再生への旅

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zoom RSS 坐禅の面目・土俵の違い?!

<<   作成日時 : 2017/12/13 05:18   >>

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雨音のやがて窓うつ初霰 玉宗

私は昭和55年に最初の出家をした。
そこは臨済宗南禅寺派の地方寺院であった。その後いろいろあり曹洞宗に転じて今に至っている。社会的には同じ「禅宗」という括りの中で認識されている。歴史的には鎌倉幕府時代に前後しての創成であり、そう前後に拘るほどのこともなかろう。要はその内実なのであるが、嘗て私が雲水時代に安居していた宗門の師家が曹洞宗と臨済宗の違いを言っていたのを今でも覚えている。

「それは土俵の違いだろうね」

これはどちらがいいとか高尚とか本物とかという話ではない。どちらも自己を確立するための宗教的実践の世界の話ではあり、臨済はその修行体系の中で「坐禅」が「開悟・見性」のための「手段」としての位置づけが強いということ。方や曹洞宗に於いては道元禅師以来の「菩提樹下に於ける釈尊成道後の坐禅」であるという意義づけが先行していよう。つまり「坐禅」が「手段」ではなく「成道そのものとして目的化」されてあるというものだ。もっと言えば「手段」と「目的」が切っても切り離せないものだということ。宗門の規範でもある「意義即仏法」というものも又、このような「坐禅を宗旨」とするサンガに於いては当然の帰納というものではないのかな。

古来、臨済と曹洞に於いては修行の遍歴、遍参に於いては相互の交流が今以上に拘りなく、自由に行われていたようでもある。心ある宗門の師家には「坐禅」を命としている曹洞よりも、臨済の方が余程真剣に「坐禅」に関わっているといった言葉をよく耳にする。曹洞宗は現代に至っても「坐禅」を前面に出して行者を導いているのだろうか。在家教化にあたっても「坐禅」が宗門の命であり、正門であることを前面にしているのだろうか。

昨今の「坐禅ブーム」は「マインドフルネス」とか「瞑想」とか「ヨガ」などといったものとコラボして人心を魅了しつつあるようにも垣間見えるが、「坐禅」が「もの欲しげ」なる地平に降りてきたしまったように感じているのは私だけだろうか。「坐禅」に身心の健康なるご利益を期待するのは勝手だし、それは結果としてそのような次第になるだろうが、宗門の坐禅の面目は「宗教としての坐禅」であることを再認識してもいいのではなかろうかと密かに思うのである。

欲望、煩悩にぶれる私がいる。死すべき命に揺れる私がいる。執着を断ち切れない私がいる。それでいいのかという自問自答がある訳だ。「宗教」とは「ぶれない人生の軸」を自己のうちに確立するものだろう。「坐禅」とはそのような身と心を具有している「かたち」なのである。それは一朝一夕には身につくものではないが、その「コツ」といったようなものは日々の積み重ねの功徳として厳然たるものである。自己が元より道中にある知足の法を今、ここに体現している。そのような「信」の中で成し遂げられている宗門の「坐禅」なのであり、「悟後の修行」なのである。それは本来的に束にかかってどうにかなるものではない。なにかと混ぜ合わせて成し遂げられるようなものでもあるまい。趣向以前の問題、つまり宗教なのである。

そのような本来の「土俵」の上でこそ「坐禅」は「坐禅」として明日の自己に引き継がれてゆくのではなかろうか。
昨今世間を騒がしている相撲界を例にとれば、「相撲」にもモンゴル相撲と日本古来の伝統相撲があるらしいが、日本の相撲を志しているという前提のお互いである。その中で、時代とともに変遷するものと変えられない領域が自ずからあろう。「相撲道」を標榜するからには、単に文化や人種の違いや興行を論うより先に解決しなければならん問題があるのではないのかな。

「坐禅」もまた言うまでもなく「仏道」である。自分が本物であるかどうか。「道」そのものが教え導いてくれるであろう。自己を空しく歩むことが求められている所以である。



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「国」

冬将軍空を破りて来たりけり

なけなしの顔して来る暦売

名にし負ふ風の国なり干大根

白菜を刻む雪踏むやうにして

バスを待つ霙交じりの停車場に

情け深き泥の国なり蓮根堀

遅刻せし狸が裏に来てをりぬ

軒先の干菜をどけて入りけり

留守がちの神の国なり懐手

時刻むほかに音なき寒さかな

虎落笛ぐつぐつものを煮てをれば

山も眠る星の国なり冬安居









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