妻なき夜の独り言
素風いま何を思へと吹きつのる 玉宗
夫人が昨日の早朝から「曹洞宗北信越寺族婦人研修会」みたいなことで、福井方面へ一泊二日の外出をしている。出かける前に夫人はこんなことを言っていた。「偶には一人で自分のやりたいことをやるのもいいよね」
実は夫人と二人の生活は私が祖院専門僧堂を辞した七、八年前からの事なのである。一般の会社員ならば朝8時から5時頃まで会社で働き、それ以後は自宅に帰るものだろうが、結婚して間もなく、祖院専門僧堂に出仕するようになって、僧堂生活が中心になっていた頃は寝泊まりは自坊より僧堂でするようにしていた。
修行は間断のないものであり、朝起きてから眠るまで、否、眠るのも「行」であるという「行持同環」が建前である。僧堂に役寮として出仕するということは雲水の先導役でもあり、手本でなければならない。和合衆とも呼ばれる僧堂生活を共にする仲間達とは可能な限り一緒に居たかった。自坊での婿殿の気まずさより、僧堂の居心地の良さということもあったが、結果的に自坊での生活より僧堂にいる方が圧倒的に多かった。当然、夫人や子供達と一緒にいる時間も今から思えば極端に少なかった。そんな生活が十五年ほど続いたのである。
震災に遭う三年前、意に反して僧堂を辞めなければならなくなった。先代も亡くなったこともあり、そのような僧堂生活に見切りをつけて自坊に専念することにした。夫人と顔を突き合わせていく毎日の生活が始まったのである。それまでの仕切りのない団体生活から、私的な生活が当初はもの足りなかったし寂しかった。恐らくそれは、一人での「行」の現実の厳しさの為せるところであったのだろう。夫人にしてみればお坊さんの理想像が崩れてゆく日々であったかもしれない。
僧堂へ出仕していた間も、そして今も、夫人という寺族の補佐があってこそ私は雲水達と共に僧堂生活も出来ていたのであり、現在も住職然としていられるのである。これは間違いのない事実である。夫人との縁もまた、破れ鍋に綴蓋ではあるが、こんな私のようなものながら天から戴いた授かり物、宝であるには違いない。
遅まきながらこの年になって、お坊さんとしての力量を目の当たりにしている様なところがあるのだが、私を支えてくれている夫人の為にも、もうひと踏ん張りしなければならないと密かに思っている。それは仏弟子であるとかないとかという以前の、人として生まれた責任感のようなものに近い。
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この記事へのコメント
私は一夜熊を思って過ごしました(笑)
我が県の人々は熊を射殺しないで
山に帰ってもらったのですが
冬眠まではまだ1ヶ月空腹ですね。
また町に下りてくるでしょう・・・・・
山すその杉の木などを
徐々に栗や柿にかえられないでしょうかぁ。
聞いておかざぁなるめぇ、(笑)
秋深み竈の猫は灰まみれ よし
たまには離れ離れもいいものでしょ!!
夫婦のあり方を考えてみるのもいいですね。
私の場合は 「鬼の居ぬ間の・・・」
美味しいもの食べちゃいますね。
玉宗さんには メタボ対策で切ないでしょうけど・・
10キロ、10キロ・・・可哀想!!
仰る通り、荒れた杉山を整理して木の実のなる植林をすればいいですね。人間の手が入って荒廃させてそのまま、というのは余りに無責任と言うものではないでしょうか。熊を飢えさせたのは自然だけではなく人間の侵食も確かにあろうと思います。
まあ、のろけなんですが、友達の少ない、淋しい婿殿でもありんす。わらってやってください。
夫人が戻り、早速おいしい料理を眼の前に出される苦行が再開しました。(笑)
しっぽは振りません。死んだふりをします。(笑)