な生きるものの宿命がある。

失敗や苦労や災いがそのまま人生の意義を否定するものではなく、人生をして人生たらしめる価値とし光るような、そのような軌跡。それは儚く、危うい存在として生きる事が、そのまま自己再生、命創造の日々であるということの証明なのではないか。そこに至って始めて人生に無駄なものは一つもないと言い得るのだろう。
運命とは切り開くものだとも云われる。他人事として言うは容易いが、震災に遭った自己の人生をどのように切り開けというのか。答は各々が自問自答し、開拓していかなければならない。生きることの自己責任は被災者も、そうでないものも同じ困難なのである。

それにしても、死んでいった者たちには切り開く人生の機会もないのである。切り開くとは生きている者達の言い草であるには違いない。然し、死者が語らなかった運命に対する無念を代弁するのも生き残った者の為すべきことではないか。否、代弁するだけではなく、死者の魂を我が肉とし、わが血とし、わが心とし、わが彼岸とし、わが命とする。それこそが命生き継いだもの等のもうひとつ宿命なのかもしれない。

生き残った者も何れは誰ひとりの例外もなく黄泉に赴く。生死の運命に翻弄され、嗟嘆し、切り開き、格闘し、恩讐の彼方に至るのも、命生き、生かされている諸行無常の現実なればこそである。復興の柱、それは目をそむけたくなる、この現実が教えている諸行無常そのものでなければならない。いのちは生きることと共に死ぬことも学ばなければならない。わたくし無く生き続け、わたくし無く死ぬること。それ意外に再生、復興の契機はないのではなかろうか。なにがあってもなくても、ゆたかにして深い、つながりながらも、私かぎりの、支えられながらも絶対的な、わたしのいのちを生きて行く。それ以外の何を人生に求めれば足りるというのだろうか、私には分からないのである。被災地で格闘されている皆さんに、そのような思いをも込めて今年も又能登の地からエールを送りたい。合掌


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「空の記憶」

三月の空の記憶がなかりけり

巡り来る悪夢巡り来る春潮

みちのくの春泥ゆたか夢にさへ

海の果て空の果て春寒くして

雪割草しづかにひとり傷ついて

つばくらや山河破れしふるさとの

亡国の春を熔けゆく炉心かな

ぶらんこや親を失くして以来なる

揚雲雀空に落書き何度でも

木の芽吹く空に奈落のありにけり

鳥雲に入るや人みな遺族なる



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「にほひ」

山陰の水の冷たさ芹を摘む

胡葱や風に日なたのにほひして

田起しの水を湛へて畦青む

囀りに遅参す十二単かな

宿題を忘れないでね花大根

茎立や母に朝日のにほひして

はこべらを金網越しに啄ばめる

はくれんのひらめく風のそよぎかな

苜蓿や躓くたびに空仰ぎ

春子摘む父にゆふべのにほひして



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「迂闊」

芋植うるころともなれば春の霜

夢にさへ畑打つ母でありにけり

夢といふ風船ほどのかろきもの

春大根二番煎じを免れず

土筆摘むにはいい年をしてしまひけり

またもとの二人の暮らし雛納

雁風呂や海に希望があつた日の

少しだけ浪費す蛇も穴を出で

猫の子に見初められたり迂闊にも

和解できれば亀の鳴くとも可なりけり








鳳来山永福寺晋山記念事業ご案内


永福寺(鳳来堂)は昔より霊験あらたかな観音霊場、地蔵尊の祈祷寺として多くの信仰を戴いてまいりました。約百年前に門前総持寺膝下にあった永福寺が輪島の信者の皆さんに守られて来た由緒ある仏さまと合体して今に至り、私・市堀玉宗代まで七世の住職が任を務めて参りました。

その間、社会的にも様々な変遷があり、輪島の宗教事情や市民の宗教感情、意識もまたゆるやかではありますが変化しつつあるところです。しかしながら、社会の変化の中で私どもはお寺の存在をこれからも世に問い続けていかなければならないものと考えております。

ご存知の様に、永福寺には檀家がありません。今日まで多くの信者の皆様に支えられて参りました。つきましては、この度永福寺新命和尚の晋山式挙行に当り、左記の要領で基金を募ります。住職にとっても、信者の皆様にとっても生涯に一度の結縁です。広く布施の願行をお勧めいたします。

お申し込みの方には記念品贈呈の上、法要に当り祈願、供養の回向をいたします。
法要に際しましては、おさそい合わせの上、多くの皆様の参拝をお待ちしております。合掌

晋山式記念事業等の内容

1、平成28年11月3日晋山式大法要
2、記念事業 (境内整備等)
3、記念書籍刊行
4、稚児募集 (募集開始は夏以降)

◎基金募集

晋山式事業基金を次の要領により募集します。 

募集期間 2016年1月より2016年10月まで
募   金 一口・5000円(何口でも結構です)
送金方法 「晋山式基金」と明記のうえ、郵便振替口座でお送りください。
送金先  郵便振替口座 加入者 永福寺 口座記号番号 00750・5・101412




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市堀玉宗第三句集『安居抄六千句』

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