陸の孤島からの眺め?!

天照す母の国なり桃の花 玉宗 コロナウイルス蔓延防止のために東京など都会は不要不急の外出自粛を要請しはじめた。東京などはオリンピック延期が決まった途端に感染者数が増えたことに違和感がないことはない。それまで発表を控えていたのかいなかったのか。或いは、増加することが避けられないと判断してのオリンピック延期の申し出でもあったの…
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ゼロを生きる

寄り添へば遠き海鳴洲浜草 玉宗 今日は平成十九年能登半島地震が起きた日である。十二年の歳月が過ぎた。 今年も夫人と二人だけで興禅寺の本堂でお経を挙げ、被災者や再建支援者への回向をする。先日も震度五強の大きな地震が夜中にあって飛び起きたことである。地震の揺れに敏感になって久しい。地震だけではないが天災のスケールが大きくなっ…
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菩提の種

海原は淋しきところ彼岸西風 玉宗 お彼岸も今日で終わり。 彼岸と言えばいつも「今日彼岸菩提の種を蒔く日かな」という一句が思いこされる。「菩提の種」と何か?教義的には「六波羅蜜」つまり彼岸へ行くために行う、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つの修行徳目と言う。それらが「菩提の種」であると。農耕でも種を蒔いたり、田畑を耕…
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小さな葬儀雑感

菜の花を喰うて腸明るくす 玉宗 「小さなお葬式」という言葉を最近よく耳にする。耳障りのよいコピーで家族葬の代名詞でもある。不透明な葬儀料金を明瞭化し、手間暇を省き、低価格に設定する。格安な料金設定を勧める世の風潮。お坊さんもそのような料金設定の中で一項目として明瞭化される。この流れはこの先も続いていくことだろう。家計にあっ…
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やっちまったよ・法話集『両箇の月』正誤表顛末記

正解は鵜呑みにできぬ蛙かな 玉宗 言い訳めいて余り気が進まないのだが、一寸の虫にも五分の魂捨てがたく、今回ある著名な宗門の宗師家に指摘された法話集『両箇の月』正誤表の解説、そしてことの顛末を書いてみようか。 その殆どは誤植であるのだが、いづれにしても著者の責任であることは間違いない。実は予算的なこともあり出版社の…
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彼岸入り雑感

春遅き風に破れし間垣村 玉宗 今日は春の彼岸入りである。 自坊では昔より特に彼岸の法要はしないのだが、本寺である總持寺祖院は二十日から二十二日までの三日間法要をする。コロナ対応ということで、お斎なし。法要のみとなった。末寺として法要随喜する予定である。このところ教区は勿論、金沢などのお寺さんも法要を中止するという話を耳に…
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実相に目覚める

被災せり雪割草の咲く頃を 玉宗 三月十三日未明、輪島市内を震源地とする震度5強の地震に見舞われた。   十三年前の能登半島地震は三月二十五日の九時三十一分。震度6強だった。今回は震度もその長さも以前よりはインパクトの低いものではあったが、夜中の二時過ぎ、就寝中を飛び起きることになったほどの強い揺れではあった。能登半島地震…
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退歩の学び?!

これ以上背伸びはできぬ梅の花 玉宗 今日は興禅寺の涅槃会である。 コロナウイルスの影響でお寺の行事も中止する中で、いつにもましてささやかに行う予定である。 昨日は檀家十数人が合いよって例年より手間を省いた涅槃団子作りに奉仕して戴いた。マスクをしながらいつもより少ない人数で、作業も午前中で済まし、お昼ご飯もなし。それでも…
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面壁九年という生き方

巡り来る春潮巡り来る忌日 玉宗 東日本大震災から九年が経とうとしている。 九年の歳月と言えば私達禅僧には達磨大師の面壁九年が想起される。見て来たような話でなんだが、菩提達磨は歴史上確かに存在したというのがわれらの常識であり、お釈迦様から続く仏法を今に相続するに欠かせない祖師に挙げられている。その達磨様がインドから…
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じっと我慢のお坊さん

腸の一句もならずあたたかし 玉宗 コロナウイルスが終息する気配がない。 人混みを避けるようにすることが感染抑止対策の大勢になりつつある。 十二、十三日と興禅寺の涅槃会を控えている。總持寺祖院が十日の法要中止を決めたこともあり、末寺三か寺も本寺に倣って中止という選択もあったのだが、本山ほど参拝者も多くないことも考慮し…
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説教坊主?!って、どうよ

空にまだ雪の気配や春焚火 玉宗 平成三年に興禅寺の住職となって三十年となる。 三十五歳だった。思えば、右も左も分からぬままに住職としての船出であった。見よう見まねで葬儀もこなし、なんどか失敗や間違いをしたこともある。不思議に力不足を感じることはなかったのだから、どこまでも自惚れ屋さんだったことが判明する。門前町は私が住職…
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法話集『両箇の月』正誤表

明日が見えぬと土手に上れば春の雲 玉宗 先般上梓した法話集『両箇の月』に少なからずの勘違い、誤植を指摘されましたで、ここに正誤表を添えて訂正します。すでにご購入の関係者にはお詫びし、追って正誤表を遅らせて頂くなどの対処を致します。合掌。 正誤表 帆山(はんざん)町→帆山(ほやま)町 義伊禅…
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墓を探す

春潮や海の子われに貝の耳 玉宗 「知人の墓を探しているんですが、分かりませんでしょうか?」 マスクをした見も知らぬ五十代の男性が突然永福寺を訪ねて来た。開口一番に言った言葉がこれである。永福寺には檀家もないので墓地はない。雲を掴むような話なのだが、よく聞けば、茨城から来たというその男性の親の知人が輪島出身であり、…
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実相を生きる

人はみな春をしづかに傷ついて 玉宗 今日から三月である。 三月は能登半島地震に被災した月でもあり、東日本大震災が起きた月でもある。否が応でも思い出される。恐らく生きている限りこの思いは湧いてくるのだろう。 あの時も、北国の長い冬を過ぎて雪割草も咲き春祭りも催され、畑打ちや田起しなどの農事が始まり、早春の喜びの中で人…
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メメント・モリ

空にまだ雪の気配や春焚火 玉宗 「メメント・モリ」という言葉がある。 ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句だそうである。諸行無常は古今東西を貫通する真理であろうから改めて驚くに当たらないのであるが、「忘れる」癖も又、同様に古今東西の人間に備わる才能なのだと思い当たる。考えてみれば、生きてい…
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仏事を尽くして仏命を待つ

本命はあなただつたの福寿草 玉宗 石川県でも新型コロナウイルス感染者がでた。すでに感染者が日本各地に往来しているのだろう。金沢での宗門関係の研修会もいくつか中止になった。近いところでは總持寺祖院は拝観観光者が全国から参拝に上ってくる。この先どのように対処されるのか。三月は門前町教区寺院の月遅れの涅槃が目白押しでもあり、町と…
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流れを全うする

白鳥の超えゆく遠き山河あり 玉宗 いのちの話し。 「ある」ことは「ない」ことを前提として成り立つ。諸行無常という「生老病死なるいのち」が、今にあることの真相は「死」を以てその前提条件としているから。いのちという「流れ」の循環。先祖や亡くなった親兄弟がどうして尊いのか。それはそのような次第の循環を「全うした」からだ。供養し…
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涅槃団子作り秘伝?!

卵かけご飯で済ます涅槃かな 玉宗 今日は永福寺の涅槃団子作りである。 恒期法要を地蔵さんの縁日に合わせて執り行うことから二十四日が法要。団子作りは昔から輪島崎地区の漁師さんの手を借りて行われている。檀家がない永福寺は、例年輪島崎地区教区寺院の檀家さんばかり十人ほどの手助けを戴いて涅槃団子を作る。何故か昔から漁師さんの男手…
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「作品」とは?!

風の渚を歩くばかりぞ雁供養 玉宗 覚醒剤や違法薬物を使用して逮捕された歌手や不倫騒動で世間を騒がせた俳優らがマスコミに取りざたされて賑わしい昨今。新型コロナウイルスの大変さも影を潜めてしまいそうな世間の風潮。そのような話題の中で件の歌手や俳優らが関わった「作品」に対して社会はどのような付き合い方をするべきかみたいなプチ論争…
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精進のこころ

もの思ふまなざし遠き椿かな 玉宗 なんだか、最近、頓に、加齢を実感し、時の流れを痛感している自分がいる。 諸行の無常なることを悟って迷うことなし、といきたいところだが、人様には偉そうなことばかり言っているが、今を蔑ろにとまではいかないまでも、無精な時間の過ごし方をしてるのではないかと忸怩たるものが正直つき纏っている。無為…
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雛を飾るという迷信?!

雛飾る妻を一人にしてをきぬ 玉宗 二月も早々、夫人は床の間にお雛様を飾り出す。 ひと月早いのではないかと思うのだが、夫人の言うのには早めに飾って、三月三日の雛祭りが終ったら早々にしまうのだという。そうしないと娘の婚期が遅れるか、婚期を逃すのだと。長女はとっくに結婚しているのだからそんな気遣いも必要ない筈だが、孫娘二人への…
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南無病気大菩薩

生きものの脛に傷ある涅槃かな 玉宗 先日、拙書法話集『両箇の月』を贈呈させて頂いた愛知専門尼僧堂堂長・青山俊董老師より、丁重なるお礼の手紙と老師最新著作本『十牛図・ほんとうの幸せの旅』春秋社刊行を送って頂いた。 青山老師は天下に知れた宗師家であることは今さら言うまでもなく、私のような田舎坊主が話題にするのも正…
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寺報・二月号

うつらうつらと雪解しづくの音の中 玉宗   能登の二月は釈尊涅槃の日でもあります。お釈迦様の祥月命日です。 一般のお寺では涅槃会法要を催し、涅槃団子を撒いたりして、お釈迦様の遺徳に思いを馳せ、お粗末な自己の生き方を新たにする機縁ともなります。 仏教徒とはお釈迦様に生き方を習う人のことでもあります。手本とすべき人生の先達が…
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俳句に埋もれる?!

これ以上背伸びはできぬ梅の花 玉宗 さて、俳句を更新し続けている訳だが、先日第三句集以後の作句数を数えてみたら、21900句を越えていた。 第四句集『安居抄二万句』を出したいなどと嘯いたりしているんだが、数的には十分となっている。この類句類想の山の中から二千句近くを削る作業が残っているのだが、さすがに数が多すぎて聊か腰が…
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仏道の伴侶

總持寺へこれより雪の太鼓橋 玉宗 コロナウイルスの終息の気配が未だ感じられない様子。輪島でもマスクや手洗い用の消毒液が品切れで手に入りにくくなっていると夫人が嘆いていた。とんでもない高値でマスクなどが取引されているらしい。買占め防止という一面もあるのだろうけど、このような事態になっても利益を追求したがる人間もいるのだね。国…
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志しに生きる

魚は氷に仏弟子山に上りけり 玉宗 今日は總持寺祖院僧堂で冬安居を締めくくる行持の一つである「法戦式」が執り行われる。 僧堂では冬安居に入るに際して行われるところもあるが、祖院は例年二月上旬であり、終って間もなく安居解制となり、春の新到雲水さんが上がってくるようになる。 わが倅もこの春には九年目の安居となる。師匠もで…
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末期の目

雪のせて芽吹き初めたる蕗の薹 玉宗 今日は立春。 昨日の節分で寒行托鉢も無事円成。お志を戴いた方々に改めて感謝と共に敬意を表したい。今年は例年になく雪が少なく、荒れた日も多くはなかった。四十年近くの行事になるが、寒行托鉢の醍醐味というか、コツと言ったものをそれなりに学んで来ていたことに今更ながら気づくのである。 毎…
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寒行托鉢二十九日目

団欒の灯しに映ゆる雪うさぎ 玉宗 寒行托鉢二十九日目。 托鉢もあと二日。明日の最終日は節分である。例年、最後の托鉢は朝から一日中歩くのだが、今年は午前中に檀務ができて午後からということになった。 今日は總持寺祖院の雲水さんたちが寒行托鉢で輪島市内を歩き、中食を永福寺で供養させて頂くことになっている。毎年のことで、一…
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寒行托鉢二十七日目

青葉深く火の玉抱へ万年青の実 玉宗 寒行托鉢二十七日目。 一月も今日が晦日。明日からは二月。当たり前か。今年もあと十一か月。それも当たり前か。 流れてやまぬ時光の速やかなること。つまらない時間は死ぬほど長く感じられ、遅々として進まぬが如きであるが、夢中に生きている折は一日が二十四時間であるのが納得がいかない。ど…
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寒行托鉢二十五日目

三寒の仏に侍る目覚めかな 玉宗 寒行托鉢二十五日目。 托鉢もあと六日となった。実は今年は例年になく念入りに、丁寧に歩いたつもりである。いつまで寒行ができるか分からんが、できれば体がついて行けなくなるまで続けたいと思っている。毎日同じコースをお経を挙げながら歩いているのだが、いつも今日が最後と気を引き締めて、肩の力を抜いて…
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寒行托鉢二十三日目

外浦の風に水仙なだれ咲き 玉宗 寒行托鉢二十三日目。 もしかして、雪のない寒行托鉢になりそうだ。三十年以上しているがこんな年も初めて。まあ、しょうがない。自然のなりゆき、運行に身を任せるしかない。 さて、中國で発生したコロナウイルスが世界中に拡散し始めているようだ。東京オリンピックもどうなることやら先行きが予断…
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寒行托鉢二十一日目

約束の時間はうつろ浮寝鳥 玉宗  寒行托鉢二十一日目。 寒行もあと十日となった。昨日は午前中に能登の宗門寺院二カ寺に法話集『両箇の月』を配って回った。それぞれ百冊と五十冊である。僧堂関係では瑞応寺、明光寺、晧台寺にそれぞれ五十冊づつ購入して戴いた。檀信徒への施本として活用してほしいと刊行したので、地元の輪島市民には縁のあ…
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寒行托鉢十九日目

竹藪を吹く風の音の寒かりき 玉宗 寒行托鉢十九日目。 葬儀も滞りなく終り、今日から平常通りの寒行托鉢再開。昨日おとといは時間帯を代えて托鉢をした。今のところ休まずに続けられている。コロナウイルスが話題になっているが、昨年末に数年ぶりにインフルエンザの予防接種をしたりして、寄る年波を考慮して風邪を引かぬように心がけるよ…
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寒行托鉢十七日目

霜とけて力抜けたる菜なりけり 玉宗 寒行托鉢十七日目。 寒行も折り返しである。大寒を過ぎても雪らしい雪が降らない。予報を見ても月内は大雪もないようだ。二月にずれ込むのかな。 さて、今年初めての葬儀となった。今を流行りの「家族葬」の依頼である。施主の希望に添うことに吝かではないが、以前から危惧している「儀礼」の持…
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寒行托鉢十五日目

あきらめてはならぬ冬菜も真っ青な 玉宗 寒行托鉢十五日目。 昨日は初観音ということで輪島市光浦地区にある観音堂でお勤めをした。 光浦地区は漁師町であり、戸数四十戸ほど。永福寺の檀家ではない。すべて他宗派である。 お堂の本尊は千手観音で、輪島市光浦の漁師新左衛門が海から拾いあげたものだったが、その後、曽々木海岸…
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寒行托鉢十三日目

寒き世に一人鈴振るばかりなる 玉宗 寒行托鉢十三日目。 なかなか雪が降らない。降り過ぎても困るが、降らな過ぎてもなんか気持ちが悪い。托鉢をしていると「雪がなくていいですね」「寒行らしくないね」「寒くないと賽銭も少ないんじゃないのかい」みたな、コメントを戴くことが多い。    コメントと言えば先日ツイッターで…
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寒行托鉢十一日目目

南天の実や簪と垂れにけり 玉宗 寒行托鉢十一日目。 先日、FB上で「愚の骨頂」についての見解を再認識させてくれるコメントのやりとりがあった。 お坊さんという「生き方の一つの典型」といった記事の最後で思わず「愚の骨頂」になり下がりたくはない」と書いてしまった。 「風のように、雲のように、水のように、こだわり…
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寒行托鉢九日目

来た道を帰るばかりぞ寒くとも 玉宗 寒行托鉢九日目。 昨日の北國新聞朝刊に總持寺祖院の寒行托鉢が始まった記事が載っていた。昨年は寒の入りから行持していたが、今年は少し遅れて始まったようだ。私が出仕していたころは大寒から始めて節分までの二週間の行持であった。午前中で祖院の托鉢を済ませて、昼からは自坊である永福寺の寒…
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寒行托鉢七日目

しばれたる身に鯛焼のあたたかさ 玉宗 昨日は「遠鉢」と言って、輪島を離れて隣り町での寒行托鉢一人旅。ま、いつも一人の托鉢なんだけど。握り飯を夫人にこさえてもらい出発。 現地に着いて「冬用防寒合羽」を忘れてきたことに気付く。お天気は晴れて青空が見えている。合羽がなくてもできそうだったのだが、念のために夫人に電話をして持…
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寒行托鉢五日目

結びたる御籤固きも寒の内 玉宗 寒行托鉢五日目。 昨日は一日中風が強かった。 北海道生まれの私は北陸能登も雪が多いところかと思っていたのだが、輪島に住んで間もなく、冬の雷にも驚いたが、雪よりも風の強さが半端ない所だと知らされた。輪島に住んで三十年以上になり、毎年托鉢を続けていたのだが、特に寒中は海からの強風を受けて…
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寒行托鉢三日目

僧となる月日の中の寒さかな  玉宗 寒行托鉢三日目。 年が明けてから積もるような雪が降らない。近年は輪島も大寒が過ぎたころから本格的な雪になるようになった。中旬過ぎから二月にかけて吹雪くことが多い。今年もそんな感じかな。 「寒行」と言えば寒さに耐えての「行」ということで如何にもこれみよがしではあるが、寒さで余念を交…
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今日の「威儀即仏法」

托鉢の銭も手足もしぐれけり 玉宗 昨日のお札配りは夕方の雨に遭うこともなく、順調に終わった。 今日は五日。今年の寒の入りは六日になっている。小寒も年によって五日、六日とズレがある。お寺の寒行托鉢は暦に合わせず五日と決めている。ということで、今日から節分まで午後から半日、寒行托鉢が始まる。 お坊さんになって四十年…
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年頭まわり今昔

三日過ぎ子の手を借りる札配り 玉宗 正月三日。 明日からは永福寺の年頭参りが始まる。三が日の間お経をあげたお札を檀信徒の家々に配って回る行事である。今日はその準備に日となる。札配りは昔から、地域の子供たちの手を借りて回るのが習慣となっている。手配するのは夫人の役目になっていて、輪島も少子化で、年々手伝ってくれる子供を探す…
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あけましておめでとうございます

 「かの川は鼠泳いで鮭のぼり 玉宗」       「かの山は兎顔出し熊穴に  玉宗」 皆様、あけましておめでとうございます。 昨年はご訪問下さってありがとうございます。毎日、俳句という自己満足や仏道の謎めいた小話にお付き合いくださって感謝です。 一休さんは、元旦は冥途への一里塚みたいなことを嘯いていましたね。…
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法話集『両箇の月』刊行

總持寺の鐘の音とどく大根かな 玉宗 大晦日近くになり、漸く念願の法話集『両箇の月』ができた。 有縁無縁の方々へのお年玉となってほしいな。以下のような目次と経緯でなったものです。よかったら、お手に取ってご照覧ください。申込の詳細は最後に記してあります。 目  次 序言         大本山總持…
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年惜しむのこころ

年越すに少しばかりの浪費して 玉宗 年越しの準備に余念がないのだが、。加齢と共にそのペースが遅くなってきている。それは夫人も同様。年惜しむという季語があるが、さながら、年の用意を惜しみつつしているような塩梅である。勢いにまかせてこなしていた若いころと違って、一つ一つの作業に手間が掛かったり、忘れたり、準備を念入りにせざ…
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「聖職」って、どうよ?!

干され干されて味はひ深き大根かな 玉宗 先日の記事である「宗教消滅」に戴いたコメントに、「聖職」もまた「死語」となっているのではないかとあった。死語となっている現実を先生と僧侶が証明してくれたというものである。世の中の目は厳しいものだと再認識した次第。そうではあるが、やはり一般社会と仏道では「聖」と「俗」に対する見解に…
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流れのこころ

冬の浜瀕死の波がうち寄する 玉宗 生きることは「流れ」そのものである。「諸行無常」と古来より言い慣わしている通りであるが、その真相が身に沁みて実感させられる今日この頃。何を今更ということになるのだが、恥を忍んで事あげするのではある。 道元禅師は「時は有なり。有は時なり」と諭された。「時」とは「いのちそのものだ」という…
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俳句鑑賞・その12(最終回)

托鉢の銭も手足も冷えにけり 玉宗 〇12月17日の投句より (承前)偶像を排除した、ありのままの世界。そのあっけらかんとしたあかるさ、ひろやかさ、こだわりのなさ、のびやかさ、厳しさ、というようなものがある。そのようなものから、表現と云う一定の距離を保つこと。なぜかそれがこころを癒し、生きる姿勢を正す。それが詩…
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「宗教消滅」って、どうよ?!

沖見える峰に出でたり松迎へ 玉宗 「宗教消滅」という本が、宗教学者・島田裕巳氏によって出版された。そのインパクトのある題名をマスコミも放っておくはずもなく、先日もテレビでコメンテーターとして登場していた。氏は嘗て「葬式は要らない」「戒名は、自分で決める」といった本も出している。長らくタブー視されてきた「葬儀というかたち」「…
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