再生への旅

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zoom RSS 仏道と発達障害

<<   作成日時 : 2017/05/28 04:13   >>

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あぢさゐやまだいろもたぬさみどりの 玉宗




先日、NHK総合テレビで「発達障害」に関する番組が放映されていた。番組を見終わって認識を新たにした。「発達障害」「適応障害」という言葉は最近よく耳にするようにはなっている。「障害」とはだれにとっての「障害」なのか。「障害」とは何か。「社会」とは何か。「適応」すべきは「社会」という「外なるもの」なのかどうか。等々、いろいろ考えさせられる内容の番組だった。

「発達」「適応」といった「問題」は社会が発生して以来のものだと思っているのだが、「障害」が「社会問題」として注目されるようになったのはそう古い話でもないのではないか。「問題」を「社会化」すること。或いは「問題」が「社会化」すること。そこには社会が社会としての使命を果たすべき試行錯誤があるのだろう。社会もまた成長し続ける。続けなければならない。学ばなければなるまい。個人がそうであるように。いじめ問題への対応は勿論のことであるが、家族、隣人、一般社会全般に亘って「発達障害者」への偏見を除き、意識改革、共生改革をしていくべきであろう。それぞれがそれぞれの能力に応じて社会に迎えられ評価される世界。ひいては、国家間に於ける差別意識解消への支点になるやもしれない。

私が小学生のころ、クラスにそのような女の子が一人いた。その頃は「発達障害」という言葉はなかった。現在では憚れる差別用語で呼ばれていたように思う。私の目には正直なところ「普通」ではなかったが、私を含め「普通」とされている人間が彼女以上にその後「問題の多い人生」を送っていることを思い知らされるのである。

私自身、学校を終えて社会へ出なければならなくなった折の煩悶を思えばとても「普通」で済まされるものではなかった。自分が「普通」に社会に適応できるだろうか、生きていけるだろうか、といった頗る個人的な、謂われない、普通でない、闇雲に近い懊悩があった。そして曲がりなりにも社会へ出た後の、適応することへの変遷。学びの紆余曲折。落ちこぼれ意識がなかったといえば噓になる。その果ての出家と言えなくもない。

しかし、出家した世界でも「障害」がなかった訳ではない。私のような落ちこぼれでも生きていける社会、生かさせて貰える社会。私は社会に適応しているのだろうか。不適応ながらも埒もなく生き延びているようにも見えなくはない。今もなお、危うい存在であることの夢に魘されることもある。どこまで行っても逃れられない「自己の正体」といったものがある。それは「障害」となって現れるかもしれないが、それがそのまま越えるべき「人生の展望台」のようにも見えてきたりもする。いずれにしてもこの辺は極めて個人的領域、冷暖自知の世界の話である。

そうであるから尚更のこと、お坊さんの世界、又は僧堂に於いても同様にこの問題への対応、解決が余儀なくされているようにも思える。本来、僧伽では社会的能力の多少や生産力の多寡を問わず、ひたすら佛道にかなうか叶わないか、つまり、自己の正体をどれほどわがものとしているかだけが理想とされなければならない。いのちに上下なく、比較される謂れもない領域、自己限りで成仏しているといった大前提があろう。天上天下に唯我独尊なる存在同士であるということ。いのちに採点をしないというのが宗教ではないのか。宗教がそのような尊いものでなかったならば、私にはその社会的意義が解らないのである。宗教そのものが「障害」を来しているとは思いたくない。それは神様だって望んでいることではなかろう。


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「ふらりと」

衣更へてふらりと風の吹く方へ

母一人子ひとり天道虫止まる

明日知れぬ三十円の目高かな

茶箪笥の奥まで夕焼してゐたる

籠枕邯鄲の夢よこたへて

生きながら伝説となり藤寝椅子

陶枕や死出の旅路の冷たさの

竹秋や夫婦茶碗も古りにけり

生家なきふるさと茅花流しかな

麦秋や夢の中にも風吹いて

甲斐もなく見捨てられたる余り苗

雲の峰額に汗し働けと


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「詠ふ二十句」

郭公や山懐の彼方より

身を捨つる谷の深さよ閑古鳥

郭公や山のあなたに山連ね

杜鵑世を捨てかねて詠ふなり

暁の夢の甘さよ不如帰

朝空にひそみ詠ふや時鳥

青葉木菟眠れぬ夜の嵩重く

木菟の夜を戻り一人の灯を点す

薬売り峠に水木咲くころの

死出の旅麦の秋風吹くころの

望郷やじゃがたらの花見るころの

アカシアの花の海道浦かけて

舟虫や沖見るたびに裏切られ

通り雨蕗の広葉のあかるさに

跡絶えて延齢草の咲くばかり

沖遠く浜昼顔の泣くばかり

人絶えて青羊歯茂るばかりなり

だらしないやうにも脱ぎし竹の皮

ほどきたるやうにも垂れて花さうぶ

うかべたるやうにも揺れて芥子の花



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「探す」

昼寝覚め身の置き処探しをり

飯饐ゑて妻の逃げたる味すなり

石楠花の蕾に蟻が背伸びせる

花柘榴鮮血なして目に留まる

溝浚へ三々五々と始まりぬ

笛になる草を探してゐるらしき

水喧嘩四の五の言うて終りけり

滴りの一つながらに繫がりて

舟虫の実に見事な四散かな

蛍見ににほふが如き夜を見に

明日ひらく蓮をおもひ眠るなり

手探りの戦争前夜蟻の列









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