禅問答の極意

螻蛄鳴くや死んで生きよと言はれても 玉宗 御征忌の最終日は「対眞上堂」といって公開での「禅問答」が行われる。 「禅問答」と言えば、 禅僧が悟りを開くために行う問答。修行僧が疑問を発し、指導者がこれに答えるというものだ。 傍からは理解し難い問答や会話のやり取りであることが多い。 世間では 訳のわからないことの別名とさ…
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千年一日の真心・御征諱法要

仏見し眼はうつろ初紅葉 玉宗 十二日から十五日まで大本山總持寺祖院での御開山二祖国師御征諱法要が厳修されている。末寺として随喜させて戴く。枯れ木も山の賑わい、などと嘯いたら御開山に叱られるだろう。至らぬ身であることを如実に知らされると共に、報恩行持であることを肝に銘じなければならん。それにしても年々,随喜することに気の…
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言いたいことは明日言え、ってどうよ?!

生まれて以来途方に暮れてゐぼむしり 玉宗 初めに断って置きますが、私に「ここだけの話にしてくれ」という願いは通じないものと心得て頂きたい。内容の善悪もなんだが、内緒事をすること自体に謂われなき引け目がある。胸中にも双肩にも秘密や荷物を担って生きて行きたくはないという仏弟子である以前の拘りがある。 そんな私の日常の一コ…
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この世でたったひとりのわれを詠う

椿の実咽喉に詰まりし大きさの 玉宗 「今、ここに生きている、この世でたったひとりのわれを詠う」上田五千石の言葉である。 人生とは未だ見ざる時の扉を開けて存在の手応えを求めることにも見えてくる。多少扉の軋みも聞こえることがある。そんな人間にとって俳句は己を恃む為に懐中に潜ませた合鍵のようなものだったといえば…
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鶏頭の句・子規と綾子から学ぶ

>鶏頭の火の手が上がるそこかしこ 玉宗 鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子規 鶏頭を三尺離れもの思ふ 細身綾子 鶏頭の句といえばこの二句を先ず思い出す。 子規の句には即興感偶の最短定型が救いとった鶏頭の何気ないまでの存在感がゆるぎないまでにあろう。 実感を追及した者の自然さ、そのような無造…
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法話集施本の施主勧進

總持寺へこれより一里木の実落つ 玉宗 總持寺開創七百年協賛記念法話集施本の施主勧進 謹啓 平素よりの御信心、本山愛護のご道念、心より敬服申し上げます。 さて、總持寺開創七百年を令和三年に控え、末寺として僭越ながらも協賛の意を表したく、ここに法話集を編纂しました。つきましては、『總持寺開創七百年協賛記念法話集…
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両箇の月・御開山常済大師二祖国師御征忌大法要の頃

もみづるや生きながらえて見ゆるもの 玉宗 大本山総持寺祖院では毎年九月十二日から十五日にかけて、御開山常済大師二祖国師御征忌大法要が執り行われる。御開山は太祖常済大師瑩山紹瑾大和尚(一二六八~一三二五)。そして、御開山のお弟子である大現宗猷國師峨山韶碩大和尚(一二七六~一三六六)のお二人。 「總持寺に於ける開祖と…
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鼻自慢?!

稲の香に噎ぶ故郷へ帰りけり 玉宗 自慢話になるようでならない話になるかもしれんのだが、わが夫人の鼻の利き様は、さながら警察犬並の精度を持っているのではないのかと、常々、驚嘆し、敬服し、あきれているのである。 先日も、夫人の利き鼻が遺憾なく発揮されたのである。朝の掃除を終えて汗を流し、牛乳を一杯飲んで涼もうかと、コ…
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高山れおな『切字と切れ』

切れさうで切れぬ人の世藪枯らし 玉宗 朝日俳壇選者であった金子兜太氏の後を受けて選者となった高山れおな氏から新刊書『切字と切れ』邑書林を戴いた。帯文は次のようなものである。 「総合的切字論 57年ぶりの登場 平安期の前史から現在に至る切字と切字説を通覧。「切れ」が俳句の本質でもなければ伝統でもなく、1960~70年…
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闇を生きる

火宅の灯とどかぬ闇に鉦叩 玉宗   一寸先は闇と言われる。 諸行無常なる人生の歩みは、まさに闇を手探りして歩むようなもの。 「闇」とは何か? わが思いを越えた生死去来、時節因縁、諸法実相。それをしも「闇」というのではないかな。又は「あるがまま」とも云う。仏道は、そのような危うい闇夜の人生の歩む、一つの灯であ…
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見果てぬ夢?!

ここに来て色なき風を写生せよ 玉宗 平成二十七年に第三句集「安居抄六千句」を刊行してから約四年が過ぎた。それ以前も以後も、毎日十句、時にはに十句以上をSNS上にUPしてきた。今も継続中である。先日、この四年間でどれくらい俳句がストックされているのかと数えてみた。すると、二万句に約七百足りないことが判明。凡その計算でも今…
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永福寺地蔵盆

子を抱けば甘き稲の香してならぬ 玉宗 永福寺地蔵盆を修行した。 永福寺にはその前身である真言宗誓願寺から引き継いだ三尊仏がある。本尊は廬舎那仏、脇侍佛として如意輪観世音と地蔵願王大菩薩である。如意輪観世音は能登国観音霊場三十番札所の霊佛として崇められている。地蔵菩薩も同様に近隣の信者の信仰の対象になり、特に明治に…
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澤木興道「禅に生きる」復刻

秋風や石も仏となる国の 玉宗 宿なし興道と呼ばれた禅僧・澤木興道。 明治十三年に三重県津市に生まれた。幼いうちに両親を亡くして最底辺の辛酸の中に育ち、十七歳で永平寺へ向かって家出、波乱万丈の遍歴を重ねて真個の禅僧となった。全国各地を巡って坐禅の伝道に一生をささげた人物である。そんな老師が各地で提唱の折などに語られた半…
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俳句鑑賞

泣けるだけ泣いたる蝉のかろさとも 玉宗 淋しさに飯を喰ふなり秋の風   一茶  飯を喰うことがさびしさであるとは救われない。秋風であればことさらに。というより秋風が吹くから飯を喰うことが淋しい営みになるのであるか。一茶の人生を思えば淋しさに揉まれ押し寄せられたが如き有様ではある。それにしても一茶は些か正直過ぎるき…
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わが俳句教室

暮れてゆく波の音にも盆過ぎの 玉宗 わが俳句教室と言っても二名しかいないのではあるが、毎回十句前後の作品を鑑賞し、添削、推敲している。 共に学んでいて気付くことがいくつかある。自戒を込めて言うのであるが、例えば、俳句も又文芸であるからには「言葉」との「格闘、選択、選別」といった表現の為の必要条件が欠かせないということ…
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自己の心地に根を張る

潮騒や月に眠れる葛の花 玉宗 盆の行事も無事に終わりひと段落。 台風の影響で夕べ遅くから輪島ではほとんど一カ月以上ぶりの纏まった雨が降っている。空梅雨に続いて旱気味の夏であったので気が気でなかった。この雨で庭の草木も聊かならず息を吹き返してほしいものである。 草木の根は旱になると地中深くへ伸びようとするらしい。…
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実物を生きる

雲水は着の身着のまま秋の風 お釈迦様は金襴衣ではなく、「糞(ふん)雑(ぞう)衣(え)」と呼ばれる壊(え)色(じき)の布を再利用し、生涯身につけて修行されました。見た目より、いのちの実相をわがものとして尊び、深められたということです。 「実相」は私の都合や私の選り好みや作為でどうにかなるものでもはありませんが、人の毀誉…
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お盆といういのちの寄り添い

何もかも母の言いなり盆用意 玉宗 さて、いよいよ盆の入りとなる。 能登は旧盆である。残暑の中での棚経廻りとなるのがいつものことなのだが、今年は空梅雨、旱気味の夏を過ぎて、暑さが半端ない。台風も近づいておりフエー現象で盆の最中が今年の暑さのピークになりそうだ。愚痴は言いたくないのだが、ついつい挨拶代わりに「暑いねえ」と口を…
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蜈蚣に尻を噛まれない夜の為に

背筋這ふ音して来たるむかでかな 玉宗 蜈蚣の話を二題ほど。 私は蜈蚣に噛まれたことはないが、噛まれたという人には今まで何人か会っている。 一人はお坊さん。僧堂で就寝中と坐禅中に噛まれたのである。就寝中は脛を、坐禅中は足を結跏趺坐に組んでいる状態の折に、股間を噛まれたというのだから半端がない。痛いことも痛…
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俳句鑑賞

昼顔の聞きしは誰が溜息ぞ 玉宗 青空のくわりんをひとつはづしけり 茨木和夫   かりんの実に青空はよく似合う。香りもいい。ちょっとやそっとの風では自ら落ちてはくれない。その実の有様は、枝先にとって付けたるが如きである。落ちるのを待ってもいいのだが、これが意外と傷つきやすい。かりん酒を作るには無傷がいい。もぎ取ると…
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帰るべき自己

八月の空は虚ろにみなぎれる 玉宗 戦争前夜とはこのようなものかと危惧する昨今の社会情勢。朝鮮半島は言うに及ばず、世界を俯瞰してみてもその危機的状況といったものを感じない訳にはいかない。それにしても、この喧噪はまさに「人間らしさ」に固執する者たちの齎している行き詰まりではないのか。為政者も国民も、個人も大衆も、敵も味方も…
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自己への信仰

褒められて悪い気はせぬ花オクラ 玉宗 仏道とは特殊なことを強いられるものではありません。 ところが人間ほど特殊なことが好きな動物もいないのではないでしょうか。特殊なもの、特別なものへの抜き難い偏見があるようです。 ところで、私にとって一番大切なものは何か?それは言うまでもなく、今、ここに息をしているいのちのあり様そ…
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いのちに寄り添う

死は生の褒美の如し茄子の馬 玉宗 生れて半月ほどの嬰児の葬儀をすることになった。 心臓疾患と染色体異常が体内にあるうちに発見されて、予定日より早く帝王切開で出産。一週間が山場だと言われていた子は半月ほど存命し亡くなった。母親にとっては悲しみて余りあることだとは想像に難くない。枕経の間も泣いていたのである。この世に縁の薄か…
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やわらかに生きる

コスモスやわだかまりなく空晴れて 玉宗 仏道はないものねだりではありません。自分さえよければそれでいいといった生き方とは志す方向が違うものです。それは「無常」や「苦」を克服するために精神の柔軟さを獲得しなければならなかったということでもあります。 常ならぬものなど一つもありません。避けられない生老病死にジタバタするの…
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原郷を生きる 

ふるさとを遠く離れてゐる素足 玉宗 弱者を狙った無差別殺傷事件が次々に起きて、社会を言い知れぬ悲哀と遣りどころのない不安に陥れています。人の心に巣食う闇といったことに思いが及びます。人の世を極楽にも楽園にも修羅にも地獄にもさせる人間の本性。人は善にも悪にも、加害者にも被害者にもなる可能性の中で生きているともいえましょう…
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仏道と俳句・異形衆としての生き方 

    白雲の行方も知れぬ涼しさよ 玉宗         私の憧れのお坊さんは良寛である。昨年の雪解け頃、念願の越後出雲崎の国上寺境内にある五合庵を訪ねることができた。国上寺は真言宗豊山派寺院だが、曹洞宗のお坊さんが真言宗のお寺の境内に庵を結んでいたということになる。良寛は一応「曹洞宗」のお坊さんに属している。一応と言った…
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仏道と俳句・異形衆としての生き方 

    白雲の行方も知れぬ涼しさよ 玉宗         私の憧れのお坊さんは良寛である。昨年の雪解け頃、念願の越後出雲崎の国上寺境内にある五合庵を訪ねることができた。国上寺は真言宗豊山派寺院だが、曹洞宗のお坊さんが真言宗のお寺の境内に庵を結んでいたということになる。良寛は一応「曹洞宗」のお坊さんに属している。一応と言った…
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今日の一期一会・ある尼僧

誰がために俯く白き桔梗かな 玉宗 先日、一人の若い尼僧さんが突然永福寺を訪ねてきた。 昨年の九月から一人で全国各地を托鉢の旅を続けているのだという。名刺を戴くと、「臨済 別格本山 松籟山石雲禅寺  佐藤紹稟」とある。私の倅とほぼ同年代である。住職ではなく、弟子であり、托鉢許可の鑑札を頭陀袋に付けている。臨済宗派の単立…
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今日の一冊・榎本好宏「森澄雄 初期の秀吟」

草いきれ野垂れ死にせし辺りより 玉宗 俳誌「航」主宰でもある榎本好宏氏より新刊書「森澄雄 初期の秀吟」樹芸書房発行をご恵送戴いた。 榎本氏と言えば師匠でもある故・森澄雄の「杉」編集長を務められたこともある実作・評論共にゆるぎない境地をお持ちの俳人というイメージが私にはある。 来年は森澄雄没後十年ということもあり…
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仏道の志

墨染の袖に青嵐あふれけり 玉宗 僧堂では「配役」といって、新参者から古参に至るまで様々な「役割」を与えれます。 五人以上集まれば僧堂です。そこでは、自律他律の中で仏法の何たるかを学んでいくことになります。それはつまるところ、自己の正体を知り、学ぶことでもあります。決して、肩書を目的に修行する訳ではありません。どのよう…
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清浄の位を打す

死は生の褒美の如し茄子の馬 玉宗 曹洞宗ではお便所のことを東司(とうす)と呼称しています。 飲食と排便は貴賤・貧富の別なく神聖にして犯すべからざる命の営みです。この時ばかりは、人間は神様のように油断しています。そのような訳ありの命の現場は清浄なる現場でもあります。玄関とトイレと仏壇をみれば、家主の性根が反映されている…
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一期一会に学ぶ

虹といふ出会ひがしらの有るばかり 玉宗 人を変え、人を育てるもの。それは出会いではないでしょうか。 出会いは人ばかりではありません。生老病死、天災人災、吉凶禍福、毀誉褒貶等々、様々な出会いがあり、その本質はいずれも選ぶことができないものばかりです。 本来、選ぶ必要もなく、全てがわたしの学びの糧、全てが私の鏡であるこ…
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仏道という正門

花かぼちゃ夢の入口出口とも出口とも 玉宗 裏口入学という言葉を余り聞かなくなりましたが、実力、実物がものをいう我らが禅の世界です。 仏法という実物に裏口はありません。必要もありません。ゼロか満点かだけという実にさっぱりした、解りやすい、執着や妄想や都合や選り好みを離れている領域の話です。誤魔化しがきかないからこその救…
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慈雲閣・観音祭・ごうらい祭り 

新じやがや里に祭りのくる頃の 玉宗 嘗て能登鳳至郡櫛比庄に諸丘観音堂(諸丘寺)という行基菩薩開闢と伝えられ、その霊験あらたかさに近郷の篤い帰依を受けていた真言律宗の社寺がありました。ときの住僧定賢権律師より諸岳寺観音堂や寺領、敷地を添えて瑩山禅師へ寄進されました。それが總持寺の始まりです。その後、観音堂は今の道下鉄川の地に…
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無縁社会

夏柳風を梳かして梳かされて  玉宗 「無縁社会」という言葉を耳にするようになりました。 「縁」の「有無」に迷い、浮き沈むかどうか、いつもその危険性の中で人は迷っているように見えます。 然し、この世は「縁」だらけだというのが仏教の世界認識です。 その「縁」は有無を越えています。つまり「縁」は本質的に選ぶことが出来ま…
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馬の耳

奥能登の南無阿弥陀仏雨蛙 玉宗 馬の耳に念仏という言葉がありますが、禅的解釈になると少し様子が違ってきます。 人間は眼耳鼻舌身意の六感を持ち合わせている命の反応体です。 耳は私が分別する以前に耳に入っています。眼は私が意味付けする以前に見えています。五感はすべて私の分別や意味付けや見識や意見や理屈や感想や好悪や選択…
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わが命の原郷

風にやや遅れゆらめく蓮かな 玉宗 私たちはこの世に生まれる事実を、自分が生まれる以前から存在している世界へ飛び出して来たかのごとく考えています。あたかも人生という客観的舞台へ登場するように。私が舞台に現れる以前から人間の人生劇場は続いており、私が死んで舞台を去った後にも世界は何事もなかったかのように舞台が続けられていくとい…
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仏道の真偽

朝顔や家族といふも一期なる 玉宗 「願わくはこの功徳をもってあまねく一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに仏道を成ぜんことを」これは、「普回向」といって、宗派に関りなく称えられる、云わば、最も短いお経であります。 道元禅師さまの教えに、「仏道の真偽」を見分けるには、「道」は「行」を伴うものであること、そして、「一切衆生と…
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「眼横鼻直」という生き方

雲水は着の身着のまゝ青葉風 玉宗 「眼横鼻直」とは道元禅師が悟られた世界を表すのに用いられた言葉。 仏法の様子を言うのに、目は横に鼻は直なることを以って足りているということ。 仏法という何かしら有難いものが自己の外に塊のようにあるのではなく、まさに自灯明として自己の分際に明らかなものであるということだ。 …
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寺  報 ・ 七月号 

あぢさゐが顔を洗つて出直せと 玉宗   ◎お寺では食事をいただく時に飯台の隅に七粒のご飯を置き、食後にこれを集めて池にまきます。 米のとぎ汁や剃った髪の毛も木の根元へまいたり、埋めたりします。地に返し、天に施す行為です。そこには生きとし生けるものが同じ根をもつことへの供養の心があります。命が天地自然の限りない施しを…
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今日の禅語「天上大風」

雲のこころ風の心や夏安居 玉宗 昨日、ちょっとしたご縁があって掛軸を一服戴くことができた。 「天上大風」である。「天上大風」といえば良寛の字が有名だろう。里の子供にせがまれて、「いろは」とか「一二三」という手習いの字を書いてあげた良寛である。この「天上大風」も凧あげをしていた子に頼まれて、凧に一筆認めたものだとい…
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良寛の俳句鑑賞

沙羅の花真つ逆さまに空のあり 玉宗 良寛の俳句をいくつかUPしてみた。 正直なところ、短歌より私には面白くない。師の情感は俳句より歌の方に向いているのではなかろうか。決して道句というのではないのだが、もっと人間良寛の抒情に触れたいというこちら側の偏見なのだろう。換言すれば、俳句は叙事詩に近いということなのだろう。 …
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峨山韶碩禅師の生まれた日

これよりの峨山越えなり谷うつぎ 玉宗 六月二十三日、總持寺二世峨山韶碩禅師生誕地の石川県津幡町瓜生では毎年町民と能登の宗門御寺院が生誕の日に一堂に集い、そのご遺徳をしのぶ法要が執行されます。 生誕地の「瓜生」と言うところは石川と富山の県境に近い山奥で、清流に河鹿の声が響き渡る秘境の地です。禅師御在世往時と変わ…
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良寛的その日暮らしのススメ

仄暗き日々よ十薬抜くとせむ 玉宗 鉄鉢に明日の米あり夕涼 良寛 今日は夏至。もうすぐ半夏生ともなり、一年の半分が過ぎようとしている。といった風に、時間の流れをいつの間にか実感することを覚えて久しい。初老を感じ始めて以来、尚さらにその感が強くなった。消えてなくなるということを想像するのはなかなか難しい。逆に言えば、…
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癖のある世界で生きる秘訣

日を呑んでほたるぶくろの仄暗き 玉宗 先日、自坊に八十歳初頭の御主人と七十代半ばというご夫人が二人揃って訪ねて参りまして、ご主人の御妹さんのことで相談を受けたことでした。その内容とは、肉親でもあるその妹さんの謂わば「盗み癖」にほとほと困り果てているといった事でした。 俄かには信じられなかったのですが、小さい頃から「盗…
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今日の禅語「露堂々」

無花果のまだ智慧足らぬ青さなる 玉宗 例によって夫人が禅語の意味を教えてくれと言ってきた。 今回はお軸ではなく、湯呑茶碗に書かれた「露堂々」。寺族であり、三十年以上も住職に連れ添っている、その夫人が「露」を「つゆ」と読んだのには流石にわが耳を疑った。 「つゆが堂々って、どういう意味?」 「つゆじゃないだろ…
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俳諧ひとりごと

玫瑰や沖遠くしてやすらけく 玉宗 文字通り、俳句つれづれ雑感。前後に何の脈絡もない、つもりです。 〇俳句作品の鑑賞、批評はそれがそのまま鑑賞者、批評者へのブーメランであることを忘れちゃならんだろうね。作品をハイエナのように食い荒らし、やせ細らせるような次第であっていいのかな。ましてや作者への人格査定…
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良寛さんの歌鑑賞・その2

五月雨の晴れ間に出でて眺むれば青田涼しく風わたるなり 良寛 人それぞれの人生模様がある。それは避けて通れぬ生老病死への寄り添い方、戴き方、学び方が様々にあるということ。見方を変えれば、だれも本人に成り代わって自己を生きてはくれぬという厳然たる存在の前提があるということだ。そのような次第の人の一生とは諸行無常なるいの…
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總持寺開創七百年を控えての雑感・その6「石川素童禅師・本山移転」 

涼しさに石も仏となりにけり 玉宗 瑩山禅師によって開創された大本山總持寺は、一万三千余ヶ寺の法系寺院を擁し宗門興隆と正法教化につとめ、能登に於いて五百七十余年の歩みを進めてきた。 しかし、明治三十一年(一八九八)四月十三日夜、本堂の一部より出火、フェーン現象の余波を受け瞬時にして猛火は全山に拡がり、慈雲閣・伝燈院…
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親のこころ、子のこころ

死にたれば鉦や太鼓や雲の峰 玉宗 北海道は渡島半島噴火湾沿い南端の港町で生きた実の母が亡くなって二十五年。父が死んで三十三年が経つ。二人とも出家した私が引導を渡して葬儀をした。 「北晨院海徳義道居士・南窓院帰法妙依大姉」 この戒名を見るたび二人のことも、故郷のことも思い出す。そして、得度式に出席した二人の淋…
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