再生への旅

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zoom RSS いのちの断絶と繋がり

<<   作成日時 : 2017/07/06 05:48   >>

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父母のあの世気になる暑さかな 玉宗

お盆のころというより、夏の暑さ、そのひだるさのころになると自然に先祖を偲ぶようになる。
いのちの断絶と繋がり。人生のリレー。それはそのまま紛れもない諸行無常の端的な様子なのであるということを、季節の中で如実に実感する。これからはそんな時季。

ところで、この時季にはもうひとつのイメージが私にはついて回る。それは「食べることの有難さ」といったこと。先祖へのお供えものとして、貧しいながらも精一杯のご馳走を用意していた母の姿が脳裏に焼き付いている。

先祖だけではない。生きている家族や親戚と共にご馳走を食べることの幸せ。それはまるで神仏への捧げものを戴いているかの如き豪華さと賑やかさ。そしてどこか淋しい饗応でもあった。そこにはまぎれもなくこの世に遺されたという現実があった。

やがて死すべきいのちを、ひととき永らえていることへの目覚め。食べることの嬉しさとやるせなさ。食べることの尊厳さ。生きていることの奇跡。そんなことへ思いがいたるのもこの時季ならではのことであるかもしれん。

死んでいったものたちの、血と肉と土、そして志を喰うて生きている私。いのち戴き今を生きて行かざるを得ない私。死と共にある生。やがて私もそのような世界へこの身と心を捧げなければならない。それは避けることのできない存在の前提。

できる限り清浄なままで、死んでいった者たちの消えて行った世界へ還っていきたいものだ。清浄とは何か?その答えもまたわが人生を生き切り、全うすることによって自ずから出て来るであろう。命の断絶と繋がり。それがそのまま今生を共にした者への、ひとつの恩返しの姿でもあろうかと思う。命、大事に。合掌



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「向かう」

朝顔や死すべくありぬ人の世の

九十の母の嗜む梅酒かな

茄子の花きのふと同じ愚かさの

たもとほる昼寝の妻を見るに見かねて

のど越しのよかりし金魚かとおもふ

夢いくつ虹の向かうに捨てたるか

向かうへと渡るすべなき端居かな

夕さりし風に酔うたる芙蓉かな

強がりで性懲りもなきすててこで

こんな夜は能登の地酒を冷やすべく


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「折からの」

朝まだきさみだれを聞きまた眠る

折からの梅雨の青さに籠るなり

垂乳根に薬の匂ひ半夏生

蹲に溢れてゐたる五月雨

濡れそぼつ草の嘆きも半夏なる

梅雨出水首を擡げて蛇泳ぐ

偶に来る伯父の白靴雨に汚れ

谷汲の雨に煙れり合歓の花


夏萩のしとどに濡れて枝垂れけり

仄暗き雨に落ちたる沙羅の花

五月闇腐草蛍となるころの



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「幸ひ」

新じやがや迎来祭り来るころの

長生きを詫びる母をり合歓の花

明日知れぬ幸ひにあり青山椒

空に影し泰山木の花高き

向日葵や太陽に死の翳りあり

青田吹く風もゆたかに手懐けて

とうすみやあはれ寄り添ふ影もなし

死界より近づいて来る蚊なりけり

蛍火や卒塔婆土に還るころ

菩提寺へ子を差し出せと青葉木菟






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