再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 運転は人である

<<   作成日時 : 2017/12/10 05:11   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


見えずとも仏へ続く雪の道 玉宗

何時ぞや、煽り運転や嫌がらせ運転の果てに人身事故を起こし人命が失われるといった事があった。私自身もあのような経験をしたことがある。車という道具も使い様で便利にも遊びにも凶器にもなるという証拠。

夫人の運転歴は私より長い。わが夫人は呑気で、ある意味マイペースな日常。時々、忘れものや時間に頓着しないようなところがある。自分の時間に忠実に生きているようにも見える。コツコツ、ボツボツ、ゆっくり生きたがっている。人を押しのけるといった女性ではない。どちらかと言えば控え目であろう。欠点が欠点に見えないような胡散臭いところもあるが、総合的には可もなく不可もないといったところか。車の運転では私より10キロは速度オーバーで走っている。然し、交差点やカーブでの減速や注意の仕方が悪くない。散漫ではないのである。結果的にはゴールドカードの運転免許証である。

私であるが、夫人に言わせると「怖くって一緒に乗っていられない」そうなのである。
それはスピードを出し過ぎるといったようなことではなく、なぜか乗り心地が悪いらしい。私はそうは思わないのだが、余所見が半端ないという。好奇心が旺盛の所為かとも思われるのだが、結果、ハンドルがぶれたり、車間距離が縮まったり、速度に波があるらしい。ハンドルさばきも下手。挙句に方向音痴。他人の運転には批判的。同乗者がいると頼まれもしないサービス精神を発揮して、のべつ喋りまくるようなところがある。挙句に喉を嗄らしている。運転しながら無性にものを食べたがる。車内での沈黙に耐えれないところがある。一人で運転しているときはそうでもないのだが・・。淋しがり屋が運転したらこのようになる、といった典型なのだろうかと思わないではない。甘えちゃうんだね。結果、運転が散漫になる。

幸いに人身事故を起こしたことは一度もない。然し、対物(ガードレールや縁石。止まっている物体)になんどかぶつかったり、乗り上げたり、こすったりしている。こう見えて、スピード違反と駐車違反はそれぞれ一回づつ。パンクは三回くらいしたかな。雪道でスリップして回転したことが二三回ある。対向車が来ていたらと思うと冷汗が出る、ということが何度かあった。後で振り返ると「俺って、運が良いなあ。神仏に守られているんちゃうかいな」と手を合わせたくなるような場面が結構ある。運転ではないが、能登半島地震の被災体験もまたそう感じたものである。

まあ、結果的に運転に関しては今の私もゴールドカードである。夫人や家族に同乗を嫌がられてはいるが、優良運転手と言って差支えなかろう。

いずれにしても、言えることは「運転もまた人である」ということかな。調えるべきは車両以前に利用する人間の方である。運転席という個室、狭い世界から見えるものは私自身の写し鏡である。日常生活と同様に自己を過信しないことが求められてゐよう。



画像





「義理」

義理の世を渡り歩きし褞袍かな

くさい飯喰うたる顔に頬被り

刺青のやうにも徒に帰り花

から風や関八州に名を馳せて

落とし前つけよとばかり寒かりき

極道のぶら下げてくる大根かな

猫の手も指も足らざる十二月

堅気では生きてゆけぬと着ぶくれて

花札の裏は真つ暗夜の雪

泥臭く闇に消えたる狸かな

死にし子の乳をもらひに雪女郎

狐火や借りを返しにゆくといふ

義に生きし男血塗られ冬薔薇





テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
運転は人である 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる