はじめよければすべてよし?

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遺されて夜の木枯し聞くばかり 玉宗


諺に、終わりよければすべてよしとある。本来は、ものごとは最後の締めくくりが大切であるということなのだろうが、世間では結果がすべて、取り繕ってまでしても結果の見栄えの良さを問題にしているかのようである。其処はお坊さんとしては俄かに肯けないところ。「発心正しかざれば万行空し」というお示しもある。何を以って「よし」とするのであろうか?お金、名誉、家庭の安寧、等々、それは畢竟自己満足の領域をでないのだろうか。欲望の延長線か、欲望を超えた世界か、私はどっちを向いて生きて行こうとしているのか。

われわれの日常は、大なり小なり社会的(平面的存在)であり、また文化的(垂直的存在)でもある。家族も国家も社会的にして文化的営為であるのが真相であり、それは欲望充足的な世界である。家族、教育、芸術、宗教、経済、産業、風習、等々、文化的日常とは社会人でもある個人の欲望を支え充足させる形でもある。そうであってこそ社会性は人間の基盤と成りうるのではないか。

そのような流動的な社会の中で、今を主体的に、充実させ、自己清算的に生きることが可能なのだろうか。その実現には私がどのように社会と関わっていくかという姿勢が試されるだろう。人として大切にしなければならないもの、それは社会性と共にそれを支える精神性の充実であることは間違いない。


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ところで私の見た限り、人生の時々において人間は間違いや失敗などを為すことが多いのが相場である。いつ終わるともしれない儚くも危うい人生。思いもしない突然の締め切りに迫られるかもしれない、予想できない現実がある。私は今日死んでもよしと言えるだけの生き方をしているだろうか。あやふやなままにときを過ごしてはいないか。古人の言葉はそんな私への覚醒のことばであり、生きる方向付け、軌道修正の大切さを言っているものとして受け取りたい。

誰もが精一杯いきているだろう。それでも間違うのが人間と言うものの現実相ではなかろうか。大事なことは、過ちを糺すに憚ることない柔軟な精神であり、そのような姿勢こそが人生を創造的なものにする可能性があるのではないか。人はその銘々の人生に目標を掲げてこそ、その実現のために努力ができる。目的や使命感を欠いた今の自分のあり方に人生の価値や意味を見出すことは困難であろう。

 人生の方向付けがあればこそ、生まれてきた価値や意義が見出せるれる。そうであってこそ、人生を創造するプロセスや生きている今の瞬間に力を尽くせるというものだ。そう云う意味では、初めの一歩こそが人生の大事を決定付けるものであり、生きるとは、終りを当てに出来ない今をありのままに受け入れ前向きに歩むことに尽きるのではなかろうか。

欲望の延長線か、欲望を超えた世界か、私はどっちを向いて生きて行こうとしているのか。その始めの一歩が試されている。





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この記事へのコメント

いらくさ
2010年11月29日 05:53
おはようございます。

ご住職のような方と
鳥の詩で遊べるなんて
言葉はなんとありがたいもの!

でも菅直人と森まさこの間を
行き交ったのも言葉
言葉は魔物ですねぇ?

パプリカが青いまま
大きくもならず
黄色にもならず

どうしたものか・・・・・
とりあえず写真を撮りました。
yoshiyoshi
2010年11月29日 06:24
虎落笛父の骸の軽きこと    よし
スピカ
2010年11月29日 21:55
子の住みし能登は今宵は時雨るか

お言葉に甘えてまたおじゃましました。
息子は輪島におります。転勤族です。
市堀
2010年12月01日 10:14
 いらくささま。
コメントありがとうございます。
言葉は魔物であり、神業でもありましょうか。できることなら、少しだけでも、神様の近くにいたいものです。
霜の季節ですね。土より先に、大気が冷えていくのでしょうね。当たり前か。(笑)
お大事に。

 スピカさま。
コメントありがとうございます。
そうですか、輪島にいらっしゃるのですか。
3万人足らずの小さい市ですが、探すとなると難しいですな。(笑)
どこかですれ違っているかもしれませんね。
転勤ご苦労様です。合掌


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