再生への旅

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zoom RSS 宗教と再生

<<   作成日時 : 2017/06/24 08:03   >>

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夏花摘む二人で生きて来た朝の 玉宗



〈日本語の「宗教」という語は、幕末期にReligionの訳語が必要となって、今でいう「宗教」一般をさす語として採用され、明治初期に広まったとされている。原語のほうの英語 Religion はラテン語のreligioから派生したものである。religioは「ふたたび」という意味の接頭辞reと「結びつける」という意味のligareの組み合わせであり、「再び結びつける」という意味で、そこから、神と人を再び結びつけること、と理解されていた。 『ウィキペディア・フリー百科事典』より〉

「神と人を再び結びつける」とは「神の手元を離れた人間」がいるということだ。「自己をみうしなったが人間がいる」ということだ。「繋がりを見失った自己」がいるということだ。「孤独な自己」がいるということだ。現代人は自分の孤独さを本当に知っているのだろうか。

私は以前から「出家は再生である」と言い張って来たが「出家」を「宗教」に換えてもいい。否、もっと直截に「人生」としてもいい。否、もっと事実に即して云えば「いのち生きること」と換言してもいい。「実存」と言ってもいい。「私」といってもいい。「諸行無常」と言ってもいい。「今」と言ってもいい。

いのちは常に自己更新をし続けている、世界と不即不離の今の事実である。「いのち」は「再生力そのもの」である。「宗教」が「阿片」なのではない。自己を誤魔化している自分がいるのだ。「諸行無常」が「阿片」なのではない。「諸行無常」に目を瞑ろうとしている弱い自分がいるのだ。絶対的に孤独な自己をどう始末し、決着をつけるのかと問われている。「宗教」とは「自己再生」のことに他ならない。もう一度、否、何度でも本来の自己に切り結び、立ち還る。自己の命を生きるのは自己であるという厳然たる事実は免れられないことを肝に銘じていなければならない。

宗教にもいろいろあると言ってしまえばそれまでであるが、宗教という名のもとに人心を惑わすようなことをしてはいないだろうかと思ったりもする。



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「ふらり」

ふらりふらりと浮かぶ瀬もなき海月かな

飯饐ゑて妻の逃げたる味すなり

叱られてもつかず離れず烏の子

長生きの母が着こなす単衣帯

うつくしき雨に打たるゝ落し文

目の前にふらりと蜘蛛が降りて来し

かさかさと紙の音して這ふ百足虫

山門に逃れてゐたる夕立かな

落ちてゆくしづけさにあり蟻地獄

家族なる夢のかろさや夏蒲団

寝て過ごす梅雨の重さの鯰かな

天道虫ふらりと生きてゆくつもり


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「星」
花はみな星のかたちに額なして

鬼灯の花はほのかに濡れてをり

月見草波の音にも宵迫り

虎杖の花に潮騒霧込めの

青葉潮わが立つ巌に砕け散り

どくだみの群れ咲く花の十字星

海芋咲く日を呑み込んで吐き出して

道のべに旅荷ほどくや花さうぶ

ひらめきてうすくれなゐのあふひかな

はまなすや流浪の波がうち寄せて

ひた打ちて水の夕べとなりにけり

守宮搗く星の滴る夜なりけり




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「中」

弾け飛ぶ光りの中や水遊び

藺座布団放り投げたるかろさあり

裸子に夢のさ中の眩しさよ

煙草火の焦げ跡一つ簟

夢追ひし記憶の中を浮いて来い

泣けてくる実家のかろき夏布団

その中に日焼け顔なる僧一人

昼寝覚め置き忘れたる五体とも

漸くに眠りの中や汗疹の子

守宮鳴く母の窓辺や夜も青く

死後のこと語り合うたる蚊帳の中










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