再生への旅

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zoom RSS 遠いから歩く・再掲

<<   作成日時 : 2016/03/15 16:18   >>

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雪割草ひとりしづかに傷ついて 玉宗


「遠いから歩く」

これは私が能登半島地震に遭い伽藍を全壊し、再生への歩みを始めるにあたって掲示板に書き出した覚悟の言葉だった。この言葉は私が創り出したものではなく、以前どこかで出会っていた言葉である。頭の隅に燻っていたのだろう。この言葉をもっと正確に当時の私自身の心情に即して言えば「遠いから歩く」というより、「遠いから歩ける」というのがその覚悟の真相に近い。死なないから生きている。否、もっと直截に、死が遠くにあるから生がある。否、もっともっと直截に、死と生はいのちの表裏であるということ。表と裏は遠いと言えば永遠に相会うことはないが、一体であってはじめて、いのちであるという事実。命の危うさ、そして真相を云い得ている事実を理屈抜きで肯うことが出来た。震災で死に損ない、すべてを失った契機に授かった「いのち」と「縁」の表情。
 それまでの私は人生を手探りしつつ生きてきたようなものだった。それは極めて個人的な都合であり、人様に自慢できるような代物でも、筋合いでもない。今でもそうだ。そのような迷える私に与えられる特等席・指定席などありはしない。世界や人生の真実というものは、私という些細な存在を受け入れて尚余りあるものであってこそ、広大にして絶対といえる。私の思いを超えてこの上もなく遥かなるもの。

「なんで私が被災しなければならないのか」このような思いをよくよく点検したあげく、「生きることは縁を生きることにほかならない」ということに気づくのである。私にとって歩いている今、ここが、道そのものなのであり、すべてであったということ。私自身が「行」「道」に救われていた。そこに気付かせて頂いたということのようである。人生は今よりほかにない。永遠とは「今」のことだ。生きるとは「今」であり続けるばかり。「今」を「歩く」ことが「永遠にして遠い救い」そのものであるということ。

そのようなどうしようもなく遥かなるものに生き生かされている私という些細な、そして確かな存在。それもまた、何ものにも較べられず、比べる方法も判らぬ、どうしようもないほど有難い、在ってなきがごとくの絶対的一点とも云うべきものである。被災そして再生の歩みはそのような自己の真相との出会いの日々であった。それは新鮮で充実した日々でもあった。被災当初には思ってもみない人生の展開。人生は思いの外、想定外の連続であるとも云えよう。世界は確かに私を中心にして展開はしていないが、善くも悪しくも私とともにあることは否定のしようがない。或いは、私という些細な、あってもなくても大勢に影響ない存在は、遥かなるものへと開かれた小さな窓でもある。私にとって生きるとは、市堀玉宗という小さな窓から「遥かな遠いもの」へ眼差しを向けること。「遠いから歩く」「遠いから歩ける」「遠いから生きて行ける」とは私にとってそれ程の内実をもつ言葉となっていた。

 私はそれをいのちの真相として、私自身の人生の在り方として示したつもりだった。掲示板に掲げたが、それは私が私として生きて行く、生かさせていただく、その覚悟を表現したかっただけなのだ。それだけのことだった。意外なことに、この言葉にこころ揺さぶられたというお方が大勢おられた。宗教の在り方が極めて個人的な都合の領域であると疑わない私にしてみれば、そのような賛辞が身にも心にも余ることでもあった。
多くの再建支援者によって小さいながらも興禅寺は復興できた。托鉢という「行」に応えて下さった真心の積み重ねである。それらのうち、どの一つを欠いてもお寺は復興できなかっただろうし、市堀玉宗という半端なお坊さんの再生もなかったであろう。

「遠いから歩く」

今、東日本大地震に被災された多くの皆さんへ、この言葉を贈りたい。再生の歩みはどんなに辛くても自分の足を運ばねばならない。そして、手を差し伸べることだ。それに応える手が必ずある。こころを開いていくことだ。それに応えてくれる真心が必ず現われる。この地上に傷ついたものが立ち上がるにはやはり、この地上を於いて余所にはない。被災者の皆さんにはまだまだ不自由な、辛い日々が続くことであろう。肩の力を少し抜いて、一人で頑張りすぎないでほしい。被災者もそうでないものも、支える者も、支えられる者も、共にそれぞれのご縁を大切にして、遠慮なくその相互の縁の力を活かしてほしい。東北の純朴で優しい人たちの、美しい故郷の再生を願って已まない。合掌





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「烙印」

夕映えの都に霞む伽藍かな

冷飯にただよふ不信地虫出づ

春愁に大根おろしたつぷりと

裾を吹く風も弥生の捌きあり

のどけさにこと切れていく時計かな

春三日月烙印捺されたる如し

東風鴉満艦飾に来て遊ぶ

春雨やはらわた暗く音もなし

川の面に風の生まるゝ柳かな

踏切の空は絶壁鳥雲に

バベルなす立体駐車霾曇り



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「埒」

雪のにほひの谷に太りし春子かな

昼からは少し出鱈目葱坊主

同胞の訣れ雁瘡癒ゆるころ

合格し浮き足立ちてならぬなり

落第しこれみよがしの山河あり

燕来る風を衣と着こなして

はゝそはの母に供へし菜飯かな

鶴引きし田ごとに朝日あまねかり

折からの風に乾びし涅槃団子

鳥の巣が見ゆるも埒の明かぬなり


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「風の国」

渤海の夢見る風の洲浜草

高句麗なる風の国より霾れり

沖よりの風に慄く一輪草

冥むまで空に被さる椿かな

望楼の沖は加羅国桜東風

木漏れ日とみれば雪割草群れて

春浅き山を励ます声挙げて

外浦の波の荒さよ搗布寄す

灯台は風の墓標ぞ鳥雲に

最果てにひた寄す春の潮かな




鳳来山永福寺晋山記念事業ご案内


永福寺(鳳来堂)は昔より霊験あらたかな観音霊場、地蔵尊の祈祷寺として多くの信仰を戴いてまいりました。約百年前に門前総持寺膝下にあった永福寺が輪島の信者の皆さんに守られて来た由緒ある仏さまと合体して今に至り、私・市堀玉宗代まで七世の住職が任を務めて参りました。

その間、社会的にも様々な変遷があり、輪島の宗教事情や市民の宗教感情、意識もまたゆるやかではありますが変化しつつあるところです。しかしながら、社会の変化の中で私どもはお寺の存在をこれからも世に問い続けていかなければならないものと考えております。

ご存知の様に、永福寺には檀家がありません。今日まで多くの信者の皆様に支えられて参りました。つきましては、この度永福寺新命和尚の晋山式挙行に当り、左記の要領で基金を募ります。住職にとっても、信者の皆様にとっても生涯に一度の結縁です。広く布施の願行をお勧めいたします。

お申し込みの方には記念品贈呈の上、法要に当り祈願、供養の回向をいたします。
法要に際しましては、おさそい合わせの上、多くの皆様の参拝をお待ちしております。合掌

晋山式記念事業等の内容

1、平成28年11月3日晋山式大法要
2、記念事業 (境内整備等)
3、記念書籍刊行
4、稚児募集 (募集開始は夏以降)

◎基金募集

晋山式事業基金を次の要領により募集します。 

募集期間 2016年1月より2016年10月まで
募   金 一口・5000円(何口でも結構です)
送金方法 「晋山式基金」と明記のうえ、郵便振替口座でお送りください。
送金先  郵便振替口座 加入者 永福寺 口座記号番号 00750・5・101412




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市堀玉宗第三句集『安居抄六千句』

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