再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 拝啓、良寛さま「一人遊びのこころ」

<<   作成日時 : 2017/06/03 08:29   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


アリバイのなほ続きをり百合の花 玉宗



世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞわれはまされる 良寛

拝啓、良寛さま。

若葉眩しい初夏の候となりました。僧堂では換簾、更衣の時節でもあり、高祖様の御示し下された、まさに坐禅の好時節とはなりました。自己に深まるというわれらが行持の一大事因縁を思うことです。

さて、世はいつも手を変え品を変え、目先の事象に右往左往しています。歴史は繰り返すと申しますが、人間の愚かさ、賢さは糾える縄の如くに過去から現在へと続いています。私はそれを嗤うものではありません。「今」を解決し、決着しなければならないことは僧俗、出家在家に関わらず避けて通れない人間の宿命でもありましょう。存在の条件は誰もが同じであり、要はその方便が違うということなのでしょう。謂わば、欲望への間の取り方、遊び方の相違とでももうしましょうか。良寛さまは良寛さまなりの欲望との間の取り方をなされて、世を逃れ、韜晦しし、遊化し、生死を全うされたのでしょう。良寛さまのような生き方を憧れているのですが、さて、私に犀の角の如き自己に徹っした生き方ができるかどうか。

齢還暦も過ぎましたが、まだ父として師匠としてやるべきことが残されてはいます。私の一人遊びは良寛さまのようには参りません。それもまた天命でしょうか。

生きながら死人となりてなりはてて思いのままにするわざぞよき 至道無難禅師


いつ、どこにいても、世界はわが命の荘厳。自己の世界の様子。
子供は遊ぶことに真剣です。余念がありません。今しかありません。「遊化」「三昧」とは仏道の理想とするところです。「今」になりきり、「生死」になりきり、「自己」になりきる。一寸先の闇を自己の灯明を掲げて生きてゆくしかありません。合掌。


画像


「由緒二十句」

白雲の行方も知れぬ安居かな

朝な朝な真清水汲むや閼伽の僧

雲水の大きな素足蟻も驚く

托鉢の米の山より米の虫

われなくて涼しき風の吹くばかり

昼寝より覚めて写経の筆洗ふ

若葉吹く風や小僧の微睡みに

裸になれば人間臭き典座かな

無口なる男ばかりや瓜を揉む

麦飯にはぐらかされて満足す

拘りのなくて些か黴臭き

夏蝶の弾き出されし昼の鐘

仏弟子の由緒正しき昼寝かな

十薬を摘めば破戒の匂ひして

懺悔せし布薩の夜や冷し酒

鴨足草誰も通らぬ抜け道の

天蓋の上にひもじき燕の子

面壁の背なに一喝はたた神

寝落ちたる後架に蛍火ゆらめきぬ

参籠の寝言歯軋り青葉木菟


画像




「妖精」

昼寝覚めそのまゝ端居してをりぬ

犬も食はぬ飯の汗なりひんやりと

手に負へぬほどの竹の子とはなりぬ

庵せし名残りも八重の葎かな

愛うすき仔猫を山へ埋めにゆく

別れまで二番蕨を摘みながら

遠くへは行かぬ金魚を欲しがりぬ

恋にやぶれ風に破れし夏帽子

一本で足りる夏葱採りに出る

妖精が次から次へ雪の下

虎尾草や日の落ちかゝる心細さの

駅を出ていつもの道や姫女苑

父なくて沖みる癖や浜豌豆



画像


「雨粒」

たひらかに雨を散らすや額の花

日に弾け雨に弾けし金糸梅

大粒の雨や葛饅頭つるり

葱坊主無理して雨に祟らるゝ

雨が来る庭の暗さや苔の花

蜘蛛の糸雨粒絡め取りにけり

釣鐘草雨後を下校の子が通り

鵤鳴く洗ひ晒しの朝が来て

十薬を見てゐて肩に雨粒が

水面うつ音して雨や蓮浮葉

小糠降る雨の如しや栗の花

足もとは雨の水輪やあめんぼう

大山蓮華雨に濡れたる遺書のごと










テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
拝啓、良寛さま「一人遊びのこころ」 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる