再生への旅

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zoom RSS 俳諧ともののあはれ、わが「せつせつ」考

<<   作成日時 : 2017/05/25 04:09   >>

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木隠れに涼しくねまる石ひとつ 玉宗




野澤 節子の初期の作品として有名な次の作品がある。

せつせつと眼まで濡らして髪洗ふ

ここでの「せつせつと」をどのように解釈するのかという提言がFB上で話題になった。

言い出したのは林義雄氏。FBの自己紹介によると、
「日本語史専攻。ツイッターで毎朝続けている「今日の季語」を転載しています。時局を諷刺する「時事都々逸」「今様武玉川」の他、連句興行などの文芸活動や、サイクリングと取り合わせた飛行機撮影を楽しんでいます」というお方である。

当初、私は次のような鑑賞をコメントした。

「髪のない私が言うのも何ですが、髪を洗う時は目を瞑るのが普通だと思いますが、あえて「眼まで濡らして」とするとことに作者の意思があることはまちがいないのではないかな。「せつせつと」とは一般的な意味で余念なくということかと。その余念のなさがこの句のポイントなのでしょうね。余念なく髪を洗いたいのに眼まで濡れているとは、どういう物語があったのか。汚れてしまったのは髪だけではなかった。まなこも又汚れてしまったという作者の無念さが垣間見えます。作品からは正直なところ凌辱と言う言葉が浮かんだりもします。まあ、そこまでではないとしても何か女性であるからこそ受けた恥辱への悔しさ、やるせなさが漂ってはいないでしょうか。ことほど左様に髪を洗うことは女性にとって再起再生への手立てではあったのでしょうね。そういう意味でも秀句であることは間違いないと思います。切れば血の出る俳句、新鮮にして不易なる気息が感じられます。合掌」

とまあ、初めは得意満面であったのだが、すぐにそれが独りよがりであることに思い至る。


氏の説明によると、「 擬音語・擬態語の使い分けが面倒かつ曖昧なところもあるので、両者を併せて「象徴詞」と呼ぶのが使い勝手がいいですね。これに対する一般語を「記号語」と呼ぶと、問題の所在がはっきりしてきます。漢語の「切々と」も記号語にあたります。」

氏によるとこの「せつせつ(と)」は、私を含めた多くの鑑賞者が抱く「切々(と)」というより、以下のような代物であることを指摘されておられる。

「前項−2−に示した「せつせつ」の枝道Aは、この表記の前が促音、後が直音にあたる「せっせつ」の読みを仮想するものでした。
前項の枝道@「せつせつ」の「切々」が形容動詞の語幹に相当するものであったのに対して、こちらは「節々・切々・折々」などと表記される漢語名詞で、他方には@の「せつせつ」の読みが用いられることもあります。また、その多くは、下に「と」を伴わぬ形で副詞としても用いられます。
この漢語には次のような意味が備わっています。
 1)おりおり。ときどき。
 2)たびたび。しばしば。
この両項について、『日国』(以下この略称を用います)に示された用例の表記に適宜手を加えて引用します。
 1)今からはせつせつまかり上ってお目にかからう。 (狂言『墨塗』)
 2)此の間、切切鷹野へ罷り出でられ候ひ、殊の外、鷹数寄(=好き)
   にて候。 (上杉家文書)
ちなみに、この語形の前項「つ」が促音であったことは、『日葡辞書』に「Xexxet.またはXexxetni. 何度も、あるいは、頻繁に」とあることから裏付けが得られます。
ここで注意されるのは、上記2の語義を掲句に当てはめても、さほどの違和感を覚えない点です。掲句の解釈に当てはまるかどうかは別として、一般的表現としては、「たびたび(しばしば)髪を洗う」もあり得るからです。これはこの後の検討においても含み置くべき性格の事柄です  「せつせつと」句を洗い直す −3−
より抜粋」


なるほど、氏の学究者としての提言には言葉の地平を改めさせられることが多い。今更ながらわが教養のなさを思い知らされるのである。

それはそれとして、今現在のこの句への私の鑑賞は当初より趣が変わってしまった。
「せつせつと」とひらがなで表記したところには「切々と」から来る心理的なものだけではなく、擬音的、擬態的な効果、印象が生まれることにより作者が病者であるかないかは問題でなくなる。心理的深読みよりその方が新鮮であることに気づく。より即物的になるということ。それによって、句に俳諧のほそみ、にほひ、ひかりが増すのではないか。

つまり、氏の指摘する上述のごとき語義にして尚更のこと、「もののあはれ」が感じられるのである。
生きることへのなにげなさ、切なさ、をかしみ、といったようなもの。病んでもなお髪を洗うという仕草の、あはれさ。ここには作者の表現者としての客観的なまなざし、ものの本質をみる目があるのだと思う。野沢が当初、境涯俳句と言われる地平に立っていたにしても、作品そのものからは主観を越えた「もののあはれ」が漂ってはいないか。それは作者の意図したところではなかったかもしれないが、俳句という器は容赦なく、そのような世界へわれわれを放り出す。「せつせつと」人は生き、ときに髪を洗い、ときに飯を食い、ときに眠る。いのちあることの「なにげなさ」がそのまま「奇跡」であることの「せつせつ」たる「今の様子」がある。

野沢節子という俳諧の誠が成し遂げた「もののあはれ」の典型をここに見る思いがしている。



野澤 節子(のざわ せつこ、1920年(大正9年)3月23日 - 1995年(平成7年)4月9日)は日本の俳人
神奈川県横浜市生まれ、父龍太郎、母こづゑの長女として生まれる。
1932年(昭和7年)にフェリス和英女学校に入学するも、その翌年に脊椎カリエスを発病したため、中退。この病気は後の彼女の人生を大きく左右することとなる。病に臥した彼女は、哲学書を初めとした書物を濫読することになり、その中に俳句の出会いとなる松尾芭蕉の『芭蕉七部集』があった。その後、彼女が一生涯慕うことになる大野林火の『現代の俳句』に出会い、大きく人生を変えていった。
1909年には臼田亜浪主宰の「石楠」(しゃくなげ)に入会するが、それも雑詠欄の撰者が林火だったからであり、野澤二三子という号で投稿を行った。「石楠」は第二次世界大戦の影響で休刊するが、戦後の1946年(昭和21年)、林火が俳誌「濱」を創刊したことで、すぐに投句を始める。その翌年には第一回の賞を受賞したことで同誌の同人となった。
1955年には処女句集『未明音』を刊行。同年に第四回現代俳句協会賞を受賞した。1957年には宿痾であった脊椎カリエスが完治した。これを機に生け花も習うことになり、華道の先生として自立を果たし、また度々旅行にも出ることになる。その後も最大の理解者であった父の死や、師匠と慕い続けた林火の死という苦難を乗り越えつつ、数多くの句集を生み出し、また闘病記、旅行記や女性の俳句普及のために尽力し、手解き本なども執筆した。1971年には句集『鳳蝶』(牧羊社)にて第22回読売文学賞を受賞した。
1971年、「蘭」を創刊。編集長を務めた和田耕三郎などを育てる。
1995年(平成7年)4月9日、没。享年75。その翌年、遺作である句集『駿河蘭』(本阿弥書店)が刊行された。

作風
師匠の大野林火は、彼女の俳風を「清純にて清冽」と讃えている。しかし、その裏側には闘病生活の間で培われた「生」に執着する姿があり、度々本人が「いのち」という言葉を使うほど、激情と強い意思に満ちたものであると評される。また、現代女流俳人の飯島晴子は節子の俳風を「強い表現の中にも女性らしい嫋やかさがある」と高く評価しており、その内側には闘病のために外界と触れあう機会が限定的であったことが、より抒情的な俳風に大きく起因していると述べている。したがって、難病を克服した後は、表現の厳しさを持ち合わせながらも、段々と自在性の高い俳風に変化を遂げていった。

野澤節子の俳句

これよりの炎ゆる百日セロリ噛む
さきみちてさくらあをざめゐたるかな
せつせつと眼まで濡らして髪洗ふ
はじめての雪闇に降り闇にやむ
われ病めり今宵一匹の蜘蛛も宥さず
をさなくて蛍袋のなかに栖む
丘麥そよぐ夕景たのし戰なくば
冬の日や臥して見あぐる琴の丈
冱て返る沼のごとくに午後睡る
午までをなぐさまんには雪淡し
向日葵の瞠る旱を彷徨す
壺に眞白降雪前に剪りし梅
夏未明音のそくばく遠からぬ
外燈下乙女ひらり過ぎ涼し
外燈立ちその先深雪道昏し
大寺の月の柱の影に入る
天よりも夕映敏く深雪の面
天地の息合ひて激し雪降らす
天日も鬣吹かれ冬怒濤
寒の百合硝子を聲の出でゆかぬ
幸福といふ語被せられ餅焦がす
懷手すぐぬくもるや疲れたり
新しきは空と早乙女早苗籠
新しき家へみしりと雪女郎
日々南風棕梠の葉先と髪亂る
春の燈の消しそびれしを孤燈とす
春昼のゆびとどまれば琴も止む
春暁をまだ胎内の眠たさに
春曉のすべての中に風秀づ
春曉の雨淡泊にこぼれ止む
春曙何すべくして目覺めけむ
春灯にひとりの奈落ありて座す
枯れし萱枯れし萱へと猫沒す
枯野の日の出わが白息の中に見る
梅雨清浄葉をひろげゐる樹々の上に
炎昼の胎児ゆすりつ友来る
熱の夜のさくら咲き滿ち幹立てり
病む麥も刈りいづこへか運び去る
白地着む頭上げし蛇身ひかりたる
白桃のうす紙の外の街騒音
短夜の雲の帶より驟雨かな
秋風が眼こふかくに來て吹けり
竹の葉騒は冴ゆる眼鏡に數知れず
脣かたく石工若しや夏ズボン
芝燒いて曇日紅き火に仕ふ
虚實なく臥す冬衾さびしむも
虹へだて旅信に待たんこと多し  〈 Wikipediaより抜粋〉



















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「地」

芍薬の花地に垂れて雨あがる

緑陰に烏の歩く暇さうに

水打ちて地を這ふ風のありにけり

くちなはや己が影に苛まれ

葱坊主地の果てに日の落つるべく

参道に裏表あり蟻のゆく

鉄線花客に品格ありにけり

亀の子の泪し歩くぱたぱたと

アイステイー少し自慢の妻とゐて

馬鈴薯の花よ大地の果てまでも



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「風の便り」

玫瑰や風の便りは海越ゑて

梳る海女が黒髪あいの風

白銀のぬるりと茅花流しかな

海からの風せり上がる夏蓬

風吼ゆる谷の深さよ橡の花

ひとしきり募る雨風花かつみ

美空ゆく風のあかるさ花あふち

沖を来る風はさびしや花とべら

若葉して風の岸辺となりにけり

暑き日や風に生き死にありにけり



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「せつせつと」

繍線菊や母に顔向けできぬなり

ひとしきり雨打つ音や夏落葉

海原をせつせつと亀泳ぐなり

舟虫や父の位牌に海の文字

木隠れに涼しくねまる石ひとつ

信用を失くし緋鯉が残りたる

夜店より戻れば家のしんとして

窓際の淋しからめと四十雀

雨蛙ひとりの夜を帰るとき

緑陰に肩身を狭くしてゐたる

雲中に日はうつうつと花うつぎ

咲くことの鈴ふるやうにえごの花












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内 容 ニックネーム/日時
玉宗さま、フェイスブック所載の拙稿を踏まえて構築された御論を嬉しく拝読させて頂きました。ここに足を踏み入れてみると枝道が次々に現れて、飽くことを知らぬ状況に置かれています。この先もどうぞよろしくご覧下さい。
林 宗海
2017/05/25 07:35

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