再生への旅

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zoom RSS 森澄雄・生を詠った俳人

<<   作成日時 : 2016/10/01 18:48   >>

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稲架越しの能登も外浦や波の音 玉宗


森澄雄という俳人がいた。

兵庫県姫路市に生まれ、長崎市で育った。1940年、加藤楸邨の俳誌「寒雷」創刊に参加。九州帝大卒業後の42年に兵役につき、ボルネオで「死の行軍」を経験。復員後、高校教師を勤めながら、古典や漢籍に対する深い教養を背景に、<ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに>など、生活に材を取った格調高く清新な句風を確立した。70年に俳誌「杉」を創刊。72年から昨年3月まで読売俳壇選者を続け、78年に句集「鯉素」で読売文学賞、87年に「四遠」で蛇笏賞、97年芸術院賞恩賜賞を受賞。2005年に文化功労者。
<除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり>など妻を詠んだ句で知られたが、88年のアキ子夫人死去後も境地を深めた。95年に脳出血で半身不随となったが、旺盛な句作と選句を続けていた。<読売新聞記事より抜粋>

氏は主宰する「杉」のある講演で次のようなことを述べている。

「これまでにも繰り返し言っているように、若い頃からぼくが最も感心している芭蕉の俳論に<虚に居て実をおこなふべし・各務支考『俳諧十論』というのがあります。これがぼくの俳句観の根本になっている思想なんです。」

俳諧は虚実皮膜の危うさに遊ぶものだとの指摘がある。 芸は実と虚の境の微妙なところにあり、事実と虚構との微妙な境界に芸術の真実があるとする論。江戸時代、近松門左衛門ちかまつもんざえもんが唱えたとされる芸術論である。

芭蕉伝書といわれる「二十五箇条」(俳諧十論・支考)には、
「はなの散るをかなしみ、月のかたぶくを惜しむも、実に惜むは連歌の実なり。虚におしむははいかいの実なり」と述べ「和歌は其実を本とすべし」とか「連歌は実情にして」と述べたのに対し、「俳諧は虚頭なり」と言う。そして支孝の有名な「虚に居て実をおこなうべし。実に居て虚にあそぶべからず」と結論付ける。
これに見られるように、和歌的、連歌的発想が直接的、主観的、実情的なのに対し、俳諧的発想は間接的、客観的、虚構的であると説く。和歌的「有心」に対して、「無心」を以て始まりとしたのが俳諧であるから、「実」よりも「虚」を俳諧的と見ていたのであろう。(田中俊一著「俳諧本質論」より抜粋)

もう一度、森澄雄氏の言葉に戻る。

「ぼくはいっぺんも、自分が俳人だと思ったことはありません。俳人が俳句を作るのではなくて、素の人間が俳句を作っている、それが大事なんです。俳句を拵える時に皆さんは、自分の人生はそっちに置いて、いい句を作りたいなあという思いで、材料や季語を探す場合が多くないでしょうか。
ここにお集まりの皆さんには、六十年なり、七十年なりを生きていらした方が多い。それだけの人生を生きてきたということは、その人にとってもう宝なんです。
人生の味わいをたっぷりと持っているはずであって、いちばん豊かな俳句をつくることができるという感じがいたします。ですから、自分がもっているその宝で俳句を作らないで、ただの俳人になって、頭ばかり働かせて材料や季語を探しているのはとても惜しいことだと思いますね。
自分の人生で俳句を詠む、素の人間が俳句を詠む、これが最も大切なんです。」

ということであれば、その人の生とは如何なるものか、というのが次の命題として出てこなければならない。
朝起きて、顔を洗い、飯を喰う。当たり前のように人の世の実生活を営みつつ、今生という時間的にも空間的にも無限のなかにいる人間として生きるはかなさ。「虚」であり「夢」である、そのような無常なる実人生の中に俳句という「虚」の世界を表現する。言わば、一句が「虚」を含んだ大きな世界を持つということ。その微妙な皮膜に命を賭ける俳諧師が森澄雄だったのである。

私が思うに、氏には「虚」も「実」も人生の真相であるという確信があったのではないか。「虚実に遊ぶ」とは「生」を弄ぶことではない。真摯に、謙虚に「虚と実」に真向かう俳諧師の志し、引くに引けない主体性そのものであったということ。俳句とはそのよう「素」なる人間・森澄雄の生き様、命の豊かさそのものだったのである。味わい尽くせない氏の人間性が多くの人に愛された所以でもあろう。

「ノタレジニシタイ」

氏の語った言葉として、故・川崎展宏氏が伝えている。昭和37年の東北旅行の時、森氏が「しきりにノタレジンニシタイとわめいていた」らしい。当時四十半ばを過ぎていた俳人の言葉である。野垂れ死にとは一般的に、誰にも顧みられぬ、価値のない「死にざま」のことである。志し半ば、或いは目的そのものが意味のないものとなってしまった「生と死」。

悲惨で意味のない戦争体験者でもある森氏にとって、「俳句」は、正義とか善悪とかという「何かの為」という手段ではなかっただろう。「俳句」は、存在者であれば足りた人間・森澄雄の、絶望の淵から差し込んだ唯一の光りであったのかもしれない。生き延びるための手段ではなく、俳句と共に生き延びてきたということなのだろう。

「野垂れ死にをしたい」という若き日の呟きは、戦争という悲惨で意味のない、多くの野垂れ死にの果てに平和呆けしている現代社会への唯一の雄叫びでもあったのかもしれない。彼は自問していたのではないか。「豊かな社会」などと浮かれているが、「ものの豊かさ」と引き換えに捨ててしまった大事なものがあるのではないか?と。
森澄雄には次のような言葉も遺されている。

「人間は広大な宇宙空間の中の一点。人間の生もまた、永遠に流れて止まぬ時間の中の一点に過ぎない。」

ここからは存在への極端な依存・期待というものが感じられない。虚無的でさえあるが、氏にとってこのスタンスは生への慎ましさへと展開していった。「現実」という化け物に躍ることなく、名もない人間として野垂れ死にしても、あるがままであることに人生を賭けたい。彼はそう言いたかったのではないか。

すべては夢のようである。そんな世界で多くの人間は実を求めたがる。だが、詩人は夢の中にいて夢を詠うことに命を賭けた。言葉を紡いだ。蚕が自ら紡いだ糸で世界を創造するように、詩人は言葉を紡いで在るべき人間世界を創造するのである。

己の「生」が野たれ死になのかそうでないのか。「死者」は何も語らない。遺されたものだけが「死者の評価」を繰り返している。あれもこれも、すべては夢の中のことである。



森澄雄作品抄

朧にて寝ることさへやなつかしき

妻亡くて道に出てをり春の暮

しづかさの枝のべてみな山ざくら

木の実のごとき臍もちき死なしめき

胡坐してしばしは秋のなかにをり

妻がゐて夜長を言へりさう思ふ

除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり

年過ぎていばらく水尾のごときもの

家に時計なければ雪ははとめどなし

雪嶺のひとたび暮れて顕はるる

飲食をせぬ妻とゐて冬籠

綿雪やしづかに時間舞ひはじむ






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「峠道」

どちらかと言へば控へ目藤袴

霧込めの朝とはなりぬ新松子

峠道釣舟草を見て憩ふ

君を追うて迷ひ込んだる花野かな

ここに来て坐れと草の花筵

団栗を拾へる父も淋しからむ

山葡萄ふるさと帰る由もなく

雨粒をたゝへ紫式部の実

天狗さへ目もくれぬらし烏瓜

跡形もなく露草の蔓延りぬ

木の実豊かに熊を親父と呼ぶ故郷

橡の実晒す白き山より水引いて


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「夢」

千草ほどの夢にも朝が来ればこそ

秋の蜂日は金色に勤しめる

秋風や懲りずに生きてみたけれど

身に入むや腰から下がことさらに

夜学より戻りし兄の大人びて

夜寒さの月を見ずして寝ぬるなり

鶴来ると母の腰巻赤くなり

障子貼る二人で生きてゆく夢の

夜食してどうせ碌でもなきことを

秋灯点けば点いたで憂かりけり

夢喰へば腸苦き秋の暮



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「踏んだり蹴ったり」

秋深く物干し竿を売りに来る

穴惑ひ食へぬ男が素通りす

秋の暮踏んだり蹴ったりしてありぬ

コスモスの茎地に倒れ起き上がる

ねこじやらし遊び足らざる一日の

秋簾忽ち終る一日の

儚むにほどよき秋の浜辺にて

新松子波の音にも日の暮れて

稲架越しの能登も外浦や波の音

寄り添へるこころにかよふ野菊かな

草は穂にいよいよ風のさ迷へる

紅葉蛸釣らむと仕事投げ出して

火の国の土の甘さや薩摩芋

日めくりの空に広がる鰯雲

秋ひとり風切羽の傷ついて



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