再生への旅

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zoom RSS 中山純子という俳人

<<   作成日時 : 2017/01/23 20:05   >>

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たもとほる影あらばこそ寒椿 玉宗

既に故人ではあるが、中山純子という俳人を御存知だろうか。
俳人沢木欣一、その伴侶でもある細見綾子らと共に、戦後間もなく金沢という地方で立ちあげた今はなき俳句結社「風」草創期の同人・中山純子。

沢木亡き後、終刊となった「風」であるが、去就に戸惑っていた私を中山氏が聡して下さったことも今となっては懐かしい。氏には沢木氏の跡を継いで結社を守るといった意識はなかったようで、その後「風」の系譜に連なるいくつかの雑誌が生まれたが、中山氏はそれらの顧問的立場で満足し晩年を過ごされていたようである。 

私は「風」、「万象」などで御一緒させて戴いた時期がある。同じ北陸出身、そして氏は以前「坊守」だったこともあり、お坊さんである私をかわいがって下さったものである。飾らず、偉ぶらないそのお人柄ではあるが、俳句実作に於いては自己にも他者にも厳しい裸眼をお持ちの方であった。その作品はどちらかと云えば、感性に重きを置いた細見綾子先生と通じるものがあり私などは憧れていたのである。私のようなものにとっては亡くなられた沢木先生と同等に位置する大先輩であった。

氏は病弱の身を養っていた若い頃に、沢木欣一、細見綾子両先生に親炙し、その瑞々しい感性の句は、社会性俳句、風土俳句などと言われた「風」俳句の中で、純子先生の俳句は即物具象の手法を用いながら人間・中山純子独自の対象把握、切り込み、放神があった。作者でなくても誰であっても構わないような単なる写生俳句ではない。その作品に私は「風」のころから魅了されていた。

私の第一句集『雪安居』出版記念祝賀会というものが輪島で開かれた時のことである。同人になって間もない私のために、金沢からお仲間を連れてわざわざ出席してくださった。その席で私は句集のあとがきにも書いたような、出家と俳句作りへの拘りを挨拶の中で語った。出家することが真に自由な生き方をしたかったからだという、私の言い分は中々まわりの人達には理解してもらえていなかったが、式後、純子先生は私の傍にこられ次のようなことをいわれた。

「お話しを聞いて、あなたという人間・市堀玉宗、お坊さん・市堀玉宗がよくわかりましたよ。頑張ってね。」

在家の人、それも俳人にそのようなことをいわれたのは初めてであった。ファンである純子先生本人にそのように言われ私は心底嬉しかった。俳句の総合誌上で私の俳句に対して「お坊さんであることに甘えている」という批評をある俳人から貰ったことがある。「お坊さんであることの甘えがあるのならば、お坊さんでないことの甘えもあるだろうに。」という思いで過ごしていた私にとって中山純子先生の存在は、人間・市堀玉宗として評価してくださる先達が現われたということなのである。

嘗て中山先生はお寺の坊守だった。住職亡き後、子育てや御自身の病気など、苦労を重ねられ、その後お寺を出られたという。(人から聞いた話しだが。)先生にはそのような苦労人の翳のようなものは微塵も見当たらないが、人生の表裏を知り尽くしたものの芯の強さと柔軟さが同居していた。そんな先生から、調子にのって第二句集『面目』を出した折に戴いた忘れられない言葉がある。

「あなたの句には個臭があります。それは文芸における真の個性、オリジナリティーとは違うものです。御自愛下さいね。」
 
「風」主宰・沢木欣一先生が亡くなられ、「風」は終刊となる。誰が「風」の本流を継承するのか。自薦で主宰になり、新しい俳誌を立ち上げるので同人として参加してほしいという依頼が二、三あった。どうしていいのか解らず、中山先生に電話をしたら、

「じっとしていなさい。そのうちどうにかなるから。」

呑気なところもおありなのである。結局、「万象」「白山」「栴檀」等が衛星誌としてたちあがった。金沢の「白山」からは声が掛らなかったので、当初私は東京の「万象」にお世話になっていた。しかし、内心は中山先生に主宰となる俳誌をもってほしかったのである。
 
その後、私は「万象」からも離れることになるのだが、氏も嘗て受賞された金沢市民文学賞の祝賀会にも駆けつけて下さり、親しみのある金沢弁で受賞を喜んで下さった。
輪島の「風」同人の葬式に列席した折には、思わず先生の頬を両手で摩り久濶を表してしまい、心ならずも違う結社で俳句を続けることになってしまった思いを爆発させてしまった。その後御無沙汰していたが、被災に際してはあたたかいお見舞いの言葉をいただいていた。

純子先生は坊守をやめられた後再婚なされ金沢で息災に暮されいた。年賀状だけのやりとりだけになってしまっていたが、いつであったか、ふらりと立ち寄ったかつて坊守をされていた羽咋の妙成寺に純子先生の句碑がひっそりと建っていたのには感慨深いものがあった。

生涯忘れられない俳人のひとりである。合掌。


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「ここにきて」

食うて寝て風邪の養生夢十夜

大寒の蛇口が叫び声上ぐる

息白く夜の駅舎を吐き出され

くれなゐの手の中にある寒卵

枕辺に蜜柑を置いて去りにけり

笹鳴くやがらがら嗽してをれば

辛酸を舐めたる顔や根深汁

寒雷に浮かび上がりし夜の影

ここにきて三年寝太郎春を待つ

春を呼ぶ大の男が一人づつ

山河枯れ声嗄れ尿も涸れにけり



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「中年」

幾山河越え来し日向ぼこりかな

ストーブを二人で囲んでゐた時間

生姜湯や中年といふ荒野にて

手のひらの夢を燠とす葛湯かな

雑踏に紛れてゐたり着ぶくれて

鶴鳴くや母がおろろろするごとし

白鳥抱いて帰れば母の喜ぶならん

やがて死ぬ旅の蒲団を干しにけり

夜泣きせし赤子あやしに来る鯨

停車場や見渡す限り冬枯れの



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「風の如きが」

風花の宴の如きさざれ石

さつきまで達磨でありし水溜り

蒼ざめて雪のゆふべが来てゐたり

橙や今は昔の船問屋

能登に入る馬頭観音冬蕨

讃ふべき深空もなけれ冬桜

相方に先立たれたる日向ぼこ

僧といふ風の如きが寒を行く

禰宜といふ翅の如きが春を呼び

生涯に一度の恋や雪女郎

たもとほる影あらばこそ寒椿










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