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zoom RSS 今日の言いたい放題「国難とは何か?」

<<   作成日時 : 2017/10/01 03:52   >>

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死ぬる世に秘め事多し蚯蚓鳴く 玉宗


秋彼岸が過ぎて俄かに朝晩の冷えを感じるようになった。
今日から十月である。光陰留め難く、今年もあと三か月となった訳だ。ここに至って政治の世界が内外に亘って慌ただしい。「国難」という言葉を使って選挙に臨もうとしている政治家もいる。「国難」を煽り民心を誘導し、更なる国難へのめり込んで行った歴史がある。たかだか百年にも満たない前のことだ。

国難も平和も声高に扇動するようなものだろうか、といった非国民的な思いが私にはある。
凡そ「神」とか「愛」とか「現実」とか「理想」とか「国家」とか「正義」とか「繁栄」とかいった概念が働きだすと途端に宙に浮き、踊らされ、執着し、呆けてしまう有史以来の愚かしい人間らしさの「現実」。

人間らしさへの違和感、絶望が私にはある。絶望するのは容易いと為政者には叱られるかもしれないが、宗教が「国家」から分離されている「現実」を彼らはどう見ているのだろうか。彼らこそ、人間に対して安易に絶望し、安易に希望を抱きすぎているのではないのか。

為政者が「国家」の名を借りて目指すところの「戦争」、そして「平和」それはどちらも「人間らしさ」の喧噪にしか私には思えん。人間の愚かさは今に始まったことではなかろう。国難は今に始まったことではなかろう。

「国難」それは人間が言うことではない。この世に人間を送り出したものこそが言い得る「嘆き」ではないか。そもそもが「生き難き」というのが存在の前提たるお互いである。私は「国家」に戦争を頼んだ覚えも、平和を頼んだ覚えもない。永遠も不死をも頼んだ覚えがない。

神も仏も人間という我欲もない世界。人間らしさを越えた彼岸。それだけが真実で現実という地に足を付けた人間を救い得るのではなかろうか。それだけが生き難き現実を歩む力を与えてくれるのではなかろうか。夢の世に、虚仮の世に、死ぬべき世に、そんな淡い希望が私にはある。

目覚めた者がいないこと。それ以上の「国難」はなかろう。





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「濡れる」

グランドの空も帰燕の色となり

泣き濡れし林檎の冷えを手に受くる

ゆらゆらと蝶の飛び立つ紫苑晴

白式部紫式部玉と濡れ

露孕みねまりし鹿や胡乱なる

放課後の空はつれなき蔦紅葉

杜鵑草花と生まれて声もなし

濡れそぼつ秋海棠や乙女さび

赤々とかりがね寒き実となりぬ

烏瓜月の雫にずぶ濡れて


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