出稼ぎお坊さん

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裸木となりて百日雲を呼ぶ  玉宗



結婚後、長女が産まれて間もなく私は単身北海道のお寺へ出稼ぎに行った。

お坊さんが出稼ぎ?と思われるお方もいるだろう。日本も狭いようで広い。毎月お檀家さんのお仏壇にお経をあげる習慣がある地方とそうでないところがある。宗派にもよるし、お寺の事情に依ることもある。亡くなった故人の命日に合わせて毎日回向するのである。「月参り・月忌参り」と呼ばれる。年に一回の祥月命日だけにお経をあげることもある。檀家さんの多いお寺では住職一人では月忌参りに対応できないため、応援のお坊さんを雇うのである。正式な雇用契約を結んで給料は勿論、社会保障や住居も用意されているのが普通である。宗門の雑誌に広告を出して用僧を募集していることがある。

私は知り合いのお坊さんに依頼して就職先を探してもらった。
二千軒程の檀家さんがあるそのお寺には私のようなお坊さんが他に三人いらした。毎日二十軒程のお壇家を受け持ちで歩く。勿論車である。月に何度かはお葬式もある。御法事もある。お寺の恒例行事もある。二年半程お世話になったがほとんど休暇というものをとったことがなかった。

その間、産まれた長女を連れて妻が私のもとへやってきた。親子三人、お寺が用意してくれたアパートで暮す日々があった。妻としては養子に入った輪島のお寺を後にして出稼ぎに行ったことへの不安な思いもあったのだろう。私としては妻子を養う手立ての一つとして選択したことだったが、今から思えば、そこまでしなくても自坊だけでも十分食べていけたのである。


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お坊さんの世界には「法輪転ずれば食輪転ず」という教えというか訓戒というか、自戒のような言葉がある。お坊さんとしてやるべきことをやっていれば、お天と様はちゃんと食分を与えてくれるというものだ。亡くなった永福寺の本師も常々それを言っていた。婿殿はそれを俄かには信じられず自らその場を動いて出稼ぎをしてしまった。

「おれ、何やっているんだろう。これじゃ、サラリーマンと同じじゃないか。」

妻は産まれて初めて実家を出て親子水入らずの生活を楽しんでいるように見えたが、輪島へ戻る、と私が言いだすと次のようなことを言ったものだ。

「ごめんね。お父さんに苦労をかけさせて。永福寺のような檀家もない小さなお寺にきたばかりに・・・」

私は妻のこの一言で自分の仏弟子としての不甲斐なさを知らされたものだ。お坊さんとして私がやるべきこと、永福寺の婿殿としてあるべき姿を遅まきながら知らされたのである。

その後間もなく、私たちは輪島へ引き上げた。私は門前の總持寺祖院へ雲水として安居。数年後には僧堂のお役を頂き、興禅寺の住職にもなり、永福寺との行事を勤める事になる。年に三回づつの法要、寒行托鉢、お盆棚経、その他葬儀、法事などを何とか今日までやってきた。飢え死にすることもなく、副業もせず、妻にはお寺の補助に専念してもらい働かせることもなかった。様々な事や出会いがあった。震災に遭っても生き延びさせて貰っている二人である。

私が法輪を転じてきたのかどうか、実際は私自身が法輪に転じられて生かされてきたという感が強い。





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この記事へのコメント

tenjin95
2009年12月10日 06:53
> 管理人様

拙僧も今は、自分の寺ではなく、余所でお仕事をしていますが、その時に頂戴した役割をただ果たす、そういう廓然としたお仕事をしたいと思う拙僧でございます。必要とされている限り。
湘次
2009年12月10日 07:16
おはようございます
「法輪転ずれば食輪転ず」
 庶民の世界もつい最近まであてはまりましたが
 最近は勤めたくても職がない人が増えています。
 こつこつとやっていれば食には困らなかった時代がなつかしいです。
陽だまり
2009年12月10日 07:33

市堀玉宗さん おはようございます!

裸木となりて百日雲を呼ぶ  玉宗さん

「法輪転ずれば食輪転ず」
検索しました。
「ナルヨウニナル」、ですか・・。

沢木興道老師の言葉Ⅰ
金をためねばならにような坊さんは不徳で
あるということは言うまでもない。・・・・・・
坊主が金をためねばならぬようになったら、
それだけ欠点がわが身のうちにあるからじゃ、
・・・・・。と言っていますが(笑い)
貧乏な家庭に生まれた私ですが、
食うだけの金があれば私は良いのでは
ないかと思います。
愛媛子
2009年12月10日 08:58
奥様の良いお言葉に今日は感動いたしました。
そして「法輪転ずれば食輪転ず」下司に言えば、
為すべき事をしていれば、「お天道様と米の飯は付いてくる」
と言う事でしょうか。
何れの世界でも一生懸命が第一ですね。
有難う御座いました。
ルフレママ
2009年12月10日 12:37
今日は法輪、食輪というあり難い言葉を知りました。
真面目に一途に事を成せば食べていけるということなのですね。難しいことなのですが、成せば成る・・信念としましょう。いい奥様の言葉、なかなかこの言葉は、出てきません。頭が下がります。
yoshiyoshi
2009年12月10日 12:58
凡愚には思い返すも回り道
悲しくは無し
母を回向す     よし


果てもなく凍てる道にも月燈   よし

志村建世
2009年12月10日 14:30
お坊さんの職業生活の一端がわかり、興味深い記事でした。数年前に「非正規労働者会議」のために作った「手のひらを太陽に」の替え歌を思い出しました。
♪パートだって 派遣だって 下請けだって
 みんなみんな 生きて行くのに 大変なんだ♪
市堀
2009年12月10日 19:44
皆様コメントありがとうございます。合掌

tenjin95さま
仰る通りですね。私も用僧が不要だともあるべき姿ではないとも思いません。私に与えられたご縁を廓然と成し遂げたいと思うようになりました。御指摘、ありがとうございます。合掌

湘次さま
 <最近は勤めたくても職がない人が増えています。>社会の厳しさを思えば私などの悩みなど贅沢なものです。恥ずかしいことでした。合掌

陽だまりさま
沢木老師のお言葉、いつも頭からどやされる思いです。沢木老師のような骨のあるお坊さんが少なくなりました。合掌

愛媛子さま
「お天道様と米の飯は付いてくる」人の一生の食分は決まっているとか。そうはいっても怠けていい訳がありませんね。ありがとうございます。合掌

ルフレママさま
ときどき、妻の言葉に胆を冷やされています。つくづく自分のことしか考えていないのだなあ、と。(笑)合掌

よしさま
前向きに生きよと詠われるよしさま、ありがとうございます。がんばります。合掌

志村建世さま
ありがとうございます。お坊さんも大変なのですと、歌に付けくわえてください。(笑)合掌
kemm
2009年12月11日 05:54
2000軒の檀家とは凄いですね。到底住職お一人では回りきれないでしょう。それにしても臨時雇用のような仕組みがあったことに驚きました。

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