知足のいのち

来た道を帰るばかりぞ寒くとも 玉宗   「小欲知足」という仏教用語があります。 欲少なく、足ることを知る。これは他人事ではなくわがいのちの戴き方を言っています。現状に我慢しろといった浅い話ではありません。仏道とは言うまでもなく一人一人のいのちの話です。その深さと豊かさ、いわば縦軸の話しです。そこには、ものたりないと…
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一歩一歩の人生

水っ洟ここにも一人ほとけの子 玉宗 寒行托鉢も中日となり折り返し。 今年は例年になく厳寒の寒中となって頗るやりがいがあるとも言えます。今のところ還暦を疾うに過ぎても歩けていられることに感謝ですな。お命様に合掌。負け惜しみではありません。雪の中、吹雪の中を一歩一歩を踏みしめていく托鉢。それがそのままわが人生であることを…
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初心よければ

  蝋梅のひらかむとしてにほひたち 玉宗 諺に、「終わりよければすべてよし」とあります。 本来は、ものごとは最後の締めくくりが大切であるということのようですが世間では些か趣を異にして結果がすべて、取り繕ってまでしても結果の見栄えの良さを問題にしているかのようでもあります。 しかしそもそもが、何を以…
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仏の日

墓石の雪をのけてや仏の日 玉宗    大本山總持寺祖院管理の亀山墓地には、二祖峨山禅師並びに五院輪住大和尚、そして明治期以後の独住禅師卵塔が建ち並んでいる。 先日、興禅寺の朝の雪掻きを済ませてから、供花を買って亀山墓地に新基建立された本山独住二十三世板橋興宗禅師の卵塔をお参りした。墓地正面の山門を入って左側。禅師の…
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無心に遊ぶ

福笑ひ笑へぬ顔となりにけり 玉宗  М1とかいう漫才を競う催しで優勝したなんとかという二人組の演技が漫才であるのかないのかといったその後の社会の反応が取り沙汰されている。漫才の定義があるのかないか、あるようでないようなことを云う識者や当事者もいたりして、問題があるとしたら那辺にあるのかないのか。どうでもいいような話では…
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祈りの力

雪掻いて無駄骨らしきもの残る 玉宗 寒行托鉢も七日を過ぎた。 礼年にない大雪で雪掻きもなんだが、托鉢して歩くにも難儀する。昨今は雪を解かすのに道路に融水装置が付けられるようになった。車には雪が解けて結構なことだが、歩道を歩く托鉢僧にはシャーベット状に融けた雪水は思いの外に冷たく、まだ裸足に草鞋で雪の上を歩いている方が…
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雪掻き作務

    雪を掻く朝飯前の顏をして 玉宗   昨夜からの吹雪で境内はアッという間に銀世界。本格的な雪作務の季節となった。昨夜、寝る前に二回雪を掻いて、朝の勤行を済ませての雪作務。思えばお寺の雪掻きは半端ない。小さいお寺ではあるが、参道、駐車場、階段、犬走り玄関先と、一般家庭よりは広い方だろう。そんなお寺を二つ管理しなければなら…
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初心に生きる

子を呼んで初めての雪仰がしむ 玉宗  永平道元禅師御撰述『学道用心集』の中に「有所得の心を用つて佛法を修すべからざる事」という項がある。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  右、仏法修行は、必ず先達の真訣を稟て、私の用心を用いざるか。況や仏法は、有心を以つて得可からず。無心を以て得べ…
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「行」に生きる

鉄鉢の向かうに続く雪の山 玉宗 今年の寒の入りは五日。昭和六十二年に永福寺に入って以来続けている一人での寒行托鉢。先代住職は還暦を過ぎて辞めたということだが、私は還暦を五年過ぎても辞める気配がない。夫人には年金を貰うようになったら辞めようかなと言っていたのだが、貧しいお寺のお陰で托鉢も生涯現役でやり続けることになりそうだ。…
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露堂々のいのち

水仙の捻くれながら真っすぐな 玉宗    「露堂々」という禅のことばがあります。 「露」は隠しどころがないということです。裏も表もなく、過去現在未来を通じて変わらない実相世界の様子です。生老病死。すべて堂々たるわがいのちの様子であり、仏道とはそれを自己に引き寄せ学ぶ道程そのものです。 人を変えることはできない…
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 正月寺報

       新年あけましておめでとうございます。 一寸先は闇と言われます。諸行無常なる人生の歩みは、まさに闇を手探りして歩むようなもの。「闇」とは何か?わが思いを越えて展開する生死去来、時節因縁、諸法実相。それをしも人には「闇」と映るのではないでしょうか。  仏道は、そのような危うい人生の闇を歩む、一つ…
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いのちその日暮らし 

良寛を想うて眠る蒲団かな 玉宗   良寛さまの周りにはいつも子供たちがいました。 子供達が朝も夕方も懐くようにやってきます。それを一つも煩わしいと考えずに子供たちと一緒になって遊んでいました。また、村人が畑仕事を手伝ってくれと言えば、畑の中に入りました。時には草引きもし、家の手伝いもしたことでしょう。月夜の晩の…
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貧に学ぶ

  裸木となりて清々してゐたる 玉宗 「学道の人は尤も貧なるべし」という道元禅師のお示しがあります。 豊かであってはならない。「貧」であることこそそが「道」に親しむ要諦だというのです。貧しくてしかも道を思う者は、昔の賢人や後世の聖人が仰いでたっとぶところであり、仏祖や目に見えない世界の神たちのよろこばれると…
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今日の法話・禅的信のありどころ

  明日も又生きるつもりの火を埋づむ 玉宗 「仏法の大海は信を以て能入と為す」という言葉があります。 「信」は私が世界を受け入れる為の最初の関門のように考えられています。つまり、私の側の都合やチャンネル操作、自律が問われているものの如くです。 しかし本物の「信」とは、「法」という「向う側の都合」を全て…
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人生の一大事

寺を抜け大根洗ふ水となる 玉宗  人生の一大事とはなんでしょうか。 生きていると次から次と様々な課題が生まれて来るものです。然し、それらの全てが「一大事、重要課題」と言い切るには大いにためらいがあります。一度きりの人生で、そんなことは採るに足りないと言いたくなるような「課題」が結構あるものです。人はただ「食べるために…
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大本山總持寺祖院復興事業完了

  能登半島地震から十四年。 今日の地元新聞に「大本山總持寺祖院復興完了」なる記事が載っていた。総工費約四十数億円を掛けての世紀の大事業であった。予期せぬ困難もあったようだが茲に復興を成し遂げられたことを同じく能登半島地震に被災し小規模ながらも再建することができた末寺住職として素直に喜びたい。總持寺だけではなく宗派と全国…
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お経って何?!

笹子来て習はぬ経を唱へけり 玉宗  先日何気にNHKの「チコちゃんに叱られる!」っていう番組を見ていたら、「お経って何?」という問い掛けにほかのタレントが答えに窮していた中で、一人駒澤大学で学んだというお笑い芸人が正解を言い当てていた。街頭でのリサーチ映像では一般人の中でも未だにお経の何たるかを弁えていないことに少なか…
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身辺ニ題

總持寺祖院亀山墓地にある二大尊並びに歴代独住禅師の墓地に板橋興宗禅師の分骨が埋骨されるということで、お声がけをして頂き、祖院監院老師はじめ山内役寮大衆と共に参拝致しました。 雪しぐれの空模様の中、読経の間はそれも止んでいましたが、終るや否や雷鳴が轟き渡りました。禅師様の獅子吼一声とも受け取らせて頂き帰山致しました。合掌。 …
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今日の以心伝心・方便現涅槃

狐火の携へてゆく風土記かな 玉宗  先日、板橋禅師の分骨が總持寺祖院に納められた。御誕生寺の新住職がわざわざ興禅寺に立ち寄って下さり、禅師の骨箱を床の間に置かせて頂き、献茶させてもらうことができた。鶴見の荼毘式には弟子の孝宗和尚が出席してくれた。遺骨に間向かうのは初めてである。私も夫人も感謝の念を新たにしたことである。…
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吾輩は猫であるのこころ

ボーナスと縁なき暮らし着膨れぬ 玉宗 吾輩は猫である。 お世話になっているお寺の住職が地元の新聞を見ていて、公務員にボーナスが出たという記事を読んだらしく、妙に落ち込んでいた。賞与っていうんですか、いつごろからの人間様の習慣なんだろうね。よくわからんが、もしかしてお盆やお正月を気前よく、気持ちよく、ひもじくない様にという…
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季節のアルバム・結婚記念日

畳替へ終へたる妻が少し老い 玉宗  12月12日はわが夫婦の結婚記念日。 今から三十五年前、金沢大乗寺で板橋禅師式師のもと仏前結婚式を挙げた。これを機に禅師様には「あんたはいい奥さんを貰ったね」と生涯羨ましがられることになる。式が終って外へ出ると一転俄かに掻き曇り北陸名物「雪起し」が轟いたのを夫婦揃って今も忘れない。…
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寺報12月号

『寺報12月号』 法輪山興禅寺・鳳来山永福寺       令和二年も師走となりました。コロナ禍の中、檀信徒の皆様にはご清寧のことと存じます。今年も様々な出会い別れ、ご縁がありました。    七月には私の受業師(得度の本師)である總持寺独住二十三世御誕生寺中興二世雲海興宗大和尚が御遷化されました。コロナ感染拡大防止…
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今日の一大事因縁・成道会

手に享けし成道粥のすぐ冷えて 玉宗    釈尊成道の古を慕って十二月八日に行われる法要を釈尊成道会という。僧堂では一日から報恩接心が修行され坐禅一色の弁道となっていた。世の中は師走の繁忙期であるが、修行僧は腰が抜けるほど坐ることができる勿体なくも有難い時間ではある。言い方を換えれば、仏弟子の面目を施すことが出来る絶好の機…
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布施は人のためならず

  喜んで寺に大根捨てに来る 玉宗 世に言う「情けは人の為ならず」は、人のためにならないから情けをかけるべきではないとか、結局は自分のためなのだから情けは大切なものだとか、世間では二通りの解釈があるようです。「情をかける」という行為も一つの「布施」です。身と口と心の「三業」を以って貪りの世界に生きることもできるし、同…
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思い出から学ぶ 

てのひらに山河あり雪降り頻る 玉宗 「思い出となればみな美しい」 これは生きている人間のご都合の良さを言っているのでしょうか。思い出を美しいと受け止める人間がいるということではないでしょうか。 無常に棹さし人生を歩んでいる人間の、リアルな、今を限りと力を尽くし、よそ見をせず、いのちまっすぐ、無心に生きている人間…
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黒田杏子第一句集『木の椅子』

黒田杏子第一句集『木の椅子』増補新装版(コールサック社・定価二千円)を頂戴した。 知る人ぞ知る彼の第一句集である。ときに氏は43歳。その清新な俳句が飯田龍太、鈴木真砂女、森澄雄、野沢節子、細見綾子ら、時の重鎮たちの注目を浴び一躍俳句界の新星として躍り出て、だれも予想しなかった協会新人賞やら現代俳句女流賞を受賞したという句集…
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『俳句大学・今日の一日一句鑑賞・最終回』

「腸の一句もならず着膨れて 玉宗」 一句鑑賞を引き受けて約束の一カ月となった。我儘な鑑賞にお付き合いいただいて恐縮でした。 さて、私事ではあるが、能登半島地震に被災してその復興途上で手を染めたSNS上での俳句更新。毎日十句を自らに課して十年以上が過ぎた。 五年前に『安居抄六千句』なる破天荒な句集を出して、一応の…
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冬安居雑感

暮れてゆく鐘の音にも冬安居 玉宗 近頃は暮れるのも早いが、夜の明けるのも遅く、勤行を終えてもまだ外が暗い昨今である。いつも4時には起きるようにしているが、特にお坊さんが朝が早い訳ではない。町内では新聞配達、豆腐屋さんが朝早くから働いている。漁師さんも早い。というか、前の晩に出漁し、早朝に帰港することもあるようだ。夏場などは…
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俳句大学一日一句鑑賞

『11月25日の一句』 「木星に住ふ算段懐手 直美」 作者はたしか洋裁に通じている筈だが、「懐手」は本来「和服」を着ている折の仕草であることは承知であろう。洋服の場合はさしずめズボンのポケットに両手をつっこむ「ポケット手」ということになろうが、生憎これは季語として認められていない。「懐手」も着物を着る機会が少なくなっ…
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俳句大学一日一句鑑賞

「11月23日の一句」   「寒鴉熟女ふたりに及ばざる 夢彩」  俳句を評価することばに「面白い」というのがある。「俳句的おもしろさ」と「川柳的おもしろさ」と分けてみたいところだが、要するに最短定型詩の「面白さ」に帰着するんだろうとは察しが付く。いずれにしても「俳句は感性による認識」であるという写生俳句を唱導した…
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俳句大学一日一句鑑賞

「11月22日の一句」 「マシュマロの淡き食感雪催  泰與」 取り合わせの句である。 つかず離れずが理想とは分かっていても中々その離れ具合、つき具合の加減が難しい。 イメージがどのくらい広がるかがポイントなんだろうけど、取り合わせの句は作者より鑑賞する方の詩的世界の広さと共に距離間が試されているのかもしれない。離…
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「俳句大学・一日一句鑑賞余談」

 毎月私の妖しい俳句教室に通っている七十代の御仁が居られる。某結社の同人ではあるが、同人であることに自信がないらしく、頻りに添削を所望する。「俳句添削」を明示してあるだけに、それはそれでいいのだが、はっきり申し上げて、添削というより換骨奪胎した改作と言っていいようなことになってしまうことが多い。それには理由があって、箸にも棒…
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俳句大学一日一句鑑賞

『11月17日の一句』 「富士見ゆる軒に柿干す甲斐の国 正則」 「縄跳びに冬の落暉を入れて跳ぶ 昼顔」 「赤城より凩来たる厩橋  泰與」 写生句の醍醐味は作者の独自なる視線に出会う事であろうかと。それはそのまま作者の感性との出会いでもあろう。全面的に共感できればそれに越したことはないが、全面的とは言えなくても、あ…
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誕生日雑感

生きながら命枯れゆくいぼむしり 玉宗 今日11月16日が私の誕生日である。 満65歳になった。年金が戴ける年になってほくそ笑んでいたのだが、早速「介護保険料」なるものの振込用紙が送られてきて、その結構な負担金に生きる気力が萎えていく思いがしたのにはわれながら予想外な心理だった。 介護の世話になる日のための担保と…
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不肖の弟子の弁明?!

僧となる不思議な月日干大根 玉宗 先日、大本山總持寺に於て閑月即眞禅師雲海興宗大和尚の荼毘式禮が厳粛に執行された。出席を誘われたのだが思うところがあってお断りした。その思うところの一端を書いてみよう。  私が縁あって板橋興宗禅師に得度して戴いたのは昭和56年である。当時は公職として大本山總持寺祖院の後堂職に就…
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俳句大学「一日一句鑑賞」

『11月10日の一句』 「木枯らしに攫われていく薬指  素子」 「大蒜を叩きつぶして虎落笛   草民」  「句意明解」をよろしいとするのが大勢である。とくに写生俳句を唱導するにあたってよく目に耳にする。然し、どうだろう。「句意」が「明解」であるということはどういうことか考えてみたことがあるかな。俳句が定型詩…
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俳句大学「一日一句鑑賞」

『11月8日の一句』 「大鷲の風を呼び込み飛びたてり 満徳」  つらつらと何の脈絡もなく俳句の正体や可能性について思いを巡らしてみた。今更ではあるが「俳句とは何だろうか」とときどき我に返ったかのように自問自答したくなる。最短定型詩という定義に異議を唱えるものはいないであろう。「詩」「韻文」なのである。「叙述」「散文」…
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無事是貴人 

山眠りものみな遠くなりにけり 玉宗 願い事なんてしない方がいいのじゃないかと思うことがあります。一見願いが叶ったり叶わなかったりしたことも、時が過ぎれば糾える縄の如き次の因縁を展開します。願いが叶ったと言っては有頂天になり、大事なものを忘れ恩を忘れてしまう愚かさの繰り返しではなかったのかと。 畢竟、ものご…
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俳句大学「一日一句鑑賞」

· 『11月4日の一句』 「星飛んで漬物石の丸きかな 正則」  とぼけた感じがいい感じ。とぼけてはいるが小さな発見は小さいながらに確かにある。一直線な流れ星に対応する漬物石の丸さ加減。それは暗い夜空の底なしの丸さ加減、宇宙空間の手応えのなさに比べれば、手にもとれるほどの確かさであり、その不思議さ加減に作者は目を見張る…
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俳句大学「一日一句鑑賞」

『11月2日の一句』   「放棄田の畦の数珠玉実りたり 貞子」  私は高卒で大学というものに興味もなかったし、家が貧しかったので進学という選択肢を端から持ち合わせて居なかった。だから「大学」という世界を傍から見て想像するしかないのだが、「学ぶことが好き」という人間が通うところなのだろうとは思っている。  「大学」に…
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物心一如

われなくて色なき風のかろさかな 玉宗 人間が持つ「物への執着」は相当なものです。 本人が思っている以上に抜き難いものがあります。過剰な物や情報洪水、そして、満たされないこころの空虚。「断捨離」を実践したいというのも、そのような空虚感を清算したいという切実さの表れなのではないでしょうか。それはものとこころのバランスを欠いた…
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初老のこころ

老いといふ旅の途中の紅葉かな 玉宗  令和二年十月も晦日。 ここに来て輪島にもコロナ感染者が出たようで、なんだかんだ言っても他人事の域をでなかった危機感だったかもしれないと思い知る。コロナウイズという言葉がある。未知のウイルスということでまだまだ分からないところもあるのだろうが、事ここに至って、風ウイルスやインフ…
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小さなお葬式

死ぬる世の今どのあたり秋惜しむ 玉宗  最近とみに目や耳にする「小さなお葬式」という耳触りの良いキャッチコピーやコマーシャル。私などは正直なところ宗教界から何の反応もないのが不思議でならない。少なくとも正式な見解を見たことも聞いたこともない。  我が寺などは掛け値なしの零細寺院。そんなお坊さんの立ち位置から批判を…
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生死に向き合う

  足袋穿いて死者に一番近くをり  私どもは時に隣人として、時に親族として「死者」と向き合うことがあります。お坊さんは一般の方々より「死」に関わることの多い立場かもしれません。正確には「死者を送る」「死者に寄り添う」といった方が実際のところです。 「死と向き合う」とは「死ぬゆくものと向き合う」ということでも…
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お寺の公益性問題

落葉掃くことより習ひ始めけり 玉宗  仏教界で公益性の問題をめぐる議論が盛んになったのは、行政による公益法人制度改革があったからで、この制度改革が宗教法人にも及び、何か公益にかなう活動をしていないと「公益性に欠ける」とされ、宗教法人課税の議論が必ず出てくる。嘗て『アエラ』誌上で洗建氏がこの問題について次のような注目すべき意…
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捗らぬ終活

捗らぬ終活酒を温めむ 玉宗  昨日は思いがけないことがあった。 倅が私と夫人の誕生日を纏めて祝ってあげるということで、市内の予約制で評判のイタリア料理店で夕食を共にした。初めてのことで何か魂胆があるのかと一瞬悪魔の囁きが聞こえたのだが、それは杞憂で、純粋に両親の誕生会をしてあげたいという思いであることは日頃からの言動…
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秋果のこころ

柿を剥く母を見てゐてこころ足り 玉宗  輪島の永福寺にはときどき珠洲から車で果物の移動販売をしているおばさんがやってくる。自家生産のモノばかりで、寺族もお気に入りで、いつも来るのを待ち侘びている。先日は今年初めての柿を積んできた。   秋の果物にはいろいろあるが、私の生まれ故郷である北海道に柿はなかった。柿は青森…
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コロナ終息祈願祈祷法要顛末

勤行や雁がね寒きあさぼらけ 玉宗 永福寺の恒例秋の観音祈願祭が無事終了。 弟子に住持位を譲ってから法要の導師をさせていたのだが、今年は隠居である私が修行した。それには二つ訳があった。 一つはコロナ終息を祈願する法要をどうしても私の作法でやりたかったからである。今年の五月の朝の勤行で「大般若経理趣分」の真読を続けてい…
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夫人の誕生日

柿剥いてくれる妻ありしづかな夜 玉宗 十六日は夫人の誕生日だった。お寺に生まれて育った女性である。寺族っていうんだけど、一般的にはどんな風に見られているのかな。喜怒哀楽もちゃんとある同じ人間であることは言うまでもないし、家族は家族なんだけど、やっぱり「仏様」と一緒に暮らしているという一本の筋が通っているんだよね。手前み…
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枕 経 

弔ひの夜はよく爆ぜる炭火かな 玉宗 死者の枕もとであげる読経を「枕経」と言います。 末期の水を含ませ、手を合わせデスマスクを拝していつも感じることがあります。それは「ごくろうさま」という言葉に象徴される感慨です。故人とは殆ど他人であることが多いにも拘らず、自然とそのような感懐が湧いてきます。まして遺族となった方々…
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